本音を隠しているような、「イヤラシさ」の残る読後感〜年収1000万円「稼げる子」の育て方
すごいタイトルとサブタイトルですねえ。
年収1000万円稼げる子の育て方、わが子をカースト上位に押し上げよ、です。まあ、だいたい予想がつくと思いますが、奇をてらったタイトルにしていて、内容はタイトルよりもマイルドにしています。タイトルはキャッチーにしていますが、中身はそんなにキャッチーではありません。
「あんまりお金の心配が無い人生をおくらせてあげよう」という意味で、タイトルが「年収1000万円」なのだそうです。「子どもを人間的に上位カーストにしよう」という意味で、「わが子をカースト上位に押し上げよ」なのだそうです。
著者は公認会計士の方だそうで、子育ての専門家ではありません。なので、隣の家のちょっと豪華な食事風景を紹介するようなもので、「公認会計士の人はこんな子育てをしましたよ」「公認会計士の人は、こんなところに気をつけて子育てをしましたよ」という内容になります。
何度も言いますが、著者はこそだての専門家ではありません。なんてったってサンプルがわが子だけですから。子どもが4人とのことなので、確かに多くいるのかもしれませんが、それでも同じ環境で育った、しかも自分の子どもだけから導いた子育て論になります。
「科学的根拠に基づく医療」という言葉があって、こんな言葉を聞くと「じゃあ科学的根拠に基づかない医療があるのか」という話になるんですが、あります。代替医療と呼ばれるもので、鍼灸とか、アーユルヴェーダとか、なんとかセラピーというのも、科学的根拠に基づかない医療になりまして、これらを代替医療と呼びます。
そもそも「科学的根拠に基づく医療」という言葉が出てきたのがここ200年のことで、それ以前の医療は、伝統とか感に頼るものだったようです。
18世紀になって、イギリスの海軍医師ジェームズ・リンドだったり、アレクサンダー・ハミルトンというスコットランド人の軍医だったりが、「本当に効果があるかどうかを確認」する目的臨床試験を始め、徐々に医療の現場に臨床試験が浸透していったようです。
つまり、科学的根拠に基づく医療の中核とは、臨床試験によって効果を判定された医療なのです。ごく少ないサンプルをもとにした主張を聞くと、どうしてもこの「代替医療解剖」を思い出します。「そんなのは、何世紀もヨーロッパで主流だったしゃ血っていう医療と同じだよ」と。「ナイチンゲールにつばを吐くようなものだよ」と。
ビジョンが大事よ、でも見守ることも大事よ
で本に話を戻すと、「子育てには将来のビジョンが必要」というのが、著者の主張です。コロコロと幹部の方針が変わっては、仕事でもうまくいきません。ゴールを見据え、そのために自分がビジョンをしっかりと持ち、ゴールに到達できるように、子育てを乗り切って行きましょう、という内容です。
「そのためにウチではこういう子育てをしたよ」という内容であり、本書に書いてあるのは全て「例え」であるとも言えます。
「公文に通わせた」とか「バイオリン教室に通わせた」とか「海外旅行によく行った」とか「物欲なく質素に暮らした」とか書いてありますが、最後には「ビジョンを持つことが大事」で閉められており、最終的には「子どもを見守ることが大事」ともなっています。
バカと言う奴が一番バカだ
本の中では、「なんとなくの習い事を絶対にやめる」とか「お金をかけなくても教養は身につく」とか「持って生まれた個性を見つける」などともっともらしい(よく聞く)ことを言っていますが、どうしても読んでいて「イヤラシさ」のようなものがつきまといます。
なんか、悪者が自分の本性を隠すために、正義の主人公に「自分は本当は悪じゃないんだよ」とウソをついているような。「向こう側の人間」なのに、「こっち側」であることを装っているかのような。そんな風呂敷を被って本性をオブラートに包んでいるかのようなモヤが、各ページには見てとれます。
どうしてそんな「イヤラシさ」を感じるのかと言うと、それはタイトルやサブタイトルにあるとおり「お金」とか「カースト」とか、そんなことを本書の中で話題にしているからでしょう。
確かに著者は「裕福層の仲間入りをさせろ」とか「医者か弁護士にさせろ」とか「一流大学に入れろ」とは言っておらず、そのことに関してはキッパリと否定しているのですが、話題にしているということが、すでにそれらを気にしている、という証拠なのだと思います。
自分もそれらを気にしているから話題にするのであって、気にしていなかったり、まったくの眼中にないのであれば、話題にすらならないでしょう。それなのに話題にしているということは、それらを本当は信じているのかもしれません。
「バカという奴が一番バカだ」とは誰もが小学生の頃に言ったり聞いたことがある言葉だと思います。相手に対して「バカ」という人は、相手がバカだと思うから、相手に対して「バカ」と言ってバカを話題にしているのですが、話題にするということは、本人もそのことを気にしていて、自分の中にもそれを見つけるのでしょう。
「P」も「P の否定」も、そのどちらも含めて「二」なのだ。
というわけで、イヤラシさの残る読後感でした。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」「それってどういうこと?」と聞かれた場合や、「どうやって持つことができるの?」と疑問に思ったときに、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子に載せました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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