古典を読む意義は、昆虫がケースで飼育される前を考えるのと似ている〜罪と罰(その1)

2020.07.22 (水)

最近、ようやくドストエフスキーの罪と罰を読んだ。

 

 

10年ほど前に、カラマーゾフの兄弟を読もうとして挫折した記憶があるのだけれど、あれ以来、僕も随分と本を読んできたと思う。「本を読むのに必要とされる忍耐力や想像力や理解力は強化されたかな」と思ったんだので、このタイミングで罪と罰に挑戦してみた。で、なんとか読み切ることができた。

 

 

僕が読んだのは、光文社古典新訳文庫の罪と罰。なにかと光文社古典新訳文庫のお世話になっているのだけれど、この文庫はハードルが低いのがメリットだと思う。まずは表紙の絵。何を書いているのかわわからないけれど、とりあえず本として手に取りやすい。そして文字の印刷も、大きいしはっきりしている印象で読みやすいし。「ハードルを下げる」ことに特化した文庫本は、光文社古典新訳文庫が適していると思う。

 

 

で、罪と罰。まあ、予想はしていたんだけれど、そんなに面白くはなかった。読み終えた今の印象は、そんなに面白くはない、ということ。いや、ただただ「面白くない」と言ってしまうと語弊がある。確かに面白いところもある。「ラスコーリニコフは自分の罪についてどう判断するの?」とか「妹のドゥーニャとかマラメラードフの娘のソーニャはどうなってしまうの?」とか「スヴィドリガイロフって結局は何者だったの?」とか。サスペンス的な要素があったので、続きを読みたい感に迫られて、それに引きづられて読破することができた。

 

 

けれど、この作品が「わざわざ他の本を押しのけて読むくらい面白いのか?」と聞かれると、どうもそうでもない。サスペンスとしてなら、他にも面白い現代の小説がいくらでもあるだろう。

 

 

ハッキリ言って、罪と罰は読みにくかった。この読みにくさはどこから来るのかと言うと、これは翻訳のせいだと思う。別に翻訳者のことを責めているわけではない。翻訳という作業が、作品と我々現代日本人の間に入らざるを得ない故に、古典が読みにくいことはしょうがないのだと思う。

 

 

僕が子どもの頃、英会話教室の外国人の先生が、「村上春樹の作品が好きだ」と言っていた事がある。と同時に彼女は、「村上春樹の作品は面白いが、私たちアメリカ人は、本当の意味で村上春樹を理解していない」とも言っていた。

 

 

あの時の英会話教室の先生が言っていたことは、言語の壁であって、翻訳という調味料の弊害である。

 

 

僕たち人間は世界各国で色々な言葉を使って生活している。ネット情報によると、世界には7000もの言語が存在している。これだけの別の言語が使用されているにも関わらず、それでも世界中の人と意思疎通できるのは、翻訳のおかげである。

 

 

地理的条件で使用される言語が違ってくると同時に、時間的変化でも使用されている言語は違ってくる。平安時代の日本語と現代の日本語は当然、同じではない。同じところに住んでいても、時代が違えば使っている言語も違ってくる。

 

 

地理も時代も違えど、人間同士が意思疎通できるのは、翻訳のおかげである。翻訳のおかげで、僕たちは地理を超えて時代を超えて、向こうの世界の人たちとコミュニケーションをとれるようになった。翻訳が間に入ったおかげで、お互いが話す内容を理解することができるようになったのだ。

 

 

本も理解することができるようになった。翻訳が間に入ればアメリカ人が書いた小説を僕たち日本人も理解できるし、平安時代の日本人が書いた小説を、今の時代を生きている現代の僕が理解することもできる。スティーブンソンの小説を僕も読めるし、枕草子を僕も読むことができる。翻訳のおかげだ。

 

 

僕は翻訳は、調味料のようなものだと思っている。口に合わない食材を、口に合うように変えてくれる。たとえば僕の子どもは野菜が嫌いなのだけど、調味料を効かせた料理を出して、食べてもらうようにしている。小学校に弁当を持っていかなければならないのだけど、その弁当に入れるおかずに、野菜もなければ栄養バランス的に良くないだろう。

 

 

肉だけ、ハンバーグだけではいかにもバランスが悪い。そこで野菜を入れるのだが、普通に野菜炒めを出したのでは食べてくれない。子どもにとってはまずくて食べられないのだ。口が受け付けない。僕たち現代の日本人が100年前のロシア語を理解できないのと同じで、受け付けない。

 

 

だから調味料を加える。子どもにとっては受け付けられない野菜炒めを受け入れてもらうために、調味料で子どもの口に合うように味を変えるのだ。苦くて受け容れられなかった野菜は、塩味が効いて口に入れても拒否反応がでないように味が整えられる。

 

 

翻訳とは調味料のようなもので、向こうの世界の言語を、こちらの世界の言語に変換してくれる。難解で受け容れられなかった言語を、自分のなじみのある言語に変えてくれる。こうして受け入れ困難なものを、受け入れ可能なものにしてくれる。これは料理の世界で言えば調味料になるし、言語の世界で言えば翻訳、ということになる。

 

 

子どもは調味料によって野菜を食べられるようになる。僕たちは翻訳によって、地理的にも時代的にも隔てられた作品を読むことができるのだ。

 

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