ウィトゲンシュタインが示そうとした限界は、カントでいう認識の限界だった〜学びなおすと倫理はおもしろい

2020.02.07 (金)

 

わかりやすい哲学の本でした。

 

 

哲学と倫理って、基本的には別々の分野なんです。だけど被っているところもあり、ちょっと距離を置いて見てみると、哲学の中に倫理がある感じですかね。哲学って幅広いんですよね。おそらく哲学が好きで哲学に見せられた人に聞いたらそれぞれ違う答えが帰ってきそうな感じなんですけど、「哲学って何?」っていったら、ボク的には、「一番の論をさがすこと」でしょうか。別にこの答えにこだわっているわけではなく、今、文章を書いていて思いついた言葉なんですけど、とにかく、何にでも通じるような一番上にある抽象を捜すのが、哲学だとボクは思っています。

 

 

例えば、バスケが好きな人と、柔道が好きな人と、勉強が好きな人がいたとします。彼らはそれぞれ、自分が好きな分野について考えます。

 

 

バスケが好きな人は、バスケについて考えています。バスケをうまくなるにはどうしたら良いんだろう。そこで考えつきます。「バスケに必要なのはスタミナではないか」と。そこでこの人はスタミナをつけようと思うのですが、今度は「スタミナをつけるにはどうしたらいいのか」を考えます。この調子で考えを勧めていくんです。スタミナをつけるにはランニングが必要だけれど、ランニングを続けるには日々の健康が必要だ。日々を健康に生きるには自分ひとりではできず、家族や友人の協力も必要だ。そうすると、徳のある良い人でなければならない。徳のある良い人とはどんなんだろう。どう人生を生きれば良いのだろう。

 

 

柔道が好きな人は、柔道について考えます。柔道が強くなるにはどうしたら良いんだろう。そこで「練習あるのみだ」という結論を考えつきます。で、この人は次に、練習を続けるにはどうすれば良いのか考えるんです。練習を続けるには、コーチや他部員の協力も必要だし、コーチや他部員の協力を引き出すには、自分が魅力的な人間でなければならない。魅力的な人間であるにはどうすればいいんだろう。

 

 

勉強が好きな人は考えます。自分は勉強が好きだけど、時々、モチベーションがなくなる時がある。持ちベースヨンがある時はバリバリ勉強ができるんだけど、モチベーションが無い時は勉強の能率が落ちる。モチベーションを保つにはどうすればいいんだろう。そこで、目標を持つことを考えつきます。自分は勉強をして何をしたいのか。自分は勉強をして知識を積み上げて、その積み上げた知識で何をしたいんだろう。自分の人生には何の意味があるんだろう。

 

 

バスケ好きな人は「どう人生を生きるか」、柔道好きな人は「魅力的な人間だるには」、勉強好きな人は「人生には何の意味があるのか」を、それぞれ考えるようになりました。こんな風に、一番根本的な事を考えるのが哲学だと思っています。根本っていうのは、「こっちには当てはまるけど、こっちには当てはまらない」っていう弱さがないんで、何にでも応用の効くものです。この根本的な事は大抵、何にでも通じる抽象的なことであることが多いので、結局は「どう生きたら良いのか」っていうのに行き着くんです。

 

 

でも「どう生きたら良いのか」っていうのは、「倫理って何なの?」って考えた時に出てくる答えなんですよね。倫理は、「どう生きたら良いのか」、「よく生きるとはどういう生き方か」なんてのを考える分野ですので、ここの部分で哲学と倫理は重なるんです。

 

 

哲学は「どう生きたら良いのか」の他に、「存在するってどういうことか」「普遍って本当にあるのか」「人間は自由なのか」なんてことにも行き着く分野なので、この辺りだと倫理とは少し違う感じもしますよね。

 

 

哲学と倫理は別々の分野のものなんですけど、「どうやって生きたらいいのか」という点において、重なるんです。哲学は幅広く、バスケでも柔道でも勉強でも倫理でも、何にでも応用が効きます。哲学の一分野に、倫理があるんです。

 

 

バスケの哲学、柔道の哲学、勉強の哲学……。「●●の哲学」っていうのは何にでも言えるので、やはり哲学っていうのは、「何にでも応用可能な最上級の抽象論を考えること・捜すこと」なのだとボクは思います。

 

 

さてこの本、わかりやすいです。哲学は最上級の抽象論なので、何にでも具体例を出せるため、一つ一つの具体例がピッタリとこない、という難点があります。例えば、バスケにも柔道にも勉強にも「健康」は必要なんですけど、「バスケと言えば健康」でも「柔道と言えば健康」でも「勉強といえば健康」でも無いですよね。全てに当てはまることは、一つ一つにはピンポイントで当てはまらないんです。

 

 

この辺の具体性に欠けるっていうのが哲学のわかりにくいところなんです。だから、「●●入門」というタイトルがついている哲学の本でも、本当に初心者でも読めるとは限らない。初心者にとっては、頑張って読もうとして、読めるか読めないかってところだと思います。

 

 

が、この本はわかりやすかったです。こういうわかりやすさって、わかりやすい説明の仕方を身に着けている人にしかできないと思うんです。文章を書くにせよ、言葉で話すにせよ、相手にとってわかりやすく伝えるには方法があって、これをわかっていないと、いくら「●●入門」というタイトルをつけて初心者向けを意識して書いても、出来上がりは「自分だけがわかっている」ことになりかねません。

 

 

そういう意味では、この本の著者である村中和之氏は、わかりやすい説明の仕方を身に着けた方であると言えます。本当の意味で、初心者におすすめです。

 

 

本書の構成は以下のとおりです。

第1章 「よく生きる」ってどういうこと? (ソクラテス)

第2章 存在とは何か (プラトンとアリストテレス)

第3章 心とは何か (デカルトと物心二元論)

第4章 因果関係とは何か (ヒューム)

第5章 なぜ嘘をついてはいけないのか (カントとベンサム)

第6章 自由意志は存在するか (エラスムス、ルター、スピノザ、カント)

第7章 やりたい放題が自由なのか (ヘーゲルの自由論)

第8章 真の民主主義とは (ルソー)

第9章 マルクスの考えたこと (マルクス)

第10章 自分を肯定する (ニーチェ)

第11章 世界にひとりだけの私 (ハイデッガーとサルトル)

第12章 正しさって何だろう (プラグマティズム)

第13章 理性の宿命と可能性 (フランクフルト派)

第14章 哲学の主題は言語である (ウィトゲンシュタイン)

第15章 真理とは権力である (フーコー)

 

この中でガッカリだったのは第11章のハイデッガーですかね。いまだにハイデッガーが何を言っているのかわからないです。

 

逆に一番おもしろかったし、身になったのは第14章のウィトゲンシュタインですかね。どうにかしてウィトゲンシュタインを理解しようと頑張ってるんですが、これもいまだにわからない。それでもこの章を読んで、何か一つ前進した気がします。まあ、世界中の頭のいい人たちが頑張って理解しようとして、それでも理解しきっていないのであれば、ボクなんかが理解しようたってそうはいかないんでしょうけど。

 

 

「ウィトゲンシュタインが論考でやろうとしたことは、カントが認識の限界を示そうとしたことのようなものだ」っていう記述がよかったし、身になりました。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。

 

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タイトルは、「人に優しくなれる発想法」。想定されると読者は、主に子ども相手にイライラしてしまうお父さんお母さんですが、仕事やプライベートでのイライラする人間関係が気になっている方にも読んで欲しい内容となっています。

 

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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。

 

思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。

 

そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。

 

スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。

 

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