子どもが非行に走らない社会を作るのに必要な、不良性からの脱却とは

2018.01.15 (月)

車の不良性からの脱却が、子どもが非行に走らない社会を作ります。

 

 

東京オートサロンが、幕張メッセでありました。

 

 

派手な車、電飾で着飾った車、爆音を響かせるうるさい車、エンジンがやかましい車、ウーファーの重低音が迷惑な車、80年代に峠を攻めていたような車、速そうな車、戦闘力がありそうな車などなど、多くの不良性がある車が幕張メッセ周辺で見られました。

 

 

私は車の不良性が嫌いです。車と不良性というのは切っても切れないものがあり、車には必ず不良性が見え隠れします。ですので車自体が嫌いです。

 

 

ただでさえ車は存在感があるものです。排気音やエンジン音は、遠くからでも車が走っていることがわかります。車が走れば危険なので、歩行者は誰もが避けて通ります。機械感やメカニック感が男心をくすぐり、外見のデザインは物欲や所有欲を刺激します。

 

 

ですがこの車の存在感こそが、車の不良性なのです。安易に子どもたちに間違ったメッセージを送ります。「車であれば多少、人に迷惑をかけてもいいんだ」「車なら簡単に自分の存在をアピールすることができる」「車で迷惑な運転をしても、多めに見てもらえる」「社会は車に関しては寛容だ」

 

 

車には必ず不良性が付きまといます。東京オートサロンのような雰囲気が、今の日本では車の魅力の一面になっています。この不良性が、非行への入り口となるのです。このような不良性のがる車への憧れが、間違ったメッセージなのです。このような雰囲気を許している社会であってはならないのです。

 

 

車の不良性からの脱却が、子どもを非行に走らない社会を作ります。

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