交通違反切符とは免罪符である

2020.09.07 (月)

交通違反切符は、わかりにくい制度である。裁判とか起訴とか前科とか、元々が法律に関わる分野だけにわかりづらいのもあるし、ホンネとタテマエが入り混じっていて「本当はどういう意味なの?」という意味でもわかりづらい。警察官は市民の前ではタテマエしか言わないからだ。

 

 

そこで、交通違反切符についてわかりやすく話してみたい。ここでは、交通違反切符の一番の根幹部分について説明しようと思う。交通違反切符を切られると、色々と考えることが出てくる。「自分はこの後どうなってしまうの?」「反則金を収めれば本当にそれでお終いなの?」「どうして今の運転が違反になるの?」「違反を認めないとどうなるの?」「裁判になるの?」などだ。

 

 

このようにゴチャゴチャと考えなえればならないことがたくさんある中で、警察官から交通違反切符について説明を受けたところで頭に入らないだろう。一通り聞いたあとで「で、結局どうすればいいの?」と疑問が残る状態になることは目に見えている。

 

 

交通違反切符の、押さえておきたい根幹の部分を話したいと思う。このコラムだけで交通違反切符の全てを説明することはできないが、ここさえ押さえておけば、あとのゴチャゴチャとしたものも頭に入りやすくなるのではないか、と思うところだ。

 

 

交通違反切符を、免罪符に見立てて説明する。

 

 

免罪符とは、正式には「贖宥状」と言って、16世紀にカトリック教会が罪の償いの代わりとして発行したものだ。宗教改革の発端になったと言われている。カトリック教会は贖宥状を国民に売ることで、金儲けをしていた。

 

 

そんな堕落したカトリック教会に激怒したのがドイツのマルティン・ルターで、贖宥状を発行したカトリック教会を批判した内容の「95か条の論題」を、ゲッティンベルク教会に提出したとされている。

 

 

この歴史的な事件である免罪符と交通違反切符は、3つの点で共通している。1つ目は、罪が償われる点。2つ目は、売上が建設費に使われる点。3つ目は、ウィン・ウィンの関係になる点、である。

 

 

罪が償われる点

交通違反切符は、正式には「交通通告反則制度」と言って、1968年(昭和43年)に始まった制度だ。どうしてこの制度が始まったのかというと、裁判所の仕事が圧迫されていたからである。国民の誰もがマイカーを持つようになって、それに伴って違反や事故がピークに達した。法律(道路交通法違反)を犯したら裁判をしなければならないが、違反の度にいちいち裁判をしていたのでは処理が間に合わなくなったのだ。

 

 

そこで考え出されたのが、交通違反切符である。「反則金を収めさえすれば裁判をしなくてもいい」ということにしたのだ。違反者は起訴されることもないし、前科がつくこともない。そういう意味で、反則金によって、違反をしても罪が償われる制度だ。

 

 

これは免罪符も同じこと。免罪符とは、カトリック教会が発行した免罪符をお金を払って買うことで、罪を犯した人の罪が償われるという話だったのである。

 

 

売上が建設費に使われる

免罪符が発行されていた16世紀当時、ヨーロッパでは教会や大聖堂の建設ラッシュだったのだと思われる。免罪符を発行してその売上が何に使われていたのかというと、それは建設費に使われていた。教会や大聖堂を建てるための費用を、免罪符の売上でまかなっていたのだ。

 

 

これは交通違反切符にも共通することだ。教会や大聖堂の建設はされないけれど、違反者が収めた反則金は、主に道路の補修や道路標識の設置のために使われるとされている。「売上金が何のために使われているのか」という点でも、交通違反切符と免罪符では共通しているのだ。

 

 

ウィン・ウィンの関係になる

「交通違反切符を切られて、それって自分にとっては不利になるの? 有利になるの?」という声が違反者から聞かれるが、基本的な考えとしては有利になる。ウィン・ウィンの関係だ。誰と誰のウィン・ウィンかといと、違反者と裁判所である。

 

 

裁判所は余計な裁判をしなくて済むので、手間を省くことができる。自分たちの余計な仕事がなくなる。裁判所にとって、道路交通法違反が交通違反切符で処理されることは有利なのだ。

 

 

違反者にとっても有利だ。というのも、裁判をしなくて済むということは、起訴されることもないし、前科になることもない。その上、裁判という手間暇のかかるものに係わらなくて済む。時間とエネルギーの節約になる。反則金を収めることで裁判が免れるということは、違反者にとってもメリットがある。裁判所と違反者の両者にとってウィン・ウィンなのである。

 

 

これは免罪符も同じことだ。これはカトリック教会と罪を犯した人間との間でウィン・ウィン。カトリック教会としては、免罪符を発行することによって売上金が手に入る。豪勢な教会や大聖堂を建設することによって崇拝と信者を集めていたカトリック教会としては、お金は何よりのメリットだったに違いない。

 

 

罪を犯した者にとっても、償いをしなくて済むのだから、これは明らかなメリットである。キリスト教圏において罪を犯すことは、死後に地獄へ送られることを意味する。火で焼かれて、終わりのない苦しみを味わうことを意味するのだろう。それがお金を払うことで免除されるのであれば、当時の人々がこぞって免罪符を買おうとしたことは容易に想像できる。

 

 

カトリック教会と罪を犯した者のお互いにとってウィン・ウィンの関係であり、これも交通違反切符との共通項である。

 

 

まとめ

というわけで、交通違反切符と免罪符には3つの共通点があり、これは交通違反切符を理解する上で助けになるものと思われる。特に3つ目の「ウィン・ウィンの関係になる」というところは、頭の隅に入れておいて頂きたい。

 

 

交通違反は突然にやってくる。違反を犯すつもりがなくてもやってしまう。車を運転していれば、違反は仕方のないもの、逃れられないものなのかもしれない。

 

 

それは日常に突然やってくる小悪魔のようなもので、それほどキツイものではないけれど、頭がこんがらがってイライラしてしまうことは間違いない。色々なことが頭を駆け回るだろう。「この後、自分はどうなるの?」「前科はつくの?」「認めれば本当に終わりなの?」と。

 

 

警察官だってホンネは隠しており、タテマエしか言わない。何がホントウで何がウソなのかわからなくなって、警察官の説明も頭に入らなくなる。そんな切羽詰まった時に、「交通違反切符は免罪符」のトリビアは役に立つのではないか。

 

 

もちろんこれが全てではなく、ある意味タテマエの部分もあるが、交通違反切符における「基本のき」である。頭の隅に置いておいてほしい。

 

 


 

 

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