コロナ対策の一律給付10万円、公務員は受け取るべきか受け取らざるべきか

2020.04.22 (水)

元大阪府知事・橋下徹氏のツイートで、国民の意見が二分されている。

 

 

「10万円一律給付金)給料がびた一文減らない国会議員、地方議員、公務員は受け取り禁止!となぜルール化しないのか。その上で、それでも受け取ったら詐欺にあたる、懲戒処分になると宣言すればいいだなのに、これも各自に任せるといういつもの無責任政治。国会議員でも絶対受け取る奴はいるよ。」

 

 

橋本氏のツイートに賛成の意見はこうだ。

「今回のコロナ騒動で、自営業の人を中心に、著しく収入が減っている人が目立つ。収入がゼロになるのに、テナント料だけは支払わなければならない。お客を呼びたくても、密になる状態は避けなければならないので、お客を呼ぶことができない。そもそも国からも店を閉めるように要請が出ている。

 

そんな切羽詰まっている人たち。コロナ騒動によって明日食べていくお金も困っている人にあてがわれるのが今回の10万円だ。それなのにどうして給料が保証されている公務員が受け取る必要があるのだ。彼らの給料は減っていない。困っている人がいる一方で、公務員は給料の心配をしていない。そんな公務員は、10万円を受け取らないのが当然だ」

 

 

橋本市のツイートに反対の意見はこうだ。

「公務員と一括にするけれど、全ての公務員が今回のコロナ騒動で得をしているわけではない。中には、ただただ安穏としている公務員もいるのかもしれないが、多くの公務員の仕事が増えていることは容易に想像がつく。今回の様なパニックは、全てが初体験なのだ。

 

 

行政の窓口に相談の問合せをする人は後を絶たないが、それに応答する側も何もわからない。新型コロナウィルスを封じ込めるために、全てのことが後回しになっている。一時的にしろ、そんな歪みの帳尻合わせをしているのが公務員なのだ。

 

 

確かに公務員の給料は減らないが、その分、景気のいい時も上がりはしない。景気のいいときには見向きもされないのに、景気が悪い時に槍玉に挙げられるのでは、公務員は結果的に損をしている。公務員が10万円を受け取ってもいいのではないか」

 

 

対立の二項は紙一重である

僕はこのような二分される意見を見ていると、「足の裏に影はあるか?ないか?哲学随想」という本を思い出す。この本の中にある「悟りと大ぼけは紙一重」という章である。

 

 

著者の入不二氏は、他の著書の中でも、自身の姓の元になったこのエピソードを時々持ち出している。

 

 

仏教の経典である維摩経の中にあるエピソードである。菩薩(悟りを求めて修行している僧侶)たちが、「僕ら菩薩にとって、二元対立を超えた不二の法門に入ることは一体、どのようなことなんだい?」という議論を交わしている。

 

 

悟りとは、二分法的な概念の軛(家畜の固定器具)から開放されること。「その不二とは?」という議論である。

 

 

ある菩薩は「『PとPの否定』(生と滅や、幸と不幸、世間的と超世間的など)が『二』であって、『PでもPの否定でもどちらでもない』が『不二』だ」と言う。

 

 

また他の菩薩は「『PとPの否定』(功徳と非功徳)だけではなく、『そのどちらでもないもの』(不動)まで含めて、その三つが『二』だ。それゆえ、『不二』とは、そこまで含めても『二』に回収されてしまわないことでなければならない。そんな『不二』とは、一切をしないこと(無作為)なんだ」と言う。

 

 

さらに、「『言葉』ってのは『二』(根源的な分割)だ。だから、『言葉』自体を捨て去ること、つまり『無語、無言、無説、無表示……』こそが、『不二』(分割の未遂行)という境地に入ることなんだ」という意見を口にする菩薩も出てくる。

 

 

一通り菩薩たちが悟りについての意見を話した後で、矛先は主人公の維摩に向けられる。菩薩たちに「君はどう思うんだい?」と聞かれた維摩は、なんと黙ったままなのだ。

 

 

これを見た菩薩は、この維摩の沈黙を、「維摩の沈黙、雷のごとし」として褒め称える。これこそが不二に入ることであって、そこには文字もなく、言葉もなく、心が働くこともない」のだそうだ。なんと維摩は、悟りを体現していたのだ。

 

 

で、この維摩経のエピソードをふまえての、著者の意見が、「悟りと大ぼけは紙一重」なのである。というのも、維摩は本当に悟りを体現しようとして、沈黙していたのであろうか。維摩は本当に「文字も言葉もない無言」こそが悟りであることをわかっていたのであろうか。

 

 

著者に言わせると、「維摩の性格はあまのじゃくなので、本当に悟りの体現として沈黙をしていたのではないかもしれない。もしかしたら、ただ頭が回らなくて黙っているしかなかったのかもしれない。というか、もしかしたら寝ていただけかもしれない」というのだ。

 

 

つまり、維摩経においても「維摩という者が悟ってようと大ぼけだろうと、他人からはわからない」のであって、両極というのは得てして曖昧なものなのだそうだ。

 

 

たとえばビジネスにおける成功と失敗はしばし両極として語られるが、成功も失敗も「行動した結果」として見れば一緒であり、それは「行動していない」ことに対する反対側の極なのである。

 

 

たとえばバカと天才も一般的には両極として語られることが多いが、これらも「変わっている人」いう視点で見れば同じであり、それは「普通の人」に対する反対側の極なのである。

 

 

「悟りと大ぼけは紙一重」というのは、「成功と失敗が紙一重」であることや、「バカと天才が紙一重」であることと一緒なのだ。

 

 

けれど注意しなければならないことは、これらは「外から見たのでは区別がつかいない」ということだ。目の前にいる人間が、変わっている人だというのはわかるけれど、それが「バカなのか天才なのか」はわからない。

 

 

今やっている事業が、「行動した結果」であることに変わりはないけれど、それが成功なのか失敗なのかは簡単にはわからない。短期的には失敗でも、長期的には成功なのかもしれないし、その逆もあり得る。

 

 

公務員の10万円

ここでやっと「公務員の10万円」に話が戻る。10万円を一律給付したとして、「コロナ騒動で苦労している公務員は10万円を受け取ってもいいが、苦労せず安穏としている公務員は10万円を受け取るのは控えるべきだ」というのが、国民の一般的な意見だと思われる。

 

 

けれど、その公務員が苦労しているのか安穏としているのか、外側からは決して見分けがつくものではない。安穏としている公務員も受け取るかもしれないし、苦労している公務員が受け取るのを控えるかもしれない。苦労も安穏も、テーブルの上に選択肢として出された時点で、「どっちも同じ」なのだ。話題になった時点でどちらも「公務員以外の人間の、反対側の極」として同じであって、見分けなんかつかない。

 

 

見分けがつかないのだから、公務員以外の人間が、公務員の「受け取った受け取らなかった」の結果に対して憤慨するようなことはしない方がいい。例えば「公務員のくせに受け取ってる! 苦労していないくせに!」なんて怒る人はいそうだけれど、そんなことは控えた方がいいんだろうな、と思う。

 

 

で、受け取るべき?受けたらざるべき?

以上の、公務員の苦労と安穏が外からはわからない、という視点をふまえた上で、僕は10万円についてどう思うのかというと、僕は受け取らざるべきだと思う。公務員は受け取るべきではないのだ。

 

 

けれど、この「受け取るべきではない」という意見の意味は、「公務員が受け取ってはずるい」とか、「給料が保証されている上に受け取るなんて不公平だから」なんて理由では決してない。

 

 

だいたい僕は、コロナ騒動の真っ只中にある今の状況にあってなお、給料が保証されている公務員が恵まれている存在だとは思わない。今の状況を見て「公務員ズルい」というのは、追いつめられたデイトレーダーの様なもので、目先の限定的な部分のみを見て判断を下している様なものだ。本当であれば長い目で見なければならないのに、短期で見て下す判断ほど馬鹿げたものもない。

 

 

公務員の給料は民間抜きで上下したりしない。民間の給料が下がれば時間差で公務員の給料だって若干下がるし、民間の給料が上がれば時間差で公務員の給料だって若干上がる。だから、今は相対的に公務員が民間よりも有利に見えているだけで、実際に有利なのかと言うとそうでもないのだ。

 

 

「だったら公務員だって10万円を受け取っても良いのでは?」と思うかもしれないが、僕は公務員にはブースターが必要だと思っている。ケツに火をつけるための装置である。公務員や議員は仕事が遅い。リスクを背負ったり勇気を持っての行動や判断をやらない。よく言われているように、危機感が薄いのだ。

 

 

そういう意味では、10万円を受け取れないようにして、「お前らノロノロやってると給料無くなるぞ!」と脅してやった方が良いのだと思う。ケツに火をつけてブースターとしての効果なら、「公務員が10万円を受け取れないようにする作戦」には効果があると思う。

 

 

というわけで、ネットで話題になっていた橋本氏のツイートについて書いてみた。果たして10万円の行方は。さらには新型コロナの行方はいかに。

 

 

 

 

 


 

 

 

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