犯罪と非行をなくす根本的な方法が降ってきた
僕はかねてから言っているのだけれど、犯罪を無くす根本的にして究極的な方法は、思い込みを利用することだと思う。
「犯罪者なんていないのではないか」「犯罪なんてものは存在しないのでは」「悪なんてものは無いんじゃないか」という風に思うことができれば、わざわざ「どうすれば社会から犯罪を減らせるか」「どうしたら世の中から非行が無くなるのか」なんて、できるかどうかもわからないことを考える必要もなくなる。
そもそも、犯罪なんてのは思い込みでしかないのだ。「犯罪」とか「非行」とは言うけれど、「犯罪とは何か?」あるいは「非行とは何か?」と切り詰めて考えていくと、僕たちが普段犯罪だと思っているものが、犯罪とは別のものだということに気がつく。
犯罪とは、「構成要件に該当する有責違法な行為」である。この犯罪の定義に当てはまらないものは、どんなに僕たちが悪を感じても、それは犯罪になり得ないのである。
僕たちは漠然と「犯罪=悪」という構図で考える。犯罪とは、社会が発展したり人間が生活したりするのに害悪を及ぼすもの。あるいは不幸をもたらすものだと考える。けれど、本当に犯罪とはそんな悪なのであろうか。
犯罪が悪だとしたら、どうして世の中にのさばっている害悪は無くならないのだろう。ざっと周りを見回しても、捕まえられずにのさばっている悪はごまんとある。街なかには風紀を乱すような若者がいるし、公園には不衛生な浮浪者がテントを張っている。
道路上にはオラオラした雰囲気の車が騒音を上げながら走っているし、あおり運転やバイクの爆音走行だってのさばっている。近所には自分のことしか考えないで夜中でも騒音を出している自分勝手な家庭があるし、ネット上には誹謗中傷が溢れている。
悪と思われるものはたくさん社会にあるのに、それらはなかなか無くならない。もしもそれら悪が犯罪なのであれば、法律でもって一掃してほしいものだ。
どうしてこれらの悪は無くならないのか。それは法律が不完全で、全ての人間の好みを反映した内容にすることが不可能だからである。当たり前だけれど、価値観は人それぞれ別々である。コロナ自粛期間中と言えど、街なかに出歩きたい人はいるし、逆に感染防止の観点から「ステイホーム!」を厳守する人もいる。
オラオラした運転を気にしない人もいれば、オラオラした運転こそが悪だと感じている人もいる。それら全ての願いを叶えるだけの法律を作ることは、不可能なのだ。
たとえ僕が「これは悪だ!」と思っているものでも世の中には放置されているものがたくさんあるように、世の中の人たち一人ひとりにアンケートをとれば、どの人も社会のどれかに悪を感じているだろう。
「悪をなくす方法」というと、真っ先に「法律で」なんて思い浮かぶと思うが、法律なんてものは不十分で、悪を根絶やしにするには十分でない。
ではどうやって犯罪と無くすかと言うと、思い込みを利用するのである。
「コップに半分入った水を、『半分しか入っていない』と見るか『半分も入っている』と見るか」のように。「財布に入っている全財産の一万円を、『こんなにある』と見るか『これしかない』と見るか」のように。見方でもって、対象を自分にとって都合よく変えてしまうのである。
そこで今回紹介する「見方」だが、これは「原因なんて無い」という見方だ。因果関係を否定するのである。
僕たちはよく、原因についてアレコレと考えを巡らす。例えば、親であれば子どもの非行について「子どもの頃に甘やかしたのがいけなかった」とか。事故被害者であれば、交通事故時の相手運転手が「スマートフォンを見ながら運転していたから、歩行者である自分に気づくのが遅れたのだ」とか。
原因なんていうのは、自然な状態からの逸脱があって初めて考えを巡らせるものである。もしも子どもが非行に走らず健全に成長して入れば「健全に成長した理由」なんて考えないだろうし、買い物帰りに無事言えに帰れれば「無事に家に着いた理由」なんて考えないだろう。
原因を考えるというのは、自分にとってなにか不都合な自体が起きたときなのだ。自然な状態や好ましい状態から道を外れた時に、初めて「どうしてこんな事になったんだ」「なんでこんな自体になったんだ」と思いを巡らせるものなのだ。
「悪い結果」というのが起きて初めて、「では原因は何だったのだ」と時間を遡ることになる。原因と結果は時間的に「原因→結果」の順番で発生するものではあるのだけれど、探る時は「結果→原因」と逆になる。結果があってはじめて気になるのが原因であって、そういう意味では原因とは結果があってからこの世に出てくるものだとも考えられる。
そして、原因とは「悪い結果」を発生させたものであるから、原因とは諸悪の根源となるものである。原因とは、正ではなくて不正でなくてはならない。善ではなくて悪でなくてはならない。そうでなければ、悪い結果が起きた以上、その責任はどこにも行き場がなくなってしまうからだ。
僕たちが原因に求めているものは、諸悪の根源としての役回りなのだ。それを悪と特定できれば、自分がその束縛から解放されるようなもの。罪や責任を押し付けられるようなもの、それが原因に求められる性質なのである。
交通事故の被害者家族は、交通事故の原因を警察から説明されて、納得できるものと納得できないものがある。うまく罪や責任を押し付けられるものであれば納得するし、うまく罪や責任を押し付けることができないようなものであれば納得などできない。
事故の原因が「スマホを見ながらの運転」と言われれば、それを諸悪の根源として納得できる。それに対して「道路が混んでいたから」なんて言われた所で、諸悪の根源として罪と責任を押し付けるには役不足である。たとえそれが、第三者が見ればキチンとした原因として成り立っているように思えても。
絶対的な悪として、非難の矛先を向けやすければ向けやすいほど、原因としては相応しい。
つまり、「原因が何かと」追求する作業は極めて主観的なものであって、そこに客観性なんてものは存在しない。数々の要因が複雑にからむ世の中の出来事において、どれか一つを「これが原因だ!」と選ぶ過程は、恣意的なものであって、そこには必然性なんてものは存在しない。
でも、そんな主観的で恣意的なものが、本来の原因追求なのである。原因追求が主観的で恣意的なだと言われたからと言って、落ち込んだりする必要はない。原因だと思う対象に対して「申し訳ない」と思う必要もない。なぜなら、原因の究明とはそういうものだからである。
「真なる原因かどうか」なんて基準で原因を僕たちは選べない。それが悪として、自分にとって都合がいいかどうか。自分が罪と責任を押し付けられるかどうか。それを原因として選んで、自分が罪と責任から解放されるかどうか。それが原因を選定する際の正しい視点なのだ。
自分にとって都合がいい、自分が解放される、自分が罪と責任で悩む必要がなくなる。そんな身勝手で暴力的な姿。それが原因であって、原因を追求する際の姿なのである。
ただ、もし少しでも原因に対して客観性を持たせたいのであれば、「どうして自分はそれを原因だと考えるのか」を考えると良いだろう。「結果を招いた原因とは、数限りなく存在するはずなのに、あえてそれを選んだ理由は何なのか」である。
そんな、原因を「それ」と特定する自分の思考回路はどんな所からもたらされたのか。その過程を静かに追求することが、原因に客観性を付け足すせめてもの救いなのだと思う。
何かを原因だと思って憎み、それに罪と責任を押し付けようとしている考えは、実は空虚なものなのだ。「この犯罪が原因で自分は不幸になった」「自分が今こんな状態なのは、あの事故が原因だ」などと考えるのは多くの事故被害者や犯罪被害者がやっていると思うが、そもそも原因追求自体が、自分の思い込みでしかないのだ。
誰が見ても、誰が考えても納得するような客観的な原因なんてものは存在しない。あるのは、分厚く積み重ねてきた、ただの人生である。
この世に宇宙ができて、地球ができて、日本大陸ができて、生命ができて、ヒトという種族ができて、日本社会ができて、近代社会ができて、車ができて、現代道路事情ができて。
車はスピードを出せるようになり、携帯電話はスマートフォンへと発展し、現代社会は情報に溢れ、いつでも情報に接しなければならなくなり、スマートフォンはいつでも気軽に手に取れるような小型のサイズに進化し、現代日本社会は資本主義を採用し、「より早く、より多く、より欲求のままに」の効率性が求められて。
こんなに事故の原因足り得るものが溢れている中で、原因を「スマートフォンを見ながらの運転」に帰結してしまうのは、極めて主観的で恣意的である。
そう考えると、犯罪なんてものは無いのだろう。非行なんてものは無いのだろう。あるのは思い込みだけである。
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