子どもを幼稚園や保育園に預けることはダメなのか

2020.07.21 (火)

幼稚園の先生に言わせると、親が休みの日は子どもを幼稚園や保育園に預けない方がいいらしい。幼稚園や保育園に子どもを預けることなく、親が子どもの面倒を見えるべきだというのである。親が子どもの面倒を直接見るからこそ親子の絆が深まる、とでも言いたいのだろう。

 

 

親が子どもの面倒を見ないで幼稚園や保育園に預けると、子どもは預け先で暴力的になるのだという。子どもは親と一緒にいたいけど、一緒にいられない。そんな願いが叶えられないときに、イライラが溜まって癇癪を起こすのだという。

 

 

‥とまあ、これが聞いた話ではあるのだけれど、僕としてはこの考えには反対だ。親は積極的に幼稚園なり保育園なりを利用すべきである。幼稚園や保育園をヘビーに利用しても構わない。もちろん、僕には子どもが癇癪を起こすことの理由が、本当に親と一緒にいられないことへの反動なのかどうかわからない。僕は幼稚園や保育園で働いたことはないし、そこまで多くの子どもたちを一斉に見ていたことなどない。

 

 

けれど、もしも親が「子どもを幼稚園や保育園に預けたい」と思うのであれば、その気持を大切にするべきだ。今の日本には幼稚園や保育園に預けることに対する背徳感がある。「本来であれば親が面倒を見なければならないのに、子どもを預けている。親は何をやっているんだ」という雰囲気を感じたとしても、そんな空気は気にする必要はない。

 

 

1 明確に表現できない欲求でも、確かなものがある

もしも「子どもを預けたい」と思うのであれば、自分の心に正直になるべきだ。たとえば僕は、趣味の時間を持ちたいから子どもを幼稚園や保育園に預けたいと思っている。僕の趣味とは、本を読んだり文章を書いたりである。この趣味は一人ですることが求められるため、小さい子どもが近くにいては没頭するのが難しい。

 

 

だから、子どもを幼稚園や保育園に預けるのである。一般的に、「自分の趣味のために子どもを預けること」は理解されないものだ。「自分の趣味のために子どもを預ける」なんぞと言えば、それは口撃のネタにされるだろう。一般論信者という兵隊の、一般論という攻撃の対象になってしまう。

 

 

けれど、自分の趣味や興味を追求することは精神安定上、必要なことだ。他人に尽くすことを身上にして、他人の顔色を伺って生きていては、逆説ではあるが、結果的に他人に厳しい人間になってしまう。「自分に甘い、自分にゆるい」ことを認めなくなるからだ。自分自身を許せるからこそ、他人が自分自身を許そうとすることをも許せるようになる。自分の快楽を優先するからこそ、他人の快楽をも尊重できる。

 

 

2 他人事なので、自分の事情は自分が一番良くわかっている

子どもを幼稚園や保育園に預ける理由があったとして、それがいかに大事なことかは、他人からはわからないものだ。それがいかに重要かは、自分以外ではわかりようもない。自分の考え、自分の思い、自分の価値観を表に出して、一般論と対決することをいとわないことだ。

 

 

大事なのは、「世間的にはこうでも、それに反して自分はこう思う」という反一般論である。自分の価値観に自身を持つこと。自分の内側から湧き出る思いを具現化すること。自分のホンネを絶えず探ること。一般論ではない、自分の直の経験から紡がれる価値観こそが、人生を前進させるのだ。他人にはわからない。自分がそう思ったのであればそうなのだ。

 

 

3 自分の気持ちに反することをしても、イライラするだけ

だいたい、自分の気持に反することをしても、イライラするだけだ。無理をしてもいいことはない。嫌な気持ちで子どもと向き合ったところで、子どもも気分がいいはずがない。いつも向き合っていては、そのものの大切さなんて慣れてしまう。

 

 

たまに行く値段の張るレストランが良いレストランに思えるのは、たまに行くからである。そこが自分の住まいになって、そこに住むようになってしまったのでは、良いものもたちまちよく思えなくなる。子どもも同じだ。希少性があるから可愛いい。子どもの可愛さの一面は、希少性である。

 

 

「いつまでも小さいままではない。いつまでも今のままではない」という希少性があるから、今の子どもを可愛いと思う。いつも一緒にいるのでは、この希少性に鈍感になってしまう。希少性をより際立たせるには、子どもにたまにしか会わないことだろう。子どもを幼稚園や保育園に預けることだろう。

 

 

4 距離を置かないと、子どもを自分のものであるかのように接してしまう。

で、子どもを幼稚園や保育園に預けるのは、子どもに優しく接するためでもある。イライラや怒りの原因の主なものは、距離が近いことである。自分ではない他人を自分と同じだと思ってしまう。たとえ自分の子どもであっても自分とは違う人格を持っている者を、自分がコントロール可能なものと認識するから、その者がいざ自分の意図に反した言動をしたときに、イライラや怒りを感じてしまう。

 

 

自分ではコントロール不可能なもの、自分とは別のもの、どうなってもいいもの、と思えるからこそ、相手を束縛しないで、相手と自分のフラットな関係を築くことができる。関係を上下と見ず、対等と考えるから、相手の自尊心をも尊重できるのだ。

 

 

‥とこのように、世の中には「幼稚園や保育園に子どもを預けるのは仕事の日のみ」のような圧力が溢れているが、そんなのを気にする必要はまったくない。他人は他人、自分は自分、である。

 

 

 


 

 

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