誰かを嫌うことが平和な社会をつくる〜ひとを〈嫌う〉ということ
人を好きになることが世間一般的に好意的に受け止められるのに対し、人を嫌うことが好意的に受け止められることはない。人を嫌うことは、自然な状態からの逸脱であって、社会を乱す忌むべき感情なのである。
もしも誰かを嫌いになったら、その嫌いという感情は、公にしてはならない。公にしてしまえば、周囲の人間から避難される恐れがあるし、嫌いの対象である人物からも嫌いという感情が返ってくる可能性が大だからである。
とはいっても、僕らは嫌いという感情を抜きにして人生を生きることができない。しかも、嫌いという感情を抜きにした人生などありえないことをわかっている。それなのに、僕たちは嫌いという感情にフタをして、あたかも嫌ってなどいない風を装いながら生活している。腹の中で煮えくり返るくらい嫌いという感情が渦巻いているにもかかわらず。
著者は、嫌いという感情にフタをすべきでは無いと主張している。自然な感情だからだ。強姦は良くないけれど、性欲が愛というスパイスを人生に足してくれるように、嫌いという感情もストレスではあるけれど、それによって人生が彩られるものなのだ。
「感情を素直に受け止める」という点に関しては僕も賛成で、素直な感情をうまく表現する術を身につけることが実りある人生を作ると思うし、素直な感情を他人が出したとしても、それを邪見にしないことが良いのではないかと思う。邪見にしてしまうと、素直な感情が出しづらくなるからだ。
人は人を嫌うと同時に、人は人から嫌われるものである。本書を読むまで盲点だったのだけれど、僕たちには表に出してはいないにせよ、相当な数の嫌いな他人が存在しているにも関わらず、いざ自分が誰かから嫌われていることがわかると、この世の終わりのように絶望的な気分になる。
「自分のどこがダメだったんだろう」「自分は何か気に触るよなことをしたのだろうか」と。
けれど考えてみてほしい。「嫌いにはなるけれど、嫌わないでほしい」というのはあまりにも不自然な考えだろう。自分が他人を嫌うように、他人も自分を嫌うのである。「嫌いな人間がいる」のが誰にとっても自然なことなので、その嫌いの中に自分が入ることも、けっして不自然ではないのだ。
相手を嫌いもするし、自分が嫌われもする。好きと同じように、嫌いが存在する社会が自然なのだ。自然に湧き出てくるものを無いものとして考えたりせず、あるものとして付き合っていく。そうやって生きていくことで、悩みや不安が減るのではないか。誰かから嫌われているとしても、それが自然な社会なのである。好かれるように、嫌われもするのが人間なのだ。
本書の中では学校の先生が例として上げられていたが、これは警察官を初め、社会で特に品行方正を求められる立場の人、全員に当てはまる。
先生だって生徒を嫌いになるし、警察官だって被害者を嫌いになるし、政治家だって国民を嫌いになるものだ。品行方正を求めて、生徒を嫌い、被害者を嫌い、国民を嫌う政治家を避難したりしないほうが良い。同時に、先生や警察官や政治家は、生徒や被害者や国民を嫌うことを隠したりしない方がいい。
タテマエで仕事をせず、ホンネを隠して生活せず。赤もあるし青もある、光もあるし影もある。そんな複雑なグラデーションが人生であることを、多くの人に知らしめたほうが良い。そうでなければ盲目になって勘違いする人が増えてしまう。
生徒は「先生は生徒を嫌わない。嫌う先生は自然な状態からの逸脱である」と。被害者は「警察官は被害者を嫌わない。嫌う警察官は自然な状態からの逸脱である」と。国民は「政治家は国民を嫌わない。嫌う政治家は、自然な状態からの逸脱である」と、盲目的になってしまう。
嫌う方も嫌われる方も、「嫌い」が存在する社会が自然であることを表に出して、裏のない社会で生きるほうが健全なのだ。
それと本書では嫌いの原因についても言及しているが、嫌いの原因とは、限りなく主観的なものである。僕たちは結果に対する原因を、「誰にとってもそうであると思うような客観的なもの」として考えがちであるが、原因とは極めて主観的なものであって、嫌いに対する原因も同じである。
犯罪や事故で家族をなくした被害者家族が、「同じ様な被害者を出さないために」なんていうことがあるが、それが後から取ってつけた理由であることは明白である。結局は、自分が納得したいだけなのだ。
「原因を追求するとは、原因に罪=責任を押しつけることによって、自分がその力から解放されること」なのだそうだ。
嫌う原因だってそうだ。嫌うということは自然ではあるけれど、シンプルでハッキリとした理由があるわけではない。それまでの人生が幾層にも重なり合って、ある種の化学変化が起きた結果が嫌いという感情である。
その複雑な中から、自分にとって都合のいい具体的な数個を取り出したのが、僕たちの言う原因である。嫌いの原因とは極めて主観的で、「誰が見てもそうだろう」とか「誰が考えてもそうに決まっている」という類のものではない。
僕たちは「原因を作ったのは向こうだ。だから向こうが悪い」なんて言って、嫌いという排除すべき感情を作った人間を非難しがちである。けれど、原因っていうものが極めて主観的で、そこに客観性が無いことがわかれば、誰かを非難することもなくなって、平和な社会をつくれるのではないだろうか。嫌ったり嫌われたりしたって、それをなんでも無いこととして受け止められるからだ。
嫌いという感情と冷静に付き合っていくことが、平和な社会を作るのには必要なのだ。
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