サイボーグ009の記事と、犯罪と非行をなくす方法の共通点は「不寛容」である
「少しの色の違い、少しの言葉の違いですら、許しあえないでいるじゃないか」
そんな言葉で始まる記事が、日経新聞の社会欄に載っていた。「1964→2020」という連載記事で、1964年に開催された前回のオリンピックと、来年開催される今回のオリンピックを比較したり共通点を紹介するような連載のようだ。で、今回がその一回目。紹介されていたのは「サイボーグ009」である。
これは、日本を代表する漫画家である石ノ森章太郎氏の代表作である。このサイボーグ009だが、連載が始まったのが1964年らしい。東京オリンピック開催の年だ。
サイボーグ009のメッセージは寛容性のようだ。サイボーグのメンバーは、世界各国から集められている。日本、アメリカ、中国、アフリカ、ヨーロッパ……。年齢もバラバラで、赤ん坊だって混ざっている。この多種多様なメンバーの混合チームが戦う相手は、人間の憎悪や不寛容だという。1964年、平和の象徴として開催された東京オリンピックとは裏腹に、世界では憎悪や不寛容が漂っていたという。冷戦真っ只中で、中国では東京オリンピック開催中に核実験を実施して保有国になったそうだ。
時は2019年、来年はオリンピックがもう一度東京で開催される2020年。いまだに世界では小競り合いが絶えない。27日には、「中東海域を航行する日本関連船舶の安全を確保する」という目的で自衛隊の中東への派遣が閣議決定された。戦争どころか、犯罪だって非行だって、いまだに社会からは無くならないでいる。
石ノ森章太郎のサイボーグ009と同じで、僕のメッセージは寛容さだ。世の中にいまだに残る犯罪や非行。それを無くすには、社会に寛容さを広げるしか無い。「少しの色の違い、少しの言葉の違いですら、許しあえないでいるじゃないか」というメッセージにあるように、少しの違いくらい、気にならないようにしなければならない。気にならなかったり、許せる違いの範囲を、徐々に広げていかなくてはならない。
どうすれば、少しの違いを気にならなかったり、許せたりするようになるのか。それには、違いのある複数のものを、同じだと見れるようになることだ。例えば肌の色。黄色だったり、白色だったり、黒色だったりするだろう。確かに細かく見ていけば、明確な違いはあるだろう。更に細かく分類することもできる。黒っぽい黄色、白色に近い黒色、黄色のような白色……。目を凝らしていけば、亀裂は更に細かくなるだろう。が、これでは不寛容が広がるだけなのだ。
「違いを許せるかどうか」
これは、社会に優しさや寛容さを広げるための核になる。それは、社会から犯罪と非行をなくすためのキーワードにもなるはずだ。社会から犯罪と非行をなくすために僕らが考えることは、「どうすれば違いを許せるようになるか」なのだ。
「違い」というのは、けっこう手強い。気になってしまうからだ。例えば僕は昨日、仕事中に怪我をしてしまって、やkから足首の皮膚が少しだけすりむけていて痛い。そこの皮膚にだけ、違いがあるのだ。肌色の皮膚が広がっている中のいち部分にだけ、皮膚がすりむけている赤色があって、気になってしょうがない。初めは気づかなかったのだが、「痛い」と思うと際限がなくなって、ズボンを履くときとか、靴下を履く時、風呂に入るとき。どうしても違和感がぬぐえなくなる。違いというのは異様なほど、人間の注意を引くものなのだ。
何事も、違いを違いと思わない思考法が、犯罪と非行を社会から無くすには必要なのだ。身近な所から始めよう。「気にする必要なんかない。同じじゃないか」と考えたり、「どっちでもいいじゃないか」という、違いのある複数のものを同じと見ることを、普段から実践すればいいのだ。それは、直接に「平和」だとか、「寛容さ」だとか、「多様性」なんていう大風呂敷を広げたようなワードに引っかからなくてもいい。徐々に範囲を広げるのだ。
スタバで休憩する時に、いつも使っているコンセントプラグのある席が埋まっている。そんな時に、「コンセントプラグがついていない席でもいいじゃないか。コンセントプラグがあろうとなかろうと、どっちだって良いじゃないか」と思えるかどうか。そんな風に世の中を見られるかどうかなのだ。
いつものシュガードーナツを注文しようとして、カウンターケースからシュガードーナツがすでに消えている。もう売り切れている。そんなときに、「じゃあチョコスコーンでもいいじゃないか。どっちでも変わらないじゃないか」と思えるかどうか、シュガードーナツとチョコスコーンの共通点を見つけて、違いのある2つのものを「同じだ」あるいは「似ている」と思えるかどうか、なのだ。
「少しの色の違い、少しの言葉の違いですら、許しあえないでいるじゃないか」
違いを気にしないようにするにはどうすればいいのか。離れている複数のものを同じに見るにはどうすればいいのか。東京オリンピックが再び開催される2020年にこそ考えたい。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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