犯罪をなくす子どもとの関わり方について。それは作文である。

2020.08.18 (火)

僕は文章を書くのが好きだ。毎日毎日、自分のことをコラムに書いている。

 

 

一応、体裁としては「このサイトを見に来てくれている読者のため」ということになっている。ただただ自分のことだけをズラズラと書いていたのでは自己満足に過ぎない。コラムを読んでくれる人がいないと、このホームページの意味がないし、自分以外の他の人が見て読んで価値があるものでなければ仕事にはならない。

 

 

PVを上げるのにも、読者が知りたいことを書かねばならない。僕が書いている文章は常に、ディスプレイの向こう側にいるであろう人に向けた「こういう事を知りたいのではないか」という予想の元に書かれている。

 

 

けれど、「このサイトを見に来てくれている読者のため」というのはテクニック的な意味だ。表面上のタテマエだ。本当は自分が書きたいことを書いているに過ぎない。

 

 

幼児用のぬいぐるみで狼の帽子をかぶった羊とか、バイキンマンの帽子をかぶったアンパンマンとか、そんなものがあったと思うけれど、それと同じ。「読者のため」という帽子をかぶった自分のための文章。「相手のため」という着ぐるみを着た自己満足のコラム。

 

 

毎日毎日コラムを更新できているのは、キーボードを打っている瞬間、打ち続けている時間が心地良いからだ。タタタタ‥とキーボードが鳴って、指先から打つ感覚が伝わって、脳みその中で自分の考えが積み重なっていく。モヤモヤとした煙のような思いが、輪郭をなす考えに変わっていく。

 

 

人に伝えるには言葉にする必要があるのだけれど、言葉にするには抽象から具体という工程を通らなければならない。この過程が楽しいのだ。粘土遊びでも、泥遊びでも、パズル遊びでも、お絵かきでも、なんでも楽しいのは具体から抽象という工程。

 

 

もしかしたら楽器を引くのが趣味の人も、具体から抽象という過程を楽しんでいるのかもしれない。彼らは自分の思いや感覚を、音楽という輪郭で区切って楽しんでいるのかもしれない。

 

 

僕がコラムを毎日書き続けているのは自分が楽しいからであって、頭の中のモヤモヤを言葉に変えて具体化していく工程が楽しいからなのだ。

 

 

だから僕は、言葉とか文章というものに愛着を持っている。「言葉が好き」「文章を書くのが好き」という個性でもあるし、隔たった見方でもある。

 

 

そんな言葉や文章に隔たった個性を持っている僕は、犯罪をなくす子どもとの関わり方について、作文をおすすめする。文章を書くことだ。思いを言葉にすることだ。作文が子どもの犯罪をなくす。‥というか社会から犯罪をなくす。

 

 

犯罪の現場でよく見る光景が、キレる人だ。彼らはどの犯罪現場にもいる。すぐに怒って、相手にケンカをふっかけるような人。彼らを見ていてよく思うのだけれど、どうしてもっと言葉を駆使しして自分の思いを冷静に伝えることができないのか。

 

 

僕は犯罪を犯す人、あるいはキレる人というのは、自分の思いをうまく相手に伝えられないでいるのではないかと思う。というか、自分の思いをきちんと具現化できていないのだと思う。自分は何を望んでいるのか、自分は何をしたいと思っているのか、相手にどうしてほしいと思っているのか。その辺りを言語化できないでいるのだと思う。

 

 

もしも自分の考えを上手く言語化できればキレる人は減るだろう。もしも自分の思いを言葉という形にして相手に伝えることができれば、安易な「怒る」とか「キレる」という手段をもちいなくても済むはずだ。

 

 

「人はこうして犯罪を犯すようになる」という犯罪理論の中に緊張理論というのがあって、これを少し歪曲して解釈すると、「人は自分がやろうとしていることがうまくいかない時に犯罪を犯す」ということになる。自分が「ああなりたい」という理想、相手を「こうしたい」という欲求。それらを正当な方法で満たすことができないと、今度は不正な方法で満たそうとするのだという。

 

 

「自分の思いをうまく言葉にできない」というのも、緊張理論に当てはまるはずだ。モヤモヤした自分の思いや、「相手にこうしてほしい」という欲求。それをうまく言葉に乗せて相手に伝えることができれば、相手に伝わる。相手が自分の思うとおりに動いてくれる確率は高い。

 

 

けれどうまく言語化できない人は、それができないのだ。言葉にする習慣が無いために、思いを紡いで言葉の糸にすることができないのだ。

 

 

その結果、残るのはモヤモヤした思いだけである。満たされないことの不満だけである。イライラして、むしゃくしゃして、安易な手段に頼るしかなくなる。怒ったりキレたり。かんしゃくを起こす子どものようなものだ。

 

 

だから僕は、思いを言葉にする練習をした方がいいと思う。自分を表現することだ。自分の気持ちを表現できるのであれば、音楽でもスポーツでも何でもいいのだけれど、直で気持ちを表現できるのは、やはり文章を書くことだろう。作文である。

 

 

「自分はこう思っている」「あなたにはこうして欲しいと思っている。」「こんなことを考えている」そんな自分の内側を、外に向かって表現する。そうすれば緊張状態が開放されて、思いが伝わって、欲求が満たされて、イライラすることもなくなるだろう。キレることがなくなって、子どもは非行に走らなくなる。社会から犯罪はなくなる。作文である。

 

 


 

 

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