優しさの基本は、「未来は決まっていない」ということに尽きる

2020.01.03 (金)

優しさの基本は、未来は決まっていない、ということに尽きる。人生には何が起こるかわからないのだから、自分を犠牲にしてたところで、本当に自分を犠牲にしたことになるのか、というとわからない。自分を犠牲にしたつもりで、犠牲どころか利益が入ってくることやメリットになることだってあるのだ。

 

 

犯罪や非行は暴力性から発生するもの。だから、暴力性の反対のことを世に広めれば、社会から暴力性はなくなるだろう。「社会」というと自分とは関係の無いことのようにも思えるが、「家庭」と言っても良い。家庭から犯罪や非行をなくすには、ということだ。暴力性の反対は、優しさだろう。人に優しく接すれば、家庭から犯罪や非行はなくなるのだ。

 

 

で、どんな風にすれば優しさを発揮できるのか。それは目の前に人参をぶら下げられたときだろう。人気ブロガーのちきりん氏は、この人参をぶら下げることを「インセンティブ」と言っている。個人が行動を起こす際の欲求だそうだ。この欲求があると、行動に移せる。

 

 

優しさはというのは、基本的には自分を犠牲にすることだ。相手を優先する。自分は我慢をする。という構図になる。だが、これではインセンティブもくそもないだろう。自分が我慢をする、自分が妥協する、自分が犠牲になる、ということでは、行動を起こす際の欲求にはならない。どうすれば欲求になるのか。ヒントは抽象的にみることだろう。具体的に見てしまっては、優しさとは自分が損をすることでしかない。が、それは卑近的に物事をみているからなのだ。もっと時間的にも空間的にも広がりをもって見てみれば、広い視野をもって物事を見ることができるだろう。そして、抽象的にみれば、優しさも自分が損をするばかりではないことがわかるだろう。

 

 

ヒトはついつい物事を具体的に見てしまう。世の中には具体と抽象という対になる考えがあって、これは右と左、北と南、のようなものだ。方向性である。大きいとか小さいとか、高いとか低いとか。それと同じような感覚で、具体か抽象か、というのがある。具体とは、わかりやすくてはっきりしている。それに対して抽象とは、わかりにくくてモヤッとしている。火星と木星のようなものか。太陽系の中で岩石惑星の火星が具体のイメージ、ガス惑星の木星が抽象のイメージだろうか。

 

 

我々は木星を想像しにくい。だって、ガス惑星と聞いて、どんなところなのか。もしも自分が木星に飛ばされたらどうなってしまうのか、木星に行けと言われたら行けるのか、そんなことすら想像できないだろう。対して火星についてはイメージできる。自分たちが住んでいる地球に似ている岩石惑星だからだ。火星に飛ばされたらどうなるか、木星よりは想像できるだろう。「酸素が必要だな」とか「◯◯年後には行けるのかな」とか。

 

 

ヒトは具体に囚われてしまう。わかりやすくてハッキリしたものと、わかりにくくてモヤッとしたものがあると、ついついわかりやすくてハッキリしたものの方を選んでしまう。易きに流れるからだ。難しいものと簡単なものでは、簡単を選んでしまう。労力は使いたくない。想像のエネルギーを消費しない方を選ぶ。だから易きに流れるし、具体的な方を選ぶ。

 

 

物事も、ついつい卑近的な視点で決めてしまうし、選んでしまう。本当は誰でも人生には何が起こるかわからない、なんてことはわかっているはずだ。予想外の、想定外のことだらけだってわかってしまう。けれど、ついつい想像しやすい具体的な範囲で、近い範囲の中で選択し、決定してしまう。本当はダイエットしなければならないのに、目の前にお菓子を出されれば食べたくなってしまう。

 

 

優しさは自分を犠牲にすることだ。相手を優先して、自分を後回しにすること。でもこれは、卑近的に見た風景でしかない。人に優しくすれば、自分を優先することと違って、社会全体にメリットが広がるだろう。社会に住むしかない、行きている限り社会に属するしか無い僕ら人間にとって、そのことは、決して関係の無いことではないはずだ。

 

 

例えばディズニーランドに子どもを連れて行ったとして、帰り時間をどうするか、が問題になると思う。大人の僕らからすれば、混んでいないパレードの前に帰ってしまいたい。早く家に帰れば、翌日の仕事への疲れも大事になることはない。けれど子どもからすれば、せっかくディズニーランドに来たのだから、パレードを見てから帰りたいのだ。この場合、相手を優先することが優しさだろう。どんな「子どもため」という建前を作ったからといって、早く帰ることを選んでは、自己中であり、それは優しさとは対極の姿勢である。

 

 

未来は決まっていないのだ。早く帰ったからといって、渋滞に巻き込まれるかもしれない、事故に合うかもしれない。なにより子どもの楽しみを奪ってしまうので、信頼を失うだろう。吊るされた人参としては、「未来は決まっていない」ということだ。自分を犠牲にした方がメリットが転がり込む可能性がある。どっちもどっちだ。未来は決まっていない。どっちを選んだところで、どっちが自分の利益になるかはわからない。というのが、優しさを発揮するための、インセンティブとなる。

 

 

ついつい具体に囚われてしまうのだが、抽象的に考えれば、吊るされた人参は見えてくるものなのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

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