小学校に行きたがらない子どもは、無理にでも小学校に行かせるべきなのか

2020.06.20 (土)

子どもが学校に行かない場合、親としてはどう対処すればいいのか。対象は主に小学生を想定して話をしてみたい。

 

 

もちろん、色々な家庭があって、色々な考えが世の中には存在していることが前提ではある。人それぞれ目的だって、人生に求めるものだって、親子関係だって違うだろう。各家庭それぞれで、価値観だって、家庭内の雰囲気だって、経済状況だって違う。けれど、「人それぞれ違う」とか「価値観は千差万別だし」なんて言っていては、なにも議論などできない。「価値観はそれぞれだ」という類のことを言っていては、「話し合う」とか「人に対して意見を言う」ことそのものを否定することになる。

 

 

「人それぞれであって、家庭それぞれ」であることは前提としてあり、それでも「何がベストなのか」「何がベターなのか」を説くことには意味がある。2500年前から哲学が始まって、「存在とは何か」「認識するとは何か」「人に伝えるとは何か」なんてのを世界最高峰の天才たちが考えているけれど、それでも答えは出ていない。まったくの不毛の議論が続いていて、答えの出ないおんなじテーマで問答し続けている。

 

 

けれど、その答えの出ない問答に意味がないのかというとそうでもなく、しっかりと物事を考える際の土台になっている。気にしないほど、物事を考える際の前提として染み渡っている。けっして真理に手が届いているわけではないけれど、レンガを一つ一つ積み重ねてはいるのだ。一つでも二つ高いところから世界を見渡せば、その光景は地べたで世界を見ている人とは違った光景になる。

 

 

答えは無いのかもしれないけれど、それでも「意見を言い合うことに意味がある」と思って、考える土台にしていただきたい。

 

 

ちなみに始めに「答えがないけど‥」などと言っているのは、僕が自分の意見にまだ自身がないことの現れかもしれないが。

 

 

で、僕は究極的には、子どもは学校に行かなくてもいいと思っている。「何がなんでも学校に行かなくては」「せめて小学校くらいは満足に登校させなくては」という考えに反対だ。というのは、誰も彼もが当たり前のように小学校に通う現状に疑問を持っているからだ。

 

 

経済が自由市場でうまく回るように、思想も自由市場で社会がうまく回る。J・S・ミルが自由論の中で言っているように、様々な意見が乱立しているような状況が望ましい。一つの価値観しかなければ、それが正しい価値観かどうかさえわからない。考えは、他の考えと議論され、練磨されてこそ確固たる土台をつくる。競争相手がいなければ、見えるものも見えてこない。自分の立ち位置もわからない。

 

 

少なくとも、「無理に学校に行くべきか、それとも‥」という議論は、議論するだけの価値のあるものなのだ。

 

 

では、「無理に学校に行かなくてもいい」という意見の根拠はどこにあるのか。学校に行かないことのメリットはどこにあるのか。学校に行かないことのメリットは、時間が増えることにある。これは社会派ブロガー・著者であるちきりんさんも言っていたと思うが、学校に通うことの大きなデメリットは、勉強以外の膨大な無駄な時間に付き合わされることだ。

 

 

思い返すと想像できるけれど、人は集団になると、個人で動くよりも動きにくい。無駄な時間が出てくる。人に合わせる必要があるため、待ち時間が出てくる。友人たち数人で待ち合わせるのですら、待ち合わせ場所での待ち時間が出てくる。生まれ育った環境も年齢も別々の子どもたちが集団で行動するとなると、膨大な待ち時間ががそこかしこで出ている。

 

 

家で子どもと接していても、大人の価値で判断するところの「無駄な時間」がことあるごとにあるのだから、子どもたちの集団である小学校での無駄な時間は、気が遠くなるほど積み重なっていることだろう。

 

 

考えてみれば、小学校に通わないで致命的になるわかりきったものと言えば、算数と国語と英語くらいである。勉強のうち、この3教科は比較的に積み重ねが大切なので、もしもこれらを子どもがしなければ、他の子どもよりも遅れは顕著になるだろう。

 

 

けれど、これ以外は、経験しなくてもそれほど遅れは顕著にならないのではないか。理科や社会は、世の中で生活していれば自然と頭に入ってくるものもあるだろうし、小学校の理科社会を飛ばしたからと言って、中学校で遅れが顕著になるとは思えない。たとえ学校に通って勉強したとしても忘れるものもあるだろうし、致命傷にはならないだろう。

 

 

では集団生活はどうか。社会性と言われるものはどうなのだろう。よく「学校に通わせる派」が持ち出す根拠として「子どもの社会性」が言われているが、これほどあやふやなものはない。そもそも集団で行動して、集団で生活して、集団で勉強したからと言って、社会性が養われるのかというと、それすらも疑わしい。

 

 

集団の中で一人誰とも心が通わないで生活してるよりも、学校以外の場で心を通わせる者を一人か二人持つ経験をした方が、よっぽど社会性を養えるのではないだろうか。

 

 

それに、本当に社会性を養いたいのなら、学校という枠を外した方がよっぽど社会性を経験できるように思える。同じ年齢で、同じ地域で生まれ育った子どもたちを集めるよりも、その外側にいる者とのふれあいのほうが、よほど多様性を経験できるだろう。

 

 

つまり、子どもが「学校に行かない」「学校に行きたくない」と言った場合、後は親の覚悟次第なのだ。子どもにとっての実質的な損失は、そんなに大きくない。国語と算数と英語を勉強する環境を、子どもに提供すること。それだけなのだ。あとは、学校に行くときよりも膨大な時間が増えたと思って喜べばいい。

 

 

少なくとも、学校に通わないことを劣等感として子どもが感じないように、親は子どもが学校に行かないことで悩んだりしない方がいい。子どもの前では「そんな道もあるさ」「人と違うことも人生さ」とあっけらかんとしていて、それでいて裏では、算数と国語と英語を提供できる環境を必死に探す。

 

 

確かに親としての労力は増えるかもしれない。学校が勝手にやってくれていた勉強の提供を、親自身が自分で探さなくてはならないのだから。けれど、それは時間が増えること(自由を手にすること)の当たり前の取引だ。

 

 

たとえば飲食店で、注文を店側の「おまかせ」にすれば、自分で考える労力は省ける。自分で自由に選びたければ、考える分だけエネルギーが必要になる。たとえば海外旅行で旅行会社の「パック旅行」を選べば、あとは勝手に旅行会社が手配してくれる。自分で自由旅行をしたいのであれば、自分で時間とエネルギーを使って、交通手段や予約などを手配しなければならない。

 

 

親である僕たちが労力を費やす覚悟さえすればいいのだ。しかもその覚悟とは、国語と算数と英語を提供する環境をどうするかだけ、である。

 

 

子どもが学校に行かない場合、親としてはどう対処すればいいのか。「学校に行かない」という選択も十分に「あり」で、やるべきことは国語と算数と英語を勉強する環境だけ、なのである。

 

 

 


 

 

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