落合陽一氏の口癖と、東洋思想の境地の共通点

2019.12.30 (月)

落合陽一氏がよく使う言葉の一つに、「一周回って……」というのがある。

 

 

確かツイッターで言っていたのだけれど、レトロに感じる物に対して、もう一度光を当ててみる、というた内容だっと思う。一般的に見ればレトロ感や昭和感などの古さを感じるものなのだが、それにあえてスポットを当てよう、という趣旨だ。例えばフィルムカメラとか。フィルムメラなんて使っている人なんて、今はいないのだけれど、もはや誰もいないからこそ、新鮮さを感じるたり、斬新な視点でみられる、というもの。例えばアナログものとか。一般的にはアナログよりもデジタルものの方が時代的には新しいのだけれど、そこをあえてアナログに焦点を当ててみると。そうすると、新しい視点が得られたり、それまでにない発見があるかも、という考えだ。それを落合氏は、「一周回って……」という表現をつかっている。

 

 

十牛図というのがある。十牛図とは、禅における悟りのプロセスを絵として表したイラスト集である。子どもが牛を探し、牛を見つけ、捕らえ、家につれて返ってくる、という物語形式になっている。ここで牛とは、「悟り」とか「心理」など、東洋哲学が究極とする境地をあらわした象徴と見なされている。下記は、ウィキペディア参照の十牛図である。

 

面白いのは、悟りを開いてたどり着いた境地、10番目が、再び元の世界へ戻ってくる、というものだ。悟りを開こうとして旅をしても、ゴールにあるのは、元の世界なのだ。悟りを開こうとして色々な苦労をしても、結局は元に戻ってしまう。悟りを開いていない人と、悟りを開いた人、両方が世の中には存在するのだが、悟りを開いたからと言って、悟りを開いていない人と違うのかというと、そうではない。何も違わないのだ。同じように俗世に住んでいる。一周まわって、結局は元にもどるもの。それが悟りなのだ。

 

 

ここずっと、哲学とか思想というものに興味があって、ずっと本を読んでいた。というのも、哲学を勉強すると、前提だと思って疑いすらしなかったことを、「それって前提だよ」と教えてくれるからだ。当たり前だと思って疑わなかった。当然だと思って物事を考える前提にしていたもの。それを、「それって当たり前じゃないよ。それすら覆せるものだよ」と気づかせてくれる事が、哲学は非常に多いのだ。

 

 

例えば「人それぞれ」という考え。争いを回避したり、良好な人間関係を築こうとする際に、「人それぞれ」という考えは有効だろう。相手を尊重して、自分を謙遜する雰囲気を出してくれるのだ。「自分が自分が」と言っていてもしょうがない。そんなことばかり言っていては、相手に「なんだコイツは」と思われてしまう。争いごとも、相手の視点を想像しないで、自分の価値観に盲目的になるからこそ生まれるのだ。自分が唯一正しいと思うから、相手を銃撃したり、相手に爆弾を落としたりできるのだろう。

 

 

けれど、この「人それぞれ」という考えすら、ある一点から広まったものなのだ。あたかも「人それぞれ」は人類普遍の価値観であって、「一人ひとり価値観なんて違うんだよ」というのが、コミュニケーションの前提のように思われるが、そうではない。この「人それぞれ」という考えは、構造主義の影響らしいのだ。構造主義は20世紀になって、サルトルをレヴィ・ストロースが批判した時から出てきた思想だ。その影にはソシュールの一般言語学講義が影響している。「人に自由とか主体性って無いんじゃないの? 無意識とか社会の構造とか、自由とか主体性とは別のものから支配されている部分が大きいんじゃないの?」という思想だ。ここから、「人それぞれ」というのが広まったらしい。それまで価値観とは西洋の価値観でしか無く、歴史とは西洋の歴史でしかなかった。ところが、「価値観だって歴史だってそれぞれだよ? 未開の部族には、別の価値観、別の歴史観があるんだよ?」と構造主義はいうのである。

 

 

僕がいて、それ以外の人がいて。別の人生を歩んできて、別の脳みそを持っていて。決して「人それぞれ」以外だとは思はないだろう。どう考えても、「人それぞれじゃない」価値観や考えの世界なんて、想像できない。でもそれが、構造主義の影響なのだ。それしか想像できない。そこから脱することができない。すっかり構造主義は、我々の前提になってしまっているのである。

 

 

前提をひっくり返してくれるような面白さに引かれて、思想や哲学の本を読んでいった。で、最近になって「じゃあ、現代の哲学者は何を考えているのか?」「哲学の最前線では、何を考えられているのか」というのが気になった。そこでAmazonで「現代思想」という雑誌を見つけて、ちょっと覗いてみたのだが、そこには哲学を知らなくても考えられるような、現代のキーワードがズラッとならんでいたのだ。

 

 

ジェンダー、グローバリズム、ビッグデータ、ドローン……。

 

 

こういったキーワードから離れたくて、こういった問題を総括的に考える高い視点が欲しくて、思想や哲学を勉強してきたのに。具体的に身の回りに転がっている問題をまとめて考える「答え」が、哲学の世界では見つかると思ったのに。古代ギリシア哲学、キリスト教思想、合理主義、実存主義、構造主義、ポスト構造主義と来て、「じゃあ、最先端は?」と目を向けたら、転がっている問題は、これまでと何ら違わないものだったのだ。

 

 

結局、行き着くところは、これまでと同じ場所だったのである。一周回って、行き着くところは同じだったのだ。

 

 

 

 

 


 

 

 

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