児童虐待はどうしてなくならないのか。年配者の交通事故と同じで、それは自己中という人間の性(さが)だから

2020.08.23 (日)

法律と現実がマッチしていない

児童虐待がなくならないのにはいくつか理由があって、一つは子育てと法律がマッチしていないから、という理由があるでしょう。

 

 

子育ては大変です。親にとって子育ては、自分を削って子どもに奉仕するようなもの。自分の時間、自分の体力、自分の予定、自分の食べものなど、自分の人生の一部を削って子どもに分け与えます。

 

 

子どものためにご飯を作って、ご飯を食べさせて。子どもが泣けば落ち着かせて泣き止ませるし、病気になれば仕事の予定をキャンセルして病院に連れていきます。食べるものだって子どもを優先にするので、自分が食べようと思っていたものでも子どもが欲しがれば与えます。

 

 

こんな風に書くと、「それって親なんだから当たり前じゃん」とか「それは親の義務でしょ」なんて思う人がいるかも知れません。文章に書いてみると大したことがないように思えるのですが、意外とそうでもないんです。私は自分が落ち着いてご飯を食べられないことに、とても大きなストレスを感じました。

 

 

私は食べることに大して興味は無い方だったんです。味にこだわりがないので、一般的に言われている「美味しいもの」と「美味しくないもの」の境界が曖昧です。「口に入ればいい」みたいな感じで。

 

 

でも、幼児といると自分のタイミングご飯を食べることができず、口に入れることすら落ち着いてできません。「自分は今まで食に興味はなかったのに、それは『落ち着いて食べられる』という前提があってのことだったんだ」と自分の甘さを思い知らされました。

 

 

子育ての大変さは親になってみなければわからないことが多いですし、たとえ親になった経験があったとしても時間が経てば忘れることです。自分のことは大変でも、自分から離れれば離れるほど物事は一般化され、「なんだそんなこと」と思うようになります。人は自分が可愛いので、自分のことは大変に思えても、それが他人事になった途端にそれがあたかも当たり前であることのように見てしまいます。

 

 

法律も、国の政権がつくったものなので、極めて他人事です。たとえば児童虐待防止法では、子どもの前での夫婦げんかが児童虐待に当たるようですが、私にはこの解釈がタテマエ重視でつくったキレイゴトのように思えます。夫婦げんかをしない夫婦などなく、子どもの前での夫婦げんかを法律違反にすると、ホンネを隠してタテマエで生きることが称賛されることのように思えます。

 

 

このように、児童虐待がなくならない理由の一つは「法律と現実がマッチしていない」ことにあります。子育てが大変でストレスを伴うものなのに対して、児童虐待かどうかを判定する基準が厳しいのです。

 

 

虐待の認識がない

もう一つ、ここで書いておきたい児童虐待がなくならない理由の一つは、自分が児童虐待をしていることを認識していない親が多いことです。

 

 

親も含めて、人は自己中でしか生きられません。先程も書いたのですが、世界の中心にあるのは自分自身なので、自分のことは特殊であると考える割に他人に対しては一般的に考えがちです。自分の子育てを「大変だ」と考える割に、他人の子育てには「そのくらい、親として当たり前でしょ」という視線を投げかけます。

 

 

自分のことに対しては「これは大変なことだ」と考えるので、法律の例外であるかのように考えてしまいます。つまり自分に甘いのです。たとえ世間では児童虐待と言われていることでも、自分の場合は「しょうがない」と考えます。児童虐待防止法的にはアウトなことをわかっていても、いざ自分がその立場になると「しょうがない」と考えるのです。

 

 

これは児童虐待に限ったことではありません。

 

 

たとえば道路交通法違反、つまり交通違反でもそうです。ニュースを見て「スマホのながら運転で児童の列に突っ込む」なんて記事を見れば「ながら運転なんて信じられない」と思うし、「年配者運転の車が事故」なんて記事を見れば「お年寄りの運転は危ないなあ」なんて思います。

 

 

けれど、そう言う自分は模範的な運転をしているのかというと、そうではないことがほとんどだと思います。運転中でもスマホが近くにないと落ち着かない人は多いでしょうし、年齢に関しても「自分は大丈夫」とか「自分は車がなければ生活できないし‥」と思っている人がほとんどです。

 

 

児童虐待がなくならない2つ目の理由は、「『自分の場合はしょうがない』と考えるので、自分がやっていることが児童虐待だという認識がない」です。

 

 

人は自己中だから

児童虐待がなくならない理由を2つ書きました。「法律と現実がマッチしない」と、「虐待の認識がない」です。

 

 

ここから何が見えてくるかと言うと、「人は限りなく自己中だ」ということ。人は自己中にしか世の中を見られないから、社会に歪みができて犯罪や虐待が跡を絶ちません。

 

 

逆にういと、自己中でないとやっていけないのかもしれません。法律の制定にしたって、他人事だと考えなければ法律なんてつくれないのでしょう。子育てだって、法律に合わせていたら何も進みません。

 

 

他人ごとだから一般化して見られるし、自分ごとだから特殊だと考えられます。他人ごとだから公平な目でもって法律をつくれるのだし、自分ごとだから少しくらいのハードル(法律)をものともしない推進力をで進むことができるのです。

 

 

児童虐待がなくならない理由はいくつかありますが、1つ目は法律と現実がマッチしていないこと。2つ目は虐待の認識がないことです。このウラには、他人のことを一般化して自分のことを特殊化して考える、人間の性(さが)・自己中があるのです。

 

 


 

 

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