自由は難しい〜自由をつくる 自在に生きる
自由に対して、皆さんはどんなイメージがあるでしょうか? 楽っていうイメージないでしょうか? 「何もしなくていい」とか、「のんびり」とか、「悠々自適」のような。怠惰でだらーんとしたものが、自由に対するイメージではないでしょうか?
多くの人が、自由になりたいと思っています。自由っていいものだと思っています。あわよくば、「自分だけでも自由になれないかな」とか「せめて自分に近い人たちだけでも自由になってほしいな」と思っていることだと思います。
でもこの本を読んで分かると思うんですが、自由っていうのは、そんな生易しいものではないんです。簡単に手に入るものではないし、怠けていて自然と近寄ってくるものでもありません。自由っていうのは、こっちから駆け寄ることで手に入れることができるんです。自由を獲得しようとあがくことでしか、自由は手に入れることができないんです。
自由について考えたことがある人はいるでしょうか? 自由とはなんでしょうか。本書では、自由が「思うがまま」であると言っています。「自分の思い通りになること」もしくは、「思うがまま」ということ、故に獲得するのが難しいんです。
なんでも思い通りに降るまることができる人はいませんよね? どこに行くのも思うがまま。何を食べるかも思うがまま。どんな生活をするかも思うがまま。そんな人は滅多にいないはずです。なぜなら、みんな縛られているから。
世の中の人は、多くのものに縛られています。人間関係なり、知識の無さなり。この縛りを無くすために上を見続けることが、自由であることの本質、との事です。自由になるために、思うがままに生きることができるように、そんな高みに到達できるように、絶えず自分を成長させようとすること。それが自由なのです。
だから、自由っていうのは、決して怠惰なものではないんですよね。自由を求めるということは、怠け者のようになるということではないんです。正反対の、ストイックな姿勢が必要なのかもしれません。倒されても倒されてもはい上がっていくよう。
でもその自由を目指す姿勢っていうのは、苦しいものかというと、そうではないようです。「大変だけど心地がいい」っていう感じなのだと思います。自由を得るために努力をしなければならない。自由になるために自分を高めなければならない。その過程は素晴らしいもののようです。
私は決して自由ではありませんが、その気持ちがわかります。おそらくは、「よし、やってやろう」っていう前向きな姿勢になるのだと思います。その前向きな姿勢になるかどうかは恐らく、「やらされているかどうか」が大きく関わってくるのでしょう。
で、自在に生きることへの第一歩は、「気づくこと」だそうです。私たちは知らず知らずのうちに、あらゆるものに支配されています。その支配っていうのは目に見えるわかりやすいものもあれば、目に見えない分かりにくいものもあるのです。
目に見えない分かりにくいものの代表が、「常識」なのでしょう。知らず知らずのうちに、「常識」という認識で自分を縛っています。これに気づくことはなかなか難しいでしょう。なぜなら「自分がとらわれている」と気づくには、とらわれていることをも俯瞰する視点が必要だからです。
井の中の蛙と一緒です。井戸の中の蛙は一度も井戸の外を見たことがありません。だから井戸の外を想像することができないし、「井戸の外」というものが存在することも認識していないのです。井の中の蛙にとって、井戸の中が世界の全てであることは常識なのです。
これに気づくには、疑うことが必要でしょう。自分が常識だと思っていることを疑うことです。自分が当たり前だと思っていること。「当然●●だ」と思っていることを、疑うんです。物事がうまく進みそうな時に、「もしかしたら自分は間違っているのかもしれない」と。自分とは違う価値観の人間が出てきた時に「間違っているのは自分の方かもしれない」と。この疑う気持ちが、自身の常識すらも俯瞰する視点に気づかせてくれます。
支配されている自分を認識するためのは、考えることが必要です。分かりやすい表面的なものに惑わされず、何が本質なのか、を考えるのです。幸い、本質というのは分かりにくいものです。本質を探すということは、考えなければできません。本質とはふわっとしていて、簡単には表現できないものです。本質を表現するには、考えることが必要なんです。
親は子どもに友達を作るように勧めます。皆んなと一緒に遊ぶことを勧めます。周りと同じような黒色や赤色のランドセルを選ぶことを勧めます。だけれど、そこで「なぜ?」と立ち止まることが必要なんです。「なぜ?」と考えることで、上位概念を探ることになります。より抽象的になって、本質に迫ることができるのです。
「なぜ友達を作らなければならないの?」という疑問から「友達とは?」と本質を探る質問が出てきます。「なぜ皆んなと一緒に遊ばなければならないの?」という質問から「皆んなと一緒とは?」という本質的な質問が出てきます。「なぜ赤色や黒色のランドセルなの?」という問いから「ランドセルの始まりは?」「ランドセルの意味は?」という本質に迫る考えが浮かびます。
自由になることは、簡単ではありません。険しい山に登るのと同じようなものです。ですが、それが楽しいのでしょう。自分が高みに登れるように、絶えず自分を成長させること。そのために成長を抑制する、支配されている自分に気づくこと。それが自由になるために必要なことです。
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