子どもは親を捨てよ、親は子どもから捨てられよ〜カイン 自分の「弱さ」に悩むきみへ
「子どもは親を捨てよ」と説く本がある。中島義道さんの「カイン」である。
このコラムで僕が書く内容は、本書の内容そのままではない。僕は著者の思考をそのまんま再現して表現することなんてできないし、そんなことをしても意味がないと思っている。二番煎じに意味はなく、あるだけ無駄である。
だからこのコラムで書いてあることは、本書を読んで僕が考えたことである。本書の内容そのまんまではない。著者が著者なりの人生をおくってきたように、僕も僕なりの人生をおくってきた。僕がおくってきた人生は、僕だけにしか体験できなかったものであり、僕しか持っていないものである。
そんな固有の存在の僕が、本書の内容を参考にしつつも、僕の心の赴くままにコラムを書くからこそ、二番煎じではない、僕の固有の考えがプラスされた全く別の内容になっていると思う。僕でなくてもいいのだけれど、著者ではない他の誰かが考えたことを書くから、そこに発信する意味があるのだと思っている。
ちなみに「カイン」とは人の名前のことで、聖書の創成期に出てくる登場人物らしい。アダムとイブの子どもで、アベルの兄。カインはアベルを殺している。聖書の解釈も一様ではないだろうが、理由は「神様がアベルの方を寵愛していたから」らしい。嫉妬である。で、その後は弟を殺した自分の罪に苛まされる人生を送ることになる。
本書は、現実に疲れて人生に意味を見いだせなくなった悩める人を想定読者にしているようであるが、そんな悩める読者を、聖書に登場するカインになぞらえているのである。
さて、僕は普段から「素直に」ということをメッセージとして発信している。「子の声傾聴会」のサブタイトルも、「非行を素直に」である。では「素直に」とはどういうことか。誰に対して「素直に」であることを僕は求めているのかというと、それは「自分に」である。
僕は自分に素直であることが、よき人生を歩むのに必要であるし、子どもを非行から、あるいは社会から犯罪をなくすのに必要だと思っている。
というのも、僕たちは縛られている存在だからだ。誰に縛られているかというと、世間である。世の中には「お金持ちになれる方法」とか「異性にモテる方法」とか「人から好かれる方法」とか、「こんな生き方が素晴らしいですよ」というメッセージがたくさんある。
しかも僕らの周りの人間は、そんな溢れている価値観を「こうしなさい」とでも言わんばかりに押し付けてくる。ハッキリと口で言わずとも、そんなプレッシャーを周りに与えているのだ。そんな生き方に屈しないで、自分の生き方は自分で選ぶほうが、結局は自分に幸福をもたらしてくれると僕は思っているのだ。
どんなに効率的に幸福になる方法を他人から教えられたところで、そこに自分の気持ちがなかったら、その方法は使いものにならない。
日本のプロ野球で海外から助っ人を持ってくることは慣例になっているけれど、どんなに効率よくホームランを打つ方法をその助っ人が知っていたところで、日本の野球に気持ちが無かったら、使いものにはならない。助っ人外国人本人の「なんか違うんだよな」という気持ちの迷いがプレーや生活に出て、いずれ打率もホームラン数も下がってしまう。相手ピッチャーにも攻略されて、それっきりだ。
それと同じで、いかにいい方法であろうと、自分が見つけたものには勝らない。多読の著名人おすすめの本よりも、自分が本屋で見つけた本の方が面白いのだ。
「ひとは、無性に欲しいものがあり、それをほとんどの他人もまた望んでおり、しかもそれを手に入れることが可能な場合、確実に不幸になる」(本文より引用)
人と同じでは不幸になる。人生は、自分の輪郭を濃く深く描こうとする作業に似ている。自分が周りの人間と違う部分をハッキリと意識し、周りに飲み込まれないように、周りと一緒に沈んでしまわないように、その他大勢におちいってしまわないように、自分を自分として保つのが、人生において大切なのだ。
キャリアという考えも、スキルという考えも、自分という人間の輪郭を周りと差別化するための作業と言える。周りと差別化できないキャリアやスキルなど選んでもしょうがないのかもしれない。
だから僕たちは、自分を自分として保てるよう、固有の自分自身として保てるよう、自分に素直にならなければならない。「素直に」というのは決して周囲の人間から見ての「素直に」ではない。自分の心にウソをつかず、「自分の思う方へ」という意味での「素直に」なのだ。
では自分に素直になろうとする際に、誰がその素直さを阻害するのだろうか。自分に素直になろうとする気持ちを阻むのは誰か。
それは親だ。親こそが一番近くにいて一番の高いハードルである。
子どもにとって、親はやっかいな存在だ。「お前のためだ」という姿勢を全面に出すために、一見的だと認識しにくい。あたかも親の言うセリフは、自分にとって見方であるかのように錯覚してしまう。親の言うことが、自分の気持と同じであるかのように勘違いしてしまう。
けれどそれは違うのだ。親は子どもにとっての代弁者などでは決して無い。親は子どもの気持ちなどわかっていない。極めて鈍感なのだ。そのくせ、「お前の言いたいことはよくわかっている」のようなアプローチで迫ってくるので、あからさまに遠ざけるのもしにくい。
親を拒めば、たちまち敵に囲まれてしまうだろう。世間では「子どもは親に従うもの」と認知されている。「親は子どものためを思って行動するし、そんな親に子どもは従うべきだ」という考えが一般的だ。
親を拒めば、悪者は「せっかくの親を拒んだ子どもの方」となってしまう。
けれど、そんな世間に屈してはいけない、というのが僕のメッセージだ。世間一般が「子どもは親に従うもの」と言っていても、そんな甘い言葉に惑わされてはいけない。親であっても結局は他人なのだ。親が見ているのは子ども自身ではなくて、「子どもを可愛がる良い親」あるいは「親の言うことをきく良い子ども」であることが多い。
というか、親の立場上どうしても「子どもを可愛がる良い親」あるいは「親の言うことをきく良い子ども」になってしまう。他人である親に「子ども自身を見るように」と言っても、所詮はできない。
無いものを求めている、出来ないことを求めるのと同じで、親から子ども自身は見えない。子どもを見ているフリをして世間を見ている、それが親という生き物なのだ。
だから子どもは、親を捨てなければならない。親という生き物を拒絶しなければならない。親の言うことをいちいち聞いていてはいけない。素直になるべきは「親に」ではなく、「自分に」である。もしも自分の気持ちと親の言うことの区別がつきづらいのなら、親の言うことと反対の事をするべきだ。そこにこそ、自分の気持ちに素直になるヒントがある。
たとえば進路で迷い、親が進めている方向でいいのかどうか、いまいち自身が持てないでいるのなら、親が勧める方向とは別の方向を取るべきだ。そこにこそ、幸福な人生を歩むヒントがある。その他と一緒のままでは、人は幸福になれない。
その他の代表格とは親である。親は子どもが可愛いので、安泰な道を勧める生き物である。安泰な道とは、その他大勢がとおりたがある道である。たとえ自分でも「そこがいいかも」と思っても、親が勧める進路のとおりに進んでいていは、決して満たされることはないだろう。
いつもどこかで「自分はこんなんでいいのか」と迷うことになる。子どもは、世間の代表格である親を捨てなければならない。そうすることで、自分という人間の輪郭をハッキリと知るのである。
このことを親の立場から見てみると、子どもに対して親ができることは何も無い、ということになる。何をアドバイスしても、それは親という立場から与えるものである限り、子どもを不幸にしてしまうのだ。
「これからはプログラミングの時代だからプログラミングを勉強しなさい」だの、「中国が台頭する時代だから中国語を勉強しなさい」だの、すべてのアドバイスなり親としての教育は、それを子どもが受け入れることを前提としている。
親は、子どもが親の言うことを素直に聞くことを想定してアドバイスしている。なので、子どもが親の言うことを素直に受け容れなかったり、親に歯向かったりすると、途端に嫌な顔をする。親が見ているのは表面的には子どもかもしれないけれど、その奥で期待しているのは、「子どもを可愛がる良い親」あるいは「親の言うことをきく良い子ども」なのだ。
僕は、そんな見方をしている親を「だめな親だ」となじっているのではない。そんな見方しか出来ないのが親というものだと思っている。
親がしなければならないのは、そんな隔たった見方しかできない親という立場を受け入れることだ。親はどう転んでも子どもの邪魔しかできないことを認めることだ。そうして不必要にアドバイザーとして前面に出ようとせず、子どもに知ったかぶりでアドバイスをしようとせず、子どもの進むがままに任せることだ。
親は子どもが可愛い。親であれば当然だ。自分の遺伝子を継いだ生命体を大事にするのは動物として極めて自然。けれど可愛ければ可愛いほど、親は子どもに執拗にアドバイスしようとする。可愛ければ可愛いほど、子どもを自分が思ったとおりに動かそうとする。
世間的に認められる存在にしたてようとして、子ども自身を無視してしまうのだ。子どもを見ようとして世間を見てしまう。顔を近づけて見た対象が、視点がずれてぼやけるようなものだ。
親がすべきことは心構えをもつことだけだし、それしかできないだろう。自分が子どもにとって邪魔な存在であることを受け入れる、その心構えだ。
子どもは親を捨てるべきだし、親は子どもから捨てられるべきなのだ。
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