優しさを発揮するには、最悪のケースを想定しよう

2020.01.02 (木)

警察官をやっていて思うのだが、男性の暴力性が一番強く表れる場面なんじゃないか思う。何がなのか。それは「車の運転が」だ。僕は男性しか経験した事がないで正確にはわからないが、おそらく女性には、男性の心の奥底に流れる暴力性というのがないのではないか、と思う。男性にはどんなに表面的には良い人ぶっている人でも、奥底に暴力性が流れている。攻撃性というか、犯罪性というのか。野生の名残ともいうのかもしれない。「悪いことをしてやろう」「規則を破るのが格好いいじゃないか」「相手が苦しむ姿を見るのって快感」というやつだ。まあ、あからさまに持っている人は滅多にいないが、くまなく誰もがもっている。こういう暴力性が一線を越えて吹き出てしまうのが、犯罪なのだ。

 

 

で、この暴力性が日常生活の中で一番顕著に表れる場面が、車の運転なのだ。

 

 

基本的に、僕は車が嫌いだ。あんなにお金がかかって、しかも汚い自己アピール、相手と自分とを比べてマウンティングの道具にされるものもないのではないか。高級外車に乗っていれば「オレって成功者?」と思うし、高級外車に載っている他人を見れば「車の事をわかっていないのに格好ばかりつけやがって」と思うし。自分よりもグレードの低い車を見れば、「オレのほうが上だ」とも思うし。けどこんな風に思うのって、それだけ車というものが魅力的だからだ、とも思う。僕は車が嫌いだけど、それはそれだけ車に魅力があることの裏返しだからなのだろう。

 

 

車の魅力が普遍だ。世の中のほとんどすべての男の人が、車という物に魅力を感じるだろう。ときどき「オレは車になんか興味ない」みたいな事を言ったり、そんな態度を取る人がいるけれど、それはやせ我慢しているか、自分の欲求に自分で気づいていないか、いずれかだろう。だから、僕は「車好き」という言葉を信じない。「あの人は車好きだから」とか、そんな言葉を信じない。なぜなら、男であれば車好きは前提だからだ。「女好き」のようなものだ。基本的に男であれば誰でも女好きなのであって、改めて「女好き」ということは、二重で言っていることになる。「お腹が腹痛」のようなものか。

 

 

 

で、「男の暴力性が一番顕著に表れるのが『車の運転』」という話。車は魅力的なので、男にとって車や車の運転はプライドに直結するのだ。周りから「下手だ」と思われたくないと思うし、「車について詳しくない」というレッテルを貼られると、悔しく思う。男にとって運転は競争だ。相手よりも上手に、スマートに運転して、目的に早く着く。これを目的にしているのだ。どんなに近場でも、例えば近所のコンビニに車で行くにしても、抜かされたらむムシャクシャするし、流れに入ろうとして入れてくれないとイライラする。男とは、男にとって運転とはそういうものなのだ。

 

 

警察には犯罪や交通事故などの110番がかかってくるが、その中にトラブルというのがある。「相手とケンカになりそう」とか「暴力的な対立が収集がつかない」というものだ。ご近所ドラブルとか、家庭内トラブルとか、職場でのトラブルとか。で、そんなトラブルの中に、「交通トラブル」というのがある。「車を運転していてトラブルになった」というものである。「車を運転していてのトラブル」とは、110番でかかってくるトラブルにおいて、一つのジャンルを築いているものなのだ。

 

 

しかもこの交通トラブルには、必ず男性が絡んでいる。男性が絡まない交通トラブルはない。「人間は男性か女性かしかないからそんなものだろう」と思うかもしれないが、女性どうしでは交通トラブルにはならない、ということだ。トラブルになる車の運転手が、両方とも男性であればもちろんトラブルになりやすい。片方が男性でもトラブルになる。両方とも女性であれば、男性が絡まないので、110番通報するだけのトラブルにはならない、のだ。男性という生き物には暴力性が備わっているし、その暴力性が顕著に表れるのが車の運転なのだ。

 

 

 

だから、その暴力性が一番顕著に表れる車の運転という場面で特に、意識して人に対して優しくしてはどうかと思う。哲学なんかでも、ニーチェは苦しみを回避する思考方法を考えるときに、「どんな時に一番人間は苦しみを感じるか」を考えて、永劫回帰を考えた。一番、最悪のケースを考えるのだ。一番最悪のケースを考えて、それを克服することができれば、大抵のことは克服できるのだ。だから、世の中の男性も、車の運転の時に、意識して人に対して優しくしよう。車の運転において「人に優しく」とはどうすればいいのか。それは、「相手に譲る」ということだろう。運転していて、脇道から出ようとしている車、車線変更してはいってこようとしている車。そんな車を見かけたときに、入れてやるのだ。入れてやるとは、車の運転にとおいては、自分の前に入れてやるしか無いから、自己犠牲が伴う。自分を置いておいて、相手に譲るのだ。そうすれば、男性の暴力性が一番顕著に表れる車の運転に置いて、人に優しくしたことになる。一番最悪のケースを克服することになるのだ。

 

 

もちろん、小さな事かもしれないが、具体的で現実的な、身の回りのことから始めよう。

 

 

もちろん、「形ばかり優しくしたって、本性、心、根が優しくなければどうしょうもない」という意見もあるかもしれない。それもそのとおりだが、形から入るのも方法としては「あり」だと思う。スポーツをする際に、格好から入るようなものだ。モチベーションだって違うし、背水になることもある。形でも、本質でも、どっちから入ってもいいのだ。

 

 

男性の暴力性が一番顕著に表れるケース、車の運転において、人に対して優しくしよう。そんな心構えが、犯罪と非行を社会からなくすし、家庭からも無くすのだ。

 

 

 

 


 

 

 

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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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