黙らずに個人として相手に伝える勇気を〜「思いやり」という暴力

2020.05.07 (木)

 

微妙な舵取りだ。著者の推奨する「ソクラテス・プラトン型の対話」とは、崖と崖の上に通した10メートルほどの細いロープを渡るようなものである。

 

 

左側に転がれば、相手を徹底的に打ちのめして「自分は決して悪くない」と言い張り、自己の権利ばかりを追求して相手の話を聞かないような社会。右側に転がれば、空気ばかりを読もうとして、正義とは関係のない自分が得することばかりを追求し、穏便に、自分も含めて個人は誰も責任を取らなくて済むような、なあなあな社会。

 

 

一般的に、前者は欧米型で、後者は日本型である。欧米型が良いとは言わないが、日本型のままで良いとも思わない。著者は、日本型にほんの少し欧米型の意識をプラスするだけで、いい塩梅の社会が実現するという。

 

 

日本人は、個人攻撃を好まない。大学などの学校で特に顕著だと思うが、態度やマナーの悪い学生がいても、注意することは悪なのである。なぜなら、先生が学生に対して注意をすると、個人対個人の構図になってしまう。これを僕たち日本人は嫌うのである。

 

 

ではどうするかと言うと、僕たちはお上の力を利用しようとする。個人が注意することのないように、先生だったら学校という立場から注意してもらう。学生だったら先生という立場から注意してもらうのが良いのだろう。

 

 

自分で気に入らないことが普段の生活の中であっても、すぐに警察官を利用しようとするのはそのためである。自分では責任を取りたくないのだ。個人として責任を取らされるだけの勇気がないのだ。度胸がないのだ。責任を取らされそうになった時に、それを跳ね返せだかけの論理・考えを持っていないのだ。

 

 

著者はこれを、言葉の力を信じていないからだと言う。日本人は、言葉の力を信じていないのだ。では何を信じているのかというと、言葉の裏にある空気である。「言葉で発せられるものは表面的なものでしか無く、その裏に真意が潜んでいる」ということを日本人どうしでは読んでいるし、理解している。

 

 

だから日本人にとって、言葉とは過ぎ去っていくものでしか無い。かたち上のものでしか無い。大事なのは、タテマエの裏に隠されたホンネだからである。

 

 

 

今日の、何か言われるとすぐに黙ってしまうような子どもができてしまったのは、そんなタテマエ主義の犠牲である。正義を語ろうとせず、真実を追求しようとせず。

 

 

例えば、本当のことを言うよりも、自分が犠牲になるウソを付くほうが美徳だとされている。こんな時は、真実を追求するべきだと著者は言う。だんまりなどせず、「自分はこう思う」「自分はこう考える」という心にフッと浮かんだことを相手に伝えようとするべきなのだ。

 

 

自分のホンネを話すには、勇気が必要である。誰にとっても正しい意見などありえない。自分の意見を話すということは、誰かにとってマイナスなことを話すということである。誰か一人敵を作るということになる。

 

 

けれど、それは本当の意味での敵ではないのだ。打ち負かす必要はないし、「打ち負かそう」としてはいけない。敵となった相手とそこで対話をして、真実や正義に迫らなくてはならないのだ。

 

 

何よりもコミュニケーションが大事だ。だんまりになってしまうようなコミュニケーションの拒絶が一番怖い。反感でもいいし、嫌いになられても良い。嫌いなら嫌いと言わなくてはならない。「何気ない思い」を口に出して、「自分はそうは思わない」「自分はこう思う」「その考えは違うんじゃないか」という素直な気持ちを相手に伝えることが必要なのだ。

 

 

そのためには、対立が欠かせない。対立があっての対話である。お上がスローガンによって「犯罪をなくしましょう」と集団に向かって話しかけるのではなく、そこで必要なのは、個人が個人に対して伝える、という姿勢なのだ。

 

 

相手に伝えるものは、必ずしも正しいものでなくて構わない。その時点で自分が正義だと思うものである。自分が勝つことが目標になってはいけないし、自分の権利を主張するだけではいけないし、相手を打ち負かすことがゴールになってもいけない。自分が間違っていそうなのであれば、訂正することも必要である。あくまでも目指すべきは、真実であり正義だ。

 

 

摩擦を恐れてはいけない。自分個人に降りかかる責任を回避しようとしてはいけない。これらを恐れたり回避したりしようとしては、お上に判断を回すことになり、それでは空虚な、誰の心にも響かない言葉の羅列になってしまう。

 

 

自分の人生と経験をかけて、自分の頭の中を相手に伝えること。そして、受け取る方も、勝利至上主義にならずに、真実や正義を目指す方向として受け取ること。身を張って相手と戦うのである。戦うと言っても、自分固有の体験を材料にして、客観的な心理を目指して戦うのである。

 

 

ルールや規範意識という空気を頼るのではなく、自分個人として相手に伝えなくてはならない。そのためには、対立の向こう側にある、自分の権利でもなあなあでもない、客観的な真実を追求するのだ。勇気を持って、言葉で伝えることを信じて。

 

 

 


 

 

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