部屋と人間関係は相関する。犯罪やトラブルと縁を切る方法

2020.04.18 (土)

警察官を数年やってきて思うことだけれど、警察官が呼ばれる家というのは、ゴミ屋敷のような家が多い。

 

 

基本的に警察官は、何かしらのトラブルが無ければ呼ばれない。犯罪とかケンカとか、悪いことが起こった時に呼ばれるのが警察官である。警察官が呼ばれるということは、その家に犯罪や暴力などのトラブル、悪いことがあったということだ。

 

 

つまり、犯罪やトラブルがある家というのは、ゴミ屋敷であることが多いのだ。

 

 

いくつか「こんな家があった」や「こんな部屋があった」を紹介しよう。

 

 

壁という壁がタンスや引き出しで埋まっていて、壁がまったく見えない部屋。こういう部屋は圧迫感がある。本来はもっと広々とした部屋だろうに、収納だらけで部屋が狭くなってしまっているのだ。

 

 

それから家の中で猫を数匹を飼っていて、家の中が猫のフンと、毛と、引っかき傷だらけの家もあった。この家には母親と高校生くらいの子ども(男の子と女の子)が住んでいて、離婚した父親が家に押しかけてくる、という通報内容だった。

 

 

家に入ると、その異様さは一瞬でわかる。座って話を聞こうとしたけれど、猫のフンだらけでどこに座ったら良いのかわからない。結局立ったまま話を聞いた記憶がある。怖いことに、家主も自分たちの家が汚いことの自覚がないのだ。

 

 

もしかしたら「自分たちの家は汚い」という思いはあるのかもしれない。けれど、その汚い家の中で食事をしたり寝たりくつろいだりしている所を見ると、やはりそれほど汚さが重大だとは思っていないのだろう。

 

 

それから、夫婦喧嘩の通報で入った県営住宅の部屋は、物が溢れている部屋だった。3部屋ほどあったと思うが、全ての部屋が物で溢れている。どうしてそんなに物であふれるのか。何をそんなに買ってしまうのか不思議でしょうがないが、とにかく色々なものが部屋に山積みにされている。

 

 

本だったり、段ボール箱だったり、洋服だったり。それから、子どもが昔使っていたであろう思い出の品もある。3部屋のうち、1部屋は完全に物で溢れていて、入ることができなかった。この入ることができなかった部屋は、物置という作りではない。6畳はあると思われる、人が寝食をするように作られた部屋である。その部屋の中に、床から天井までものが積まれて、全く入れない状態だ。

 

 

僕の子どもがまだ小さかった頃、ご飯を食べさせていた時に、口に多く入れすぎてしまって吐き出させてしまったことがあるが、あんな感じである。多く入れられすぎて、部屋が物を吐き出しているのである。若干のニュアンスの違いだが、もはや物が部屋から溢れているのではなく、部屋が物を吐き出しているのである。

 

 

この部屋に住む夫婦も、自分たちが住んでいる部屋を「汚い」とか「ゴミ屋敷だ」とは思っていたが、それでもその部屋で寝食をしている所を見ると、そのゲージ感覚は僕たちのほどでは無いのだろう。僕なんかは「とてもとても住めたもんじゃない。早く出たい」と思っていたけれど、そこに住んでいる人たちからすれば「いつか片付けなきゃね」程度なんだろう。

 

 

おそらく、部屋の汚さと人間関係というのは相関関係にある。人間関係が汚くて上手くいっていない人や家庭では、部屋も汚くて片付けることが上手くいっていないのだ。

 

 

どちらも片付けることができないのかもしれない。部屋の片付けができない人は、人間関係の片付けもできないと考えられるのでは無いだろうか。

 

 

人の住める部屋を人の住める部屋として維持するには、不要なものを絶えず捨てなければならない。人が住んでいると、不要な物がとにかくたまってくる。それは、人間が成長するからである。

 

 

人が、小学生から中学生になって、高校生や大学生になって、さらには社会人になる。これだけ変われば、その人に必要なものも変わってくる。それなのにいつまでも捨てないでいたら、途端に部屋は持たなくなる。

 

 

時間が経てば、ついさっきまで必要だったものも必要でないものに変わるのだ。物そのものは変わらないけれど、それを所有している人間の方が変わるのだ。いつまでもコロコロコミックを見ているおじさんなんて、怖いはずだ。絶えず物は捨てなければならない。

 

 

それと、自分たちの家の汚さを自覚するために、外部の目というのは必要だと思う。外部の目がないと、自分たちだけでは判断しきれないのだ。慣れがあるので、ついつい「こんなものだ」と思ってしまうのだ。

 

 

猫が可愛いのはわかる。動物は無邪気で純粋な目をしているので、一緒に過ごしたくなる気持ちもわかる。けれど、家をフンや毛や引っかき傷だらけにされて、それでも一緒にいるとしたら、それはもはや感覚が麻痺しているとしか思えない。

 

 

住んでいる自分たちでは判断がつかない。「客観的にはどうなのか」という外部の目を入れる。家族以外の人が時々家の中に入ることが望ましいのだと思う。家を開放するように人間関係を開放して、自分たち以外の人を家の中に招くのがいいんだと思う。

 

 

犯罪やトラブルがある家というのは、ゴミ屋敷であることが多い。物が溢れていたり、汚物が散乱していたり。しかも住人にはその自覚がない。部屋の汚さと人間関係は相関するのである。どちらも不要なものを片付け、こもらず開放することが必要である。

 

 

 

 

 


 

 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。 感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 違反者や酔っぱらいなど、警察の世界にひしめく怒りっぽい人たちを観察してきた僕が、子ども相手についイライラするお父さんお母さんに向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]


 

 

30分の無料相談を承っています。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」「それってどういうこと?」と聞かれた場合や、「どうやって持つことができるの?」と疑問に思ったときに、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子に載せました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んで頂ければと思います。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: 部屋と人間関係は相関する。犯罪やトラブルと縁を切る方法

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP