千葉とうしろうのプロフィールについて(後半)
前半は、民間企業から公務員に転職したところまでを話しました。後半は、独立起業した経緯についてです。
警察官になった当初は楽しかったです。「警察官になって目標を達成した」という到達感もありました。公務員試験の勉強は、仕事終わりにファミレスで勉強していたんで。仕事が終わってファミレスで勉強して、夜に職場に呼ばれて職場に戻って、トラブルを片付けてからまたファミレス、という日もありました。
警察官のメリットは、レアな経験をできることです。警察官にならなければ経験できないことっていうのは、たくさんあります。そのどれもが貴重です。なぜなら、警察の仕事っていうのは、社会の隅にまで入り込んでいるから、社会を根底から支えているからです。
普段、生活していて意識することはありませんが、警察の仕事っていうのは、社会を根底から支えています。でもそれを意識することはほとんどありません。それほどうまく、警察の仕事は社会に入り込んでいます。で、ちょっと社会からずれたことをすると、急に警察官が現れるんです。車のスピード違反だったり、拾い物を届けないで自分の物にしたり、「これくらい大丈夫だろう」と思って人の自転車を勝手に盗んだり、ムシャクシャして自分を抑えられなくなって人を殴ったり物を壊したり。そうすると、いきなり警察がその人のところに現れるんです。社会からずれたことをする人はいないか、警察は壁一枚隔てた向こう側から常に見ています。いつでも飛び出す準備をしています。
警察官はよく、人が我を忘れるくらい取り乱している場面によく遭遇すると思います。人間の喜怒哀楽が頂点に達している場面です。交通違反で取締を受ける人は、警察に食ってかかるくらい怒り心頭の人が多いです。
傷害の被害者・他の人から殴られた人は、悔しくて悔しくてしょうがないでしょうね。逮捕されてこれから自由を奪われる人っていうのは絶望だったり、後悔だったり、怒りだったり。チカン容疑で捕まった犯人の家族は、悲しさのショックで、事実を知らされたときに言葉が出てこないほどです。事故で子どもが死ぬかもしれない状況になったお母さんは半狂乱です。そういう、周りが見えないくらい主観が極まった人がいる場面で、それを外側から客観的に見ている状況っていうのがよくあるんです。そのような状況っていうのは、警察官でなければ経験できない場面だと思います。
非行診断士としての私の強みは、警察官の経験があることです。みなさんは、警察官の経験があることが、事業をする上で強みになると思いますか?確かに警察官の経験を持った人間は山のようにいます。全国には30万人近い警察官がおり、毎年全国の若者を採用しているので、現役の警察官に限らず「経験者」ということであれば、その数は計り知れません。
警察経験者がたくさんいる中で、どうして私の場合、警察官の経験が強みになるのか。それは、自分の考えを自由に表現している警察官がいないからです。警察官の経験がある人間は山のように入れど、その経験をアウトプットしているのはごくわずかなのです。
もちろん「警察官としての立場はこう」「警察的にはこう考える」という、組織の考えをアウトプットしている人間はそれなりにいるかもしれません。ですが、自分の考え、自分オリジナルの熟考した結果、組織でなく自分はどう思うか、をアプトプットしている人間はほとんどいないのです。
これには、2つの理由が考えられます。まず外的なプレッシャーです。警察組織には古い体質が残っているので、寡黙なことが美德とされています。おしゃべりは警察官としてあるまじき行為なのです。もちろん「不必要に情報を漏らさない」という意味もあるのでしょうが、「黙っているのがいい」というイメージが一人歩きしてしまい、何事につけても黙っているのが善、というバイアスがかかっているのです。
もう1つは、アウトプットしようという人がいない、内的な問題です。「黙っているのが善」という組織の中にいると、一人一人の視野が狭くなり、アウトプットすることを軽視してしまうのです。もしくはアプトプットという選択肢自体が考えられなくなっているのです。
アウトプットは視野を広げます。「自分はこう思う」「自分の考えはこうだ」というのを表明して、初めて、外からも情報が自分の元にやってきます。情報は、看板を出した者の所にやって来ます。視野が狭い警察官はアウトプットすることがないため、さらに視野が狭くなります。負のスパイラルなのです。
私が警察を離れて独立起業したのは正にこの点で、警察組織は縛りが多い、故に視野狭窄の人間は大量に製造しているからです。自分もそのような人間になるのが嫌だったから、もっと広い世界で自分を試したかったからです。
警察官は、社会から模範を求められます。「警察官であればこのような態度をとるべき」「警察官であればこんなことをしてはいけない」というものです。ですが、この模範の要求が警察を縛り、ひいては社会にとって害悪なのです。
なぜ模範を求めることが社会にとって害悪なのか。確かに警察官に対する監視の意味はあります。ですが、これでは警察官は突っ込んだ対応ができなくなるのです。聖人君子のような態度・対応を要求されるため、一歩引いた態度で当たり障りのない事しか言えなくなるのです。
例えば家族間トラブルということで通報現場に行き、家族間の話を聞いたとします。この時に「家族の誰を当分引き離したほうがいい」と思えても、そのような踏み込んだ対応に躊躇してしまいます。なぜなら、引き離したほうがいいと思われた人間から「公平に扱っていない」と思われかねないからです。警察官は万人を公平に扱うことを社会から求められているので、公平に扱っていないと受け取られる行為はリスクになります。
「そんなプレッシャーなんか関係なく対応するのが仕事だろう」と思う人もいるかもしれません。ですが、何事もなければ賛辞も何もない割りに、何か問題があればすぐにお上の責任を問うこのご時世では、このようなプレッシャーを意識しないで仕事をすることは不可能とも言えます。
さらに、模範の要求に対して組織が応えようとすることが問題です。一見当たり前のことです。国民県民の要求に対して応えようとすることは理想とも言えます。ですが、これではブラックな職場環境を作ってしまうのです。
「自分を省みずに職務に専念する」「まず第一に国民県民のことを考える」という理想の警察官像はプレッシャーとなり、それに組織が応えようとすれば、職場環境は悪くなる一方です。警察官はやすみたい時に休めず、帰りたい時に帰れない状況です。
私は子どもが熱を出した時に、この職場環境の悪さを痛感しました。朝起きて、保育所通いの子どもが熱を出している。保育女には預けられない。私と妻、どちらが仕事を休むか。という時です。私は「男が休めるわけないでしょ」と言って、いつも妻に仕事を休んでもらっていました。本当は「仕事を休むのに男も女も関係ない」と思っていながら。
そして退職していく先輩方を見て、「この組織は長くいるところじゃない」と思ったのです。退職していく先輩方が魅力的に思えず、「自分はこのような50代60代になりたくない」と思ったのです。
退職していく先輩方を見ていると、ベルトコンベヤーに乗って退職日まで流されているように見えます。ベルトコンベヤーに乗って警察人生を流し、ある日突然ベルトコンベヤーから落とされて退職日を迎える。落ちたその先には、同じような何の取り柄もない、大量に製造された既製品の山が積まれています。
「自分は警察官をやってきた」「唯一無二の経験をしてきた」「オンリーワンの存在だ」と思っていたら、実はそのような勘違いを刷り込まれた退職者が大量にいたことを、後の方になってようやく知るのです。
このように、私が警察官を離れて独立起業したのは、警察でのレアな経験から得た事をアウトプットして利用することが、自分のため、さらには社会のためになると考えたからなのです。
プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。
非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。
子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。
頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。
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