子どもが非行に走るのを防止する見方とは

2018.11.25 (日)

マインクラフトっていうゲームをやったことあります? 最近、家族ではまっているのがいまして、私も横からのぞいて見るんです。特に「何をする」っていう明確な目的があるゲームではないようなのです。ラスボスがいたりっていうのではんく。広大なフィールドでブロックを積み上げて建築物を作ったり、サバイバルを楽しんだり、っていう内容のようです。

 

 

マインクラフトは人気があるようですね。海外の会社が作ったゲームで、世界各国で遊ばれています。コンピュータゲームですが、スマートフォン版やプレステなどのゲーム専用機版も作られていて、すでに世界で一億本以上も売られているのだそうです。

 

 

このゲームを見てまず、「絵が昔のゲームのようだ」と思う人が多いでしょう。世界がブロックで出来ていて、人間も、生き物も、全てがブロックで作られたような絵なんです。だから、ブロックを積み上げたようなボコボコした不自然な感じです。リアルとは対照的なんです。

 

 

抽象的って事ですよね。これに私は最初、悪い意味で面食らったんです。だって、最近のゲームってどれもリアルじゃないですか? とても人が作った世界とは思えないくらい、現実と見分けがつかなくなっています。でも、すぐにこれがこのマインクラフトの魅力であって、世界的な大ヒットの理由でもあるのかな、と思い直しました。

 

 

例えば私は子どもの頃、ファイナルファンタジーで遊んでいました。ⅥとⅦですが、とても面白かったです。冒険をする事がとても楽しくて、ストーリーにハマる事がとても心地よくて、大好きでした。

 

 

でもいつの間にか、私もファイナルファンタジーから離れていったんです。Ⅶの次のⅧくらいから「どこか違うなぁ」って思い始めたんです。これはなんでかというと、絵がリアルすぎるんです。細かいところまでハッキリとしています。

 

 

これは何がいけないのかというと、想像の部分が限りなく少なくなっているって事です。例えば、ゲームには製作する側と遊ぶ側がいます。ファイナルファンタジーでいうと、スクエアエニックスが製作側で、私なんかが遊ぶ側です。

 

 

で、制作側に「こんなにも良いもの作りたい」っていうイメージがあって、遊ぶ側にも「こんな良いもので遊びたい」っていうイメージがあります。このイメージがぴったり重なれば、製作する側と遊ぶ側でベストな状態なんです。制作側は最高のゲームを作ったと思っており、遊ぶ側もそれが最高のゲームだと思っている。

 

 

だけど、お互いのゲームに対するイメージがピッタリと重なることってないんですよね。どこかでズレがあります。例えば、ストリーリーの展開だったり、ゲームの難易度だったり、キャラクター設定だったり。とことん難しくて時間がかかる難易度を好む人もいれば、そこまで時間をかけていられないのでポンポン進むのを好む人もいます。人間の好みは人それぞれ違いますし、社会には数限りない人がいます。それぞれの好みは違っていて当然なんです。

 

 

この好みの部分を修正してくれるのが、抽象的な部分です。ゲームの難易度ですが、人によっていろんな遊び方ができるようになっているんです。時間を掛けて難しさを求める人には、とことん極めるタイプの遊びができるし。ポンポン進むのを求める人には、簡単にストーリーが進むような遊び方もできるし。純粋なストーリー以外にも遊び的な要素が詰め込まれているのがそれです。例えば、武器を全て集めなくてもラスボスを倒せますが、武器の世界も奥深いので、全ての武器を集めることも面白さの1つです。ストーリーの進め方には幅があし、幅を持って遊べるように作られているんです。

 

 

私は、ファイナルファンタジーのⅦからⅧへの移動の過程に「絵に対する幅がなくなった」と感じたんです。「リアルすぎるようになった」「抽象的な部分がなくなった」「想像できる部分がなくなった」と感じたわけで、それっていうのは制作側と遊ぶ側で、「お互いのイメージを修正する事が困難になった」という事です。

 

 

例えばⅦのキャラクターは、ファイナルファンタジーがプレステになって世界が3Dになりましたが、随分と抽象的な部分が残されています。実際に操作する部分はブロックで作られたような絵ですし、服装の細かい部分なんかは表現されていません。

 

 

それに対してⅧのキャラクターは、随分と細かい部分まで再現されています。衣装とか。この「細かいところまで再現されている」のが、遊ぶ側である私のイメージと違ってしまい、ファイナルファンタジーという世界に対して「なんか思っていたのと違うなぁ」と感じる発端になったのです。

 

 

もし細かい部分まで表現されておらず、Ⅶ程度の再現度であったならば、ファイナルファンタジー世界観を、自分の都合のいいようにボカして受け取る事ができたでしょう。再現されていない部分については、自分の都合のいいように想像することで、背作側と遊ぶ側のイメージのギャップを埋める事ができたのです。

 

 

もちろん、どこの部分で修正しきれないほどのイメージのギャップを感じるかは人それぞれです。ⅥとⅦの間で感じる人もいるでしょうし、ⅩとⅪの間で感じる人もいるかもしれません。まだまだファイナルファンタジーの世界観についていける、という人もいるでしょう。

 

 

ですが結局は「リアルすぎる」ということは「解釈の幅が狭い」ということなんです。ぼかす事ができる部分があるから、ついていく事ができる人もいるし、多くの人に受け入れられる、という事なんだと思います。もし世界中の人が同じ世界観を求めていて、それが製作する側にも伝わるのであれば、リアルすぎて困ることはないんでしょう。

 

 

ですが社会の人っていうのは多種多様です。求めていることはそれぞれ違いますし、製作する側にも製作する側のイメージがあるはずです。両者のギャップは存在する事が当たり前なのです。技術が進化して、よりリアルな世界観を作る事ができるようになったわけですけど、それによって、その世界観についていけなくなった人、私のように「思っていた世界観と違うなぁ」と思う人たちも出てきてしまったのです。

 

 

マインクラフトは、リアルすぎる世界観を持ってしまったファイナルファンタジーと違って、抽象的な部分を残しています。世界がブロックで出来ていることです。これが私が「絵が昔のようだ」と思った理由であり、これは「具体的な世界観を再現できるようになった今のゲームと違って、抽象的な世界観しか再現できなかった昔のゲームのようだ」という事です。

 

 

マインクラフトの世界はプロックで作られたようになっているので、制作側と遊ぶ側でイメージのギャップがあっても、無意識のうちに修正されているのです。例えば、マインクラフトのフィールドには花が生えています。この花もブロックでできており、細かいところまでは表現されていません。色々ありますが、赤色のブロックと緑色のブロックを使って作られた花です。

 

 

例えば日本に住んでいる私たちと、遠い異国に住んでいる人たちでは、花に対するイメージが違うでしょう。ニ日本の国花は桜ですが、南アフリカ共和国の国花はプロテアという花だそうです。

 

 

マインクラフトのフィールドで表現されている花は、はっきりとどの花ということはありません。桜でもないし、プロテアでもないし。おそらく明確に「どれ」って決められて作られているわけではないのです。「決められていない」ということは、「解釈の幅がある」ということです。遊ぶ側それぞれが、自由にイメージする事ができるのです。

 

 

日本人がマインクラフトで遊ぶ際、花は無意識のうちに、「桜とかそれに近いもの」と解釈されているでしょう。南アフリカ共和国の人がマインクラフトで遊ぶ際、花は無意識のうちに「プロテアかそれに近いもの」とい解釈されているでしょう。

 

 

この解釈が、イメージのギャップを埋めてくれるのです。例え制作側の「こんなものを作りたい」「こんなゲームがいい」と、遊ぶ側の「こんなもので遊びたい」「こんなゲームがいい」に差があったとしても、抽象的に表現すればいいのです。製作する側が抽象的に作れば、あとは遊ぶ側で勝手に都合がいいように解釈してくれます。一人一人が。

 

 

マインクラフトの魅力は、世界観が抽象的な事なのです。これによって、多くの人がマインクラフトという世界観を受け入れる事ができたのだと思います。

 

 

抽象的という言葉は、よくマイナスイメージの際に使われます。「あの人の言っていることは抽象的すぎる」とか「表現が抽象的すぎるからもっと具体的にしなさい」という感じです。ですが、抽象的だから通じること、抽象的だから分かる事ていうのが、世の中には存在するのです。

 

 

社会には「分かりやすい」という端と「分かりにくい」という端があります。方角に東西南北があるように、「分かりやすさ」と「分かりにくさ」は、世界の対極に位置します。みんな、「分かりにくさ」よりも「分かりやすさ」を求めるので、世界は絶えず分かりやすさに向かって流れているのです。「分かりにくい」ことは皆んなから敬遠されます。それは、「分かりにくい」事は面倒なことだからです。

 

 

分かりにくいことを示されても、自分の頭を回転させなければ、それを理解できません。それであれば、初めから分かりやすいものを示された方がよっぽど効率的です。ですが分かりやすさを求めるって事は、頭を使わなくてもいいものを求めているのであり、それっていうのは解釈の余地を無くすことでもあります。

 

 

世の中は分かりやすい「具体的」をどうしても求めてしまうのですが、分かりにくい「抽象的」を求めることを見直してはどうかと思うのです。なぜなら、抽象的を扱うことによって、相手の身になって考える事ができるようになるからです。

 

 

世の中の多くの人は具体にとらわれています。「分かりにくいこと」と「分かりやすいこと」があれば、「分かりやすいこと」を選択します。「はっきりしたもの」と「ふわっとしたもの」があれば「ふわっとしたもの」を選択します。「近くにある手が届きやすいもの」と「遠くにある手が届きにくいもの」があれば「近くにある手が届きやすいもの」を選択します。

 

 

ですが、分かりやすいもの、はっきりしたもの、近くにある手が届きやすいもの、つまり具体的なものとは、主観的なものでもあります。自分に近いから、分かりやすいのです。自分の側から見られるから、はっきりと見る事ができるのです。自分の立場と近いから、近くにあって手が届きやすいのです。

 

 

ですが、いつまでも具体的なものばかりを求めているようでは、相手の身になって考える事はできません。主観から離れて客観を意識しなければ、ならないからです。客観を意識してはじめて、相手の身になって考える事ができます。

 

 

それには抽象的なものを意識する事です。人は具体的なものに流されやすいものです。自分が流されそうになった際、これは具体的なものなのではないかと疑ってみる事です。この具体的なものの裏には、抽象的なものが隠れているのではないか、と想像してみる事です。自分が見えている世界の他に、他の人が見えている世界があるのではないか、と思いを馳せる事が必要です。

 

 

抽象を意識することで、相手の身になって考える事ができるのです。相手の身になって考える事ができれば、自己中で無くなります。自己中で無くなるという事は、非行や犯罪に走る事がなくなる、という事です。

 

 

非行や犯罪は自己中の塊です。ドロボーも、暴力的な人も、オレオレ詐欺の犯人も、悪いことをする人間には、相手の身になって考える事が欠けています。だから、相手を傷つける事、相手が悲しむ事、相手が存することを実行するのにハードルが低いのです。非行や犯罪をすることに抵抗がないのです。

 

 

非行や犯罪を無くすには、子どもが非行に走らずに素直に成長するには、抽象的な見方、抽象化思考、抽象を意識した世界観が必要です。リアルすぎる世界よりも、解釈の幅を残した抽象的な世界の方が、想像することを促す事ができるのです。想像するで、相手の身になって考える事ができます。分かりにくい、はっきりしない、非現実的、遠くて手が届きそうにない、つまりは抽象的を意識する事が、子どもが非行に走るのを防ぐ見方ができるようになるのです。

 

 

マインクラフトという世界的なヒットゲームをのぞき見しながら、そんなことを考えました。

 


 

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プレゼントの無料小冊子を更新しました。「子どもの非行を防ぐための素直な頭のつくり方」です。

 

非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

子どもは周りから吸収する度合いが強いので、子どもの成長は周りの大人次第の側面があります。「周りの大人が自己中から脱し、素直な頭を持つ事で、接する子どもにも好影響を与えよう」というのが、この小冊子の狙いになります。

 

頭の柔軟性があり、状況や相手に応じて変化できる事。自分だけでなく、相手の考えも認める事ができる事。一つ上から全体を俯瞰できる事。そんな「素直な頭」をつくるための気づきを、この小冊子から得ていただければと思います。

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