本を開いたらディストピアだった。「沈黙」という名の罪
遠藤周作の「沈黙」がどうしようもないディストピアだった。
「主よ、どうしてあなたは黙ったままなのですか」
信仰を捨てないで必死に生きてきた農民たち。役人から拷問されても誰も何も言わない、何も起こらないという無常。そんな光景を目の当たりにして嘆く宣教師のロドリゴ。
「黙して語らず」という言葉がある。
これは警察官をやっているとよく聞く言葉で、取り調べの際の定型文である。被疑者の取り調べをするときなんかに使う言葉だ。被疑者として捕まえた人間を、警察は取り調べをする。取り調べとは、犯行の状況を被疑者本人に語らせて文字にする、という作業である。書かれた文章は調書と呼ばれる。
「いつ、どこで、誰が(自分が)、何を、なぜ、どうした」というのを被疑者に語らせ、犯罪が間違いなく自分がやったことであることを語らせるのだ。起訴するための資料になる。
もちろん、誰もが犯罪を犯したときの状況を語れるわけではない。おそらく語れるのは、自分がやったことを反省して、ある程度距離を置いて見れる事ができる者だろう。「自分が犯人ではない」「自分がやったわけではない」「自分は悪くない」なんて思っている被疑者は、うまく犯行当時の状況を語れない。
言い逃れしようとしてウソをつこうとする。あるいは当時の自分を直視できない。うまく振り返ることができないので、状況を自分の口で語れないのだ。
そんな時に「黙して語らず」という言葉が出てくる。取り調べをする警察官が、調書に書く定型文だ。本当であれば被疑者の言葉で「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どうした」などを長々と書くところ、何も言わなければ何も書くことができない。そんなときは、「何も言わなかった」という意味で「黙して語らず」なんて言葉を使ったりする。
そんな取り調べの定型文を思い出してしまった。神の黙して語らず。犯罪を犯した犯人に対して使うはずの「黙して語らず」。それを神に対しても使いたくなる。それほどまでに、この沈黙は重かった。罪深かった。
初めはロドリゴも、熱い志をもって日本に来た。
「オレがキリスト教信者を救ってやろう。オレは決して屈しない。たとえ捕まって拷問を受けても棄教しない」
そんな熱いハートを持っていた。
実際日本に来てみると、彼は思っていた以上に感激した。年貢に苦しむ農民たちが「パードレ(祭司)」と呼びかけてくるからだ。
かくまわれたボロ小屋の中でミサを開いて、生まれたばかりの赤子に洗礼を与えて、人々から「パードレを待っていた」と涙を流され。彼はやりがいに心を打たれた。
「これこそオレがやりたかったことだ。キリストと同じじゃないか。恵まれない人々に希望を与える。敵ばかりの中、住む場所も食べるものも不自由な敬虔な者に教えを説く。これこそが宣教師の本懐じゃないか」
けれど、そんなこんなで「宣教師がいる」「切支丹がいる」という噂が広まり、早々にロドリゴは役人に捕まってしまう。彼を慕って集まった農民たちも捕らえられてしまう。ある者は町中を引きずり回され、ある者は海中の杭に縛られ、ある者は牢屋にぶち込まれ。
ロドリゴの心変わりが鮮明である。牢屋に農民と閉じ込められていたロドリゴはある時、一匹のハエが飛ぶのを見かける。その日、農民たちが牢屋から連れ出される。農民たちは踏み絵を強要されるけれど、信仰を捨てずに断る。当然、斬首される。
ロドリゴが見たのは、その後も同じように飛ぶハエの姿だ。処刑が執行されても変わらない世界の姿だ。最後まで信仰を捨てず、神を信じていた農民たち。死の直前まで神を称える歌を歌っていた農民たち。彼らが死んでも世界は変わらなかったのだ。処刑の前と後では何も変わらず、同じようにハエが飛んでいたのだ。
ロドリゴは悟る。
「殉教とは、華々しいものではなかった」
彼は殉教を、どこか栄光のあるものだと思っていた。敵が目の前にいて、死ぬことによって、周りにいる人間は神や死の尊さを学ぶ。とてつもない影響力を持つインフルエンサーになれるようなものだと思っていたのだ。スポットライトを浴びるアイドルのようなものだと思っていたのだ。
けど、そんな自分が甘ちゃんだったことに気づいた。自分は何も知らなかったことをわかった。そんな理想は、矢の当たらない安全な場所から前線を眺めている名ばかりの指揮官のようなものだと悟った。
「一人の人間が死んだというのに、外界はまるでそんなことがなかったように、先程と同じ営みを続けている。こんな馬鹿なことはない。これが殉教というのか。なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓が──あなたのために──死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静かさを続ける。この真昼の静かさ。蠅の音、愚劣でむごたらしいこととまるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。」
—『沈黙(新潮文庫)』遠藤周作著
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やがてロドリゴにも、踏み絵を強要されるときがやってくる。悪のお奉行イノウエの通辞(通訳係)が能面のように語りかける。
「形だけのこと。芯まで変わらずともよい」
ロドリゴの心変わりはより明瞭になる。モヤが広まるようにロドリゴの信仰心にも影が広がる。
「踏み絵を踏むだけならいいんじゃないか。自分が踏むことによって、他の農民たちが救われるのだ。維持を張って踏まないでいたって、無駄に農民たちを苦しませるだけだ。形だけ踏んだところで内面さえ変わらなければ、自分は棄教したことにならないのでは」
踏絵にはあの人の顔が彫られている。苦しいときも悲しいときも、いつも思い浮かべてきたあの顔。これまで何百回と想像してきたあの顔。本当はどんな顔だったのかわからないけれど、とてもキレイで、どんなに苦しいことでも甘んじて受け止める慈悲深い顔だと想像できる。
そしてどうなるのか。果たしてロドリゴは、踏み絵を踏んでしまうのか。
踏んでしまうのだ。ロドリゴは、その人の顔に足をつけてしまう。それどころか、ロドリゴは落ちるところまで落ちてしまう。「形だけ」とは言っていたけれど、踏んでしまっては棄教したも同然だということを、ロドリゴはわかっていたのだろう。だからあれほどに拒否していたのだ。
「岡田三右衛門」という日本名ももらって、妻もめとって、住居ももらって。生活を役人から保証されて。葛藤はあったろうが、それでものうのうと日本で生活し始める姿が描かれて、この物語は幕を閉じる。
なんたるディストピア! 正義のヒーローである宣教師が悪のお奉行に屈服して終るという結末!
この「神がいつまでも沈黙している」ことを、世の中の人はどう思っているのだろうか。もしかして未だ解決されていない問題なのだろうか。
どれだけ信じても世界から戦争はなくならない。飢餓は減らない。人間たちは憎しみ合っている。それでも神は降りてこない。この圧倒的な沈黙という事実を前に、宗教はどういう答えをもっているのか。大して宗教心を持たない僕の疑問である。
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