個人が生きにくい社会で、使える個性を強くする
僕は今、非行診断士として活動している。これは完全な個人としての活動である。どこの会社に勤めているわけでもなく、どこの組織に属しているでもなく、すべて「千葉とうしろう」として活動している。これは、「組織に所属しなければお金を稼ぐことが難しい」という日本社会を打破する狙いがある。最終的には、「個人として活動する人が報われる社会になってほしい」「個人で稼ごうとすることが全然『有り!』」「組織とか会社に入ってなくてもいい」という世の中になってほしいと思っている。もちろん、会社や組織に属するかどうかは、それぞれの考え方次第だ。「会社勤めって格好いいよね」とか「組織の一員って、『男』って感じがしていいね」などと思うのであれば、会社や組織に属して仕事をすることもいいと思う。その辺は個人の自由なので、とやかくいうのは無粋だろう。
けれど、誰だって一度は思うのではないだろうか。特に社会に出ていった若者は。社会人になってものであれば、だれでも思うのではないだろうか。それは、「社会人って生きにくい」である。
確かに組織の中で一人前になるには、きちんと戦力になって組織に自分を雇ってくれたことを還元できるようになるには、仕事を覚えなければならない。雇われている会社がどんな組織なのか、何をしようとしているのか、どんな強みを持っているのか、実際の仕事は何なのか、などを学ばなければならない。だが、そのためには、どこの組織でも下積みをやらなければならないのだ。すでに何年も前からその会社で仕事をしている先輩に教えられて、教えてもらうためにセコセコと言うことを聞いて、可愛がってもらうためにアレコレといい顔をして。嫌なことを我慢しなければならないのだ。この、「戦力になるまでには、立場が弱い下積みを我慢しなければならない」というのが、僕は解せないのだ。
だってそうじゃないか。どうして「戦力にならない=嫌なことでも我慢」が成り立つのだろうか。使い物にならないことが、どうして先輩の言うことを聞くことなのだろうか。別に「フェアじゃないだろう」とか「社会は平等なはずだ」とか「倫理的によくない」と言っているわけではない。純粋に、戦力にならないと虐げられるという組織の構図に疑問を思うのだ。
僕もよく組織とか集団というものについてわかっていないことがある。だが、もしも組織というのが戦力にならないものをしいたげるものなのなら、もしも会社というものが若手に我慢をしいるものなのなら、「組織に属することはないんじゃないか。会社に雇われることに魅力はないんじゃないか。わざわざ雇用されて生きていくよりも、他の道があるんじゃないか」というのが行き着いた考えである。
非行診断士としての活動は、この考えの実践の場である。個人が社会という中で、どうやって生きていけるのか。本当に雇われずに生活できるのか。個人として生きていくにはどんなことが必要なのか。そんな実験の場であり、僕としてのフロンティアであり、僕の人生なのだ。
今、個人で活動している人がぞくぞくと増えている。フリーランスとしての活動の場が増え、個人での活動を応援するプラットフォームも開発され、たとえばユーチューバーのように社会現象、というか一般的に認知されている職業もある。が、まだまだ少数だろう。一般的には、会社に雇用され、組織に属し、いわゆるピラミッドの中に入ることで、お金を稼いでいくことがメジャーである。
僕は本当に知りたいし、試したいし、そうあってほしいと思っているのだ。個人として生きていくことができる世の中であってほしいのだ。そのための取り組み、ということになる。世の中には理不尽がたくさんある。嫌だと思うことばっかりだ。道を歩けば「おかしいな」と思うことにぶつかってしまう。そんな理不尽たちの最たるものが、人間関係に端を発しているのだろう。とりあえず今のところ、この人間関係の悩みをなくすために、つまりは会社に務めなくても生きていけるように、強くなろうとしている。個人としての能力をあげるのだ。社会で稼げるようにスキルや知識を上げている。突き詰めると、この「能力をあげようとすること」自体をどうにか無くせないかとも思うのだが。まあとにかく、自分の武器を磨いている。
今では漫画を読むことも減ったし、ゲームをすることも減ったが、子どもの頃に読んでいた漫画や遊んでいたゲームには、実に色々な個性のキャラクターが出ていた。パーテイーを組んで冒険をするときなどは、それぞれの分野に突出した連中がパーティー内にいて、ゆるい関係を築いていた。その関係とは、個性があるからいられる、際立ったパーソナリティーをもっていられるから存在している、ような関係だった。ハンターハンターの幻影旅団とか、湘北高校バスケ部とか、ファイナルファンタジーの主人公たちとか。たしかにストーリーの中で彼らは努力をして一員になっている部分もあるが、読者視点でいえば、そこにいるのは、登場人物としてなりたっているのは、個性があるからだろう。個人として切り分けられているから、そんざいしているのだ。
だからとりあえず、「個性を前面に出す」「個性を前面に出せるようにする」というのが、現段階で、社会の中で個人として生き抜く方法であるのだろうと思う。組織の一員になることが求められる社会で、「使える強い個性」というのが、僕が目指したいものの中での折半だ。理想を現実の中に当てはめた場合、今の所の落とし所が「使える強い個性」だ。
なので、警察官としての経験、社会の中の子どもの存在、正義や規則、というのが僕の分野であり、それプラス発信力というのが僕の個性ということになる。社会を生きる上での、今のところの武器だ。登場人物としてのキャラクターだ。
社会は変わっていくだろう。変わらなければならない。どんな人間でも生きやすくなるべきなのだ。たとえ今の社会に合わなくても、組織に属することが苦手でも、会社員になることを拒否っていても、それでも伸び伸びと生活できる。そんな方向に、社会が向かっていけばいいと思う。そのときには、僕も最前線にいたい。個人として生きられる世の中を作ろうしている、フロンティアの開拓者たちの一人になれればと思っている。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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