子どもが非行に走るのって、人それぞれですか?
子どもが非行に走る原因は「人それぞれ」なのか。確かに僕たち人間は千差万別である。それぞれの家庭だって千差万別だし、価値観だって十人十色だろう。けれど、だからといって何事も「人それぞれ」で終わらせてしまっては面白くない。
「どうしてあの子は頭がいいの?」「さあ、人それぞれだから理由はなんとも言えないね」
「どうしてあの子の家庭はお金があるの?」「さあ、理由は各家庭それぞれだからね」
「どうして今日はあの子あんなにモテるの?」「さあ、あの子を好きな人には理由がそれぞれあるからね」
こんな感じで何事も「人それぞれ」と言っていては、話が前に進まない。考えが深まらない。
前提として、何事も「人それぞれ」なのは当たり前なのだ。「人それぞれ」で考えを止めてしまっては、法則なるものは見つからないし、社会は発展しないし、個人に幸福は訪れないし、生活していて楽しくない。「自分や自分の周りには、厳密には当てはまらないかもしれないけれど、少し目を薄めてみると当てはまるんじゃないか」「多くのサンプルをとると、こんなことが浮かんで来るのではないか」そんな調子で物事を見るのが、考えることなのだ。
何か物事を考えようとすると、「そんなの人それぞれだよ」と冷めて口調で水を差す人は必ずいるものだけど、そんな人は、自分が避難されることを恐れているだけなのではないかと思う。「人それぞれだよ」という人だって、「例外があるのが当たり前」であることはわかっていると思う。だけど、わかっていない人から「例外もあるよ」と指摘されるのが怖くて自分の意見が言えないだけなのではないか。
現代は、何事も「人それぞれ」と考えるのが一般的になった世の中だと言われている。僕たちは、なにか物事を考える際、どうしても「究極的には人それぞれ」という土台から逃れられない。「人それぞれ」から離れて考えることができない。
というのも、自分と自分以外の人が、同じ価値観を持っているなんて、どうしても想像できないからだ。自分は自分だけの人生を歩んできたから、自分という人間になったわけだ。自分オリジナルの人生を持っている。あんな両親の元にうまれて、あんな友人たちに囲まれて、あんなタイミングで転機があって‥。その積み重ねが自分という人間である。万人がそれぞれオリジナルの人生をもっていて、だからこそ違う価値観なのだ。同じ価値観があるなんて思えない。
けれど、この「人それぞれ」という考えは最近になって出てきた考えらしい。このことは「寝ながら学べる構造主義」という本に書いてあって、「人それぞれ」という考えが一般的になったのは20年ほど前かららしい。
これは、最近ではずいぶんと世界が平和になってきたことからも言える。歴史を見てみれば、人間の歴史は戦いの歴史だ。いつも世界のどこかで戦争は起きていたし、戦争や争いや戦いのない時代なんてほとんどなく、いつでもどこかで戦争があったのだ。
戦争において、「あの国に攻撃を仕掛けよう」という考えは、「自分たちの価値観は向こうの国の価値観よりも優れている」というところから来る。だから攻撃を仕掛けて自分たちの国の価値観を押し付けようとしているのだし、そうでなかったら攻撃など仕掛けないだろう。
もしも「向こうの国には向こうの国の価値観がある」と思っていたら、むやにやたらに自分たちの国の価値観を押し付けようとはしないだろう。攻撃を仕掛けて戦争を始めるのは、自分たちの価値観の方が優れていると思っているからであって、「世界には価値観の優劣を決める共通の尺度が存在する」と思っているからである。
これは「価値観は人それぞれ」という考えとは真逆の考えではないだろうか。「人それぞれ」だと、共通の尺度は存在しないことになる。共通の尺度が存在しないからこそ、「人それぞれ」なのだ。それなのに、共通の尺度があり、優劣を測ることができ、自分たちの価値観が相手よりも優れている、と考えるから戦争を仕掛けてしまう。
現代の、少なくとも日本に生きている僕たちの多くは、戦争を仕掛けようとは思わないだろう。なぜなら、「相手の国には相手の国なりの価値観がある」と思っていて、そういう見方から逃れられないからである。
僕が言いたいのは、「もしかしたら世界は『人それぞれ』ではないのかもしれない」ということだ。僕たちは歴史的に戦争をしている期間が長かったのであって、「人それぞれ」という考えを持っていない期間が長かったのである。「人それぞれ」なんて考え始めたのは、瞬きするくらいの最近のことなのだ。
だから、安易に「人それぞれ」だと考えるのは偏った考えかもしれず、そこで考えを止めてしまうのはもったいない。「人それぞれ」だと考えるのはいいけれど、それが思考の全体を締めてしまってはダメだ。「人それぞれ」というのは頭の隅に置いておいて、それを前提にしつつも、「共通する部分はどこか」「法則は見いだせるのか」と、奥深くまで考えを進目なければならない。
子どもが非行に走るのも、人それぞれではないのだ。
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