これも抽象化か〜あたりまえを疑え
人生で成功する為に、あたりまえのことを疑ってみよう。と言う本です。
世の中には無数の線が引かれています。「これはこう、こっちはこう」っていう風に、世の中を具体的に分けていく線です。モヤモヤとした境目のない抽象的な世界を、線で持ってはっきりとカテゴリーに分けていく具体化です。
具体化っていうのは、分かりやすくすることです。みんな、具体的なものを求めています。それは、具体的なものが、分かりやすいからです。分かりやすいと考えなくて済みます。簡単に一歩前に進んだように感じます。
自分の頭で考えなくて、その具体的な言葉を聞いただけで、自分は一皮向けた、ような感じを受けるんです。だけど、その具体的な一皮向けた感じっていうのは、おそらく砕けやすいものです。簡単んに身についたものは、簡単に砕けやすいんす。
なだらかな上り坂の山は、降りるときもなだらかです。急な上り坂の山は、降りるときも急です。楽に、急に高みにこれたような感を与えてくれる具体的な情報っていうのは、剥がれてしまうのも急です。一瞬だけ納得できても、違う意見を聞いただけですぐに「やっぱり違っていたかな」と自信をなくしてしまうのではないでしょうか。
よく分からない、モヤモヤする、迷ってしまう、考えてしまうっていうどっちつかずな状態を、もっと評価するべきなんでしょう。あれこれもとはっきりとカテゴリーに分けられていては、自分で考える余地がありません。自分で考えて分けなくては、何が本当なのか、本当にそのカテゴリーであっているのか、ということがわからないでしょう。
この本のタイトルにある「あたりまえを疑え」とは、すでにカテゴリーに分けられている既存のものを疑って、もう一度自分で考えてみよう、ということなんでしょう。世の中にある常識、あたりまえ、ルール。そんなものをもう一度崩して、疑って、袖にある答え出なく、自分の答えを見つけようという意味なのだと思います。
常識を疑うヒントになるのは、昔から変わっていないものを変えられないのか、と考えてみることです。常識やあたりまえを疑う方法はいくつもあるのでしょうが、この「変わっていないものを疑う」tことは、分かりやすいのではないでしょうか。
変わっていないものは、だらだらと続いているだけのことが多いのだと思います。意味もなく、変える労力が惜しいために、延々となんとなく続いているのだと思います。
例えば運動会です。これなんかは、みんなが熱狂するものなので、疑うのに丁度いいのではないでしょうか。常識を疑うってことは、結局は人と違うことをすることでもあります。人と違うことをすれば、結果的にそれは常識外の事であるでしょう。
私は運動会を見るたびに思うんです。「自分の小学校の時と変わっていないなぁ」と。だって、30年も昔のことですよ? 変わっていないなんて、どんだけなんですか。
組織が関わっていることが、変えるのが難しいは分かります。「公務員のせい」とか「先生のせい」とか、簡単に言えるものではないこともわかります。何が悪いのか。これは組織が悪いんです。一人一人は優秀で、話がわかる人たちであっても、それが集団になるととんでもない、ということはよくあります。
人に合わせてしまうんですよね。一人一人が。自分のいいアイディア、既存にとらわれない新しいアイディア、世の中が変えられるかもしれないアイディアがあったとしても、それを組織の中で使うことは難しいんです。特に日本人には、でしょうか。
周りを気にしてしまうんですよね。だから、あたりまえを疑うには、人目を気にしない方法論が必要なのかな、とも思います。最近よく聞くようになりました。あたりまえを疑え、と同じように、人と違ったことをしろ、とか。もう少し具体的な方向に行って、職場のルールにとらわれるな、とか。
でも、なかなかできる世の中に至っていません。いまだにサラリーマンは会社に依存しているし、いまだに常識は世の中にはびこっています。「勉強しろ」と言われてなかなかできないように、「常識を疑え」と言われてもなかなか疑えるものではないんですよね。
そのための「何か」が必要なんでしょう。あたりまえを疑うための「何か」です。具体的な方法なのか。それよりも抽象的な世の中の見方、なのか。私的には抽象的な「見方」のようなものであってくれれば、嬉しい気持ちもしますが。
世の中を疑いましょう。いつの間にかかけている常識のフィルターを外すんです。「これはこう」「こっちはこう」って分けている線を消すんです。昔、「聖域なき構造改革」なんて言葉を発した政治家がいましたが、確かに聖域はあってはなりません。「これだけは譲れない」とか「これだけは壊してダメ」とか。そんな聖域を作っていては、神聖視していては、聖域を守っていては、フィルターは外せません。
とりあえず、具体的なところから、ですか。動きやすい、具体的なものから手を入れれば、後々抽象的で本質的な変化までたどり着くのではないでしょうか。
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