セネカはノマドワーカーでミニマリストだった〜母ヘルウィアへのなぐさめ

2020.04.24 (金)

 

 

「地上のどこから天空を見上げようが、神々と人間の間の距離は同じです」

 

 

 

悲しむ自分の母親を慰めるために、セネカはそんな言葉を使っている。

西暦41年にコルシカ島へ追放されたセネカ。セネカの追放を悲しんでいる母親へ向けて、セネカは手紙を送る。その手紙が素晴らしい。

 

 

手紙の中でセネカが言っていることは、「場所にこだわらなくていいよ」ということだ。「どこだろうが楽しみは見つけられるし、そもそも人間とは場所を移動する生き物なので、そんなに不幸なわけでもないよ」なのだ。

 

 

この文章を読むと、ノマドワーカーを彷彿とさせる。生活するのに場所を選ばず、豪華な暮らしを否定して質素こそが生産的だと説くセネカは、さながら現代のノマドワーカーでありミニマリストである。

 

 

そう言えば、セネカはストア派の哲学者であって、ストア派はよく「禁欲主義」と言われることがある。

 

 

世俗的な価値観を否定するのが禁欲主義である。お金のある豪勢な暮らし、港区あたりのタワーマンションに住み、サングラスをかけてベンツを乗り回し、夜の遊びにも余念がない。このような生活を否定するのが禁欲主義なのだが、禁欲主義であるには、ついつい陥りがちな権威を否定するのが一番だ。すなわち、ノマドワーカーやミニマリストである。

 

 

豪勢な暮らしは、重くて大きな仕事から生まれることが多い。仕事の規模の大きさが、大きなお金を生むのだ。仕事の規模が大きくなると、関わる人が多くなるし投資も増える。縛りが多くなって一人ひとりのワガママは聞いていられなくなる。融通が効かなくなるのだ。

 

 

でも個人にとってはこの「ワガママが言えない」というのがストレスで、ここに疑問を感じてしまうのだ。融通の効かない仕事に縛られるよりも、自分のワガママを通せる仕事をして生きていきたい。特定の仕事をしているよりも、もっと色々なことにチャレンジして、もっと広い世界を見ることに人生の残り時間を使いたい。そこで生まれるのが、ノマドワーカーやミニマリスト的な思考だ。

 

 

ノマドワーカーは、場所に縛られない。ネットを駆使して、場所を固定されない範囲で価値を生み出す。ライティングや写真・動画のクリエイターが主な職種である。土地に根を下ろすような組織に自分は入らず、そんな組織を顧客として仕事をする。

 

 

ミニマリストはシンプルな生活を心情とする。確かに便利なものや贅沢なものは心惹かれるが、それと同時に質素でシンプルなものに心惹かれるのも人間である。夜のネオンが見える高級ホテルの部屋で目覚めるのもいいが、テーブルと椅子以外は何もないガランとしたフローリングの8畳部屋で目覚めるのも悪くない。

 

 

こう書くと、セネカはとことんノマドワーカーでありミニマリストなんだと思う。実際に彼はローマの政治の中心にいたし、いわゆる官僚ではあったのだが、追放されて田舎で質素な暮らしをしなければならなくなった彼の心情は、そのまま現代のノマドワーカーやミニマリストを支持する声として通用する。

 

 

そんなセネカは、母親へは「大して困ってないから大丈夫だよ」と言っている。

 

 

「万人が望むようなものの中に、本当に良いものがあるとは思ったことがありません」

2000年前も今も、多くの人が望むのは金銭的な余裕のある暮らしであって、生活の基準にお金を据えてしまう。お金があればいい暮らしができるし、苦しむことはない。重要なのはお金なのだと。けれどセネカも、そこに違和感を感じていたのだろう。お金を使って意味のないほどゴージャスな食事をしたりする皇帝を間近で見ていて、「果たしてこれが人間の目指すところなのだろうか」と疑問をもったのだ。

 

 

「人間の精神には居場所を変え、住居を移そうとするなんらかの生まれつきの衝動が内在している」

万物は流転していて、何一つ昨日と同じものはない。川は絶えず流れるし、天界の星々もゆっくりと動きっぱなしである。自分が昔よりも成長していなかったら物足りなさを感じるし、生まれた土地とは別の土地に行ってみたい気持ちが自然と出てくる。高城剛ではないが、おそらく人間とは移動を欲する生き物なのだ。

 

 

 

 

「自分が失ったのは、財産ではなく、むしろ多忙なのだと思っています」

人間は案外適応できる生き物で、「都会で暮らせ」と言われれば都会で暮らせるし、「田舎で暮らせ」と言われれば田舎で暮らせる。昨日までは政治の中心、都会の中心で暮らしていたセネカも、中心から離れたところに来てみると、「ここはここで」という見方を得られたのだろう。

 

 

「運命から逃れようとするすべての人が逃げ込む場所に、あなた(母親を指す)をご案内しましょう。すなわち学問です」

勉強(成長)することこそが、自分を不幸にする運命から逃れる方法である。幸いなことに、勉強だけは貧乏でも刷ることができる。勉強して違う見方ができるようになれば、それまで見えなかったものが見えるようになれば、人は幸福を感じることができるし、事実幸福なのだ。

 

 

セネカが生きたのは今よりも2000年以上昔ではあるのだけれど、2000年の間に随分と人間の生活は変わったはずである。中世の一見華やかな、けれど黒歴史とも言われる時代があり、ルネッサンスの近代があり、2度の世界大戦を経て現代まで時代は進んだ。

 

 

車が走るようになり、高層タワーが立ち、スマートフォンが普及した。一部の人間は宇宙にも行っている。ボイジャーなんて星間空間に飛び出した。昔の人の知識なんて、僕らには遠く及ばないはずだ。けれど、そんな時代遅れとも言える人たちの中にあって、なおも現代人と共通する考えっていうのはあるんだなあと改めて考えさせられる。

 

 

 

 

 


 

 

 

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