16世紀に生きたケタ違い哲学者の主著を、現代の僕が理解できるのが面白い〜方法序説

2020.07.30 (木)

 

面白い。

 

 

いや、「方法序説」がこんなに簡単に読めるものだとは思っていなかった。ルネ・デカルトは16世紀フランスの哲学者・数学者で、「近世哲学の祖」や「合理主義哲学の祖」と言われている。デカルトは倫理や世界史の教科書にも必ず載っている哲学界の重要人物なのだけど、デカルトの書いた主著が、こんなにも簡単に読めるとは思っていなかった。

 

 

以前、ユーチューブで「『デカルトの方法序説』は読みやすい」と紹介されているのを見たことがある。その動画を見て僕が思ったのは、「そんな文句には引っかからないぞ」である。どういうことか。

 

 

これまで僕は、あっさりとにワナに引っかかってきた。あまりにも簡単に、読めもしないような難しい本を買ってきて読もうとしていた。

 

 

どれもこれもレビューなんかで「わかりやすい」とか「読みやすい」と紹介されていたり、タイトルに「入門」という文字が踊っていたりしたから。でも僕も徐々に気づいてきた。「『わかりやすい』のレベルが違う」「『読みやすい』のケタが違う」のだと‥。

 

 

幽遊白書より引用

 

いくら「わかりやすい」「読みやすい」「入門」と言ったところで、これらの本は哲学関係の本なのだ。史上最高峰の頭のいい連中が、考えに考えて、自我が失われるほど考えた末に出てきたものを、まとめた内容なのだ。

 

 

僕でさえ、頭の中のモヤモヤを文字にする際は難しい文章になってしまう。「文章は小学生でも読めるくらいわかりやすく‥」とは文章を書く際によく言われるアドバイスだけど、実際に小学生にでもわかるようになんて、簡単にできるものではない。

 

 

僕程度の人間でも、考えたことを文章にすると内容が難しくなってしまうのだ。世界最高峰の思慮集団である哲学者が考えたことなど、難しいに決まっている。深度が違うのだ。奥の奥、そのまた奥の奥まで、深く深く考えるのが哲学者なのだ。

 

 

そんな、地球で言えばマリアナ海溝、火星で言えばマリネス渓谷のような深さのモヤモヤを、哲学者は文字にしている。モヤモヤを文字にする過程で、わかりやすさなどなくなるに決まっている。あるいは、わかりやすさなど構っていられなくなる。あまりにも深いことを考えるがゆえに、哲学者の文章は難しくならざるを得ない。

 

 

もう絶対に騙されない。「わかりやすい」にも「読みやすい」にも「入門」にも、絶対に騙されない。「これらの本を買う時は、『自分にはわからないかもしれない』とか『途中で挫折してしまうかも』という前提で買おう」と思っていた。

 

 

方法序説を買うときもそうだった。購入ボタンを押す時、「また自分は挫折してしまうかも」「また理解できない本が残るだけかも」と嫌な思いが頭をよぎった。だから購入ボタンを押さない可能性もあったはずだけど、なぜか僕は購入ボタンを押してしまった。で、ダウンロードして読んでみた。

 

 

そうしたら意外や意外。意外なほどすんなり入っていけたのだ。「これは‥本当に哲学の古典なのか? だって‥あのデカルトだぞ?」と少し疑ってしまた。

 

 

信じられないことだが、本当に方法序説は読みやすい本だったのだ。デカルトは、長大で広大な哲学史の中でも、上位を争うほどの重要人物。「鬼滅の刃」で言えば「柱」。そんな大物が主著が、こんなにも簡単に読める。16世紀の天才の本を、21世紀の平凡な僕が理解しながら読んでいる。そのことが面白かった。

 

 

「本当に理解できてるのか?」という問いもあろうが、とりあえずは読み進められる程度には理解している。もちろん、翻訳者である谷川多佳子氏の力が大きいのもある。

 

 

まだ第一部を読んだだけだけれど、デカルトの気持ちが揺れているように思えて、とても面白かった。第一章の中には、こんな文章がある。

 

 

「『頭のいいこと』が人間の本質ではないのはわかっているのだけれど、あえて言おう。自分って結構、人並み外れて知識を高めてきたんだぜ?」

 

 

史上有名な哲学者といえど、こんな風に人間味あふれる文章を書いてくれるのだ。情緒豊かな心情だったのだ。21世紀に生きる現代の僕たちと、社会を見る目はちっとも変わらないのではないか。「自分って頭いい方だと思うけど、そんなことあからさまに言ったら損だよなあ」とか、そんなところだろう。

 

 

それと、こんなことも言ってる。「自分は結構、学問をしてきた人間だけど、結局学歴ってあんまり意味ないよね。なんか、知れば知るほどわからないことが多くなる感じ」である。

 

 

さらに続けて言っているセリフはこうだ。「学校の先生の言っていることに従ってたら世界は狭いままだね」

 

 

これらのデカルトの文言は現代の僕たちが聞いても、リアルさを感じないものではないだろう。むしろ「うんうん」とうなずいて共感できるような内容のはずだ。

 

 

それと、ストア派の哲学について、僕も同じ感想を持っていたのも面白かった。「ストアはの書物は、いとも壮麗で豪華ではあるが、砂や泥の上に築かれたにすぎない楼閣のようなものであった」

 

 

僕はセネカが大好きだし、「怒りについて」なんて僕のバイブルだと思っているけれど、たしかに数学のような土台のしっかりしたものではないとも思っていた。

 

 

デカルトは「わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである」と述べていて、それと対極の例としてストアは哲学をあげている。

 

 

僕もセネカの本は、科学的根拠のしっかりしたものではないと思っていた。セネカは、「科学」という名前が歴史に出てくる千年以上前の人間だし、逆にそれなのに、これだけ読者に共感させる文章を掛けることに、僕は大いに驚いたくらいだ。「エビデンスなんか無しに感動させられる文章って書けるんだ」と感動した。

 

 

結果的に行き着いたところは、僕とデカルトでは違うところだけど、お互いにストアは哲学には土台がないというところは一緒だったのだ。史上の哲学者に対して申し訳ないけれど、どこか親近感をもって読むことができた。

 

 

というわけで、「『方法序説』がわかるって面白い」という話。ちなみに「方法序説」とは、正式には「理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法序説」というらしい。「方法序説」というタイトルでは欠落している感があって、「誰かの食べ残しのようだ」と思っていたけれど、正式なタイトルを読んで納得できた。

 


 

 

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