評価されないのは本質的にそうなのか、それとも逃げているだけなのか

2020.11.27 (金)

やっと読み終わった。「科学を語るとはどういうことか」

 

 

僕自身、哲学が好きなんだけれど、哲学に対してモヤモヤしているのも事実。結局は堂々巡りではっきりとした答えがない。本を最後まで読んでも答えらしい答えが載っていないし。最初から当たり前とも思える答えに対して挑んでいるので、出てきた答えも当たり前の答えでしか無いし。

 

 

当たり前だと思えるところに疑問符を投げかけるのが哲学の面白みではある。けれど最初からそこに波風は立っていないのだ。

 

 

たとえば草原を見ているとして、草が風に揺れている。「どうして草は風に揺れているのか」なんて科学的な問いなら生産性もあるように思える。それに出てくる答えにも新しい発見があるのかもしれないけれど、哲学が問うのは「本当に草は揺れているのか」という問いだ。

 

 

目に見える風景では草は揺れているのであって、そこは疑いようがない。正しく生産性のない不毛の問いになってしまう。

 

 

つくづく須藤氏に共感するのだけれど、趣味で哲学をやるのには構わない。けれどお金をもらっている以上、なんらかの成果物を挙げなければならないのではないだろうか。「成果物を挙げなければ」という感覚すらが染まっているものだろうか。哲学者は成果物を挙げることにすら疑問を呈すのだろうか。

 

 

この「他人にわかるような成果物」の話をする時に伊勢田氏が持ち出すのが、「哲学は人にわかるようなものではない」というニュアンスの言葉だ。哲学の成果は、科学的な大発見のときのように大々的に「こんな発見がありました!」と言えるものではないという。

 

 

その理由として、「そんなものに興味がない」のが哲学者だという。鳥と鳥類学者の話が何回か本の中で出てきていて、この比喩もなかなか的を射ていて面白かったのだけれど、鳥類学者は鳥の役に立ちたいとは思っていないのだという。鳥類学者が鳥を研究するのは、「鳥に貢献しよう」とか「鳥のために」というのでは無く、純粋な興味によるものだというのだ。

 

 

つまり、鳥類学者が鳥からチヤホヤされることを望んでいないように、哲学者も周りからチヤホヤされることを望んでいないと言うのだろう。だいたいそんな感じだと思う。

 

 

このような疑問は、日常でもよくある話ではある。例えば、仕事をしていても、人から評価される仕事と評価されない仕事がある。で、人から評価されないことを「そういう仕事だからだ」とくくってしまう一方で、「本当は評価され得る仕事にも関わらず成果を出していないために評価されないだけなのではないか」という気持ちもある。

 

 

たとえば評価されやすい仕事とは、具体的なものに関わっている仕事がそうだろう。プロスポーツ選手なんかがそうで、評価がわかりやすい。勝って白星をあげれば評価されるし、されなければ評価されない。

 

 

それとは逆に、警察官なんかは評価の基準が曖昧である。確かに交通切符を何件切ったとか、犯人を何人捕まえたとか、そんな評価基準はあるけれど、そんな評価で警察官という仕事を評価できるとは思えない。

 

 

警察の仕事の評価は潜在するものなのだ。表に出るものだけではない。パトロールをすれば、その姿を見たドロボーが「今日はやめよう」と思うかもしれない。そんな時は、表に出ずとも成果はあるのである。

 

 

で、警察官が「オレの評価は表に出ないものだから、評価されなくても構わない」と思うかというと、そうでもないだろう。やはり評価されたいし、チヤホヤされたい。SNSと同じで「いいね」はもらいたいものだ。

 

 

つまり、哲学者の「評価されない仕事だから」というのはただの強がりなのではないかとも思える。本当は評価されたいし、査定方法を工夫したり表現方法に頭を使うことで成果が見える化されるかもしれないのに、自身が無くて「オレのは評価されない仕事だから」と言っているだけなのではないか。

 

 

人から評価されない人は、表向きには「評価されにくいものだから」という顔をしている反面、内心では「本当は単に成果が出ていないだけなのではないか」とビビっているものなのだ。

 

 

哲学にとって防戦一方という印象が強い対談を読んで、最後にそんなことを思ってしまった。

 

 

最後の章で言った須藤氏の発言が面白かった。

「バッハやモーツァルト、ベートーベンは後世の音楽家に多大な影響を与えたけれども、だからといって誰もが彼ら以上の作品を書けるようにはなりません。ところが科学では、先人の業績をもとに誰でも先に進むことができます。よく考えればむしろ科学の方が例外的な性質を持っているのでしょうね」

 

 

哲学に対して散々批判めいたことを述べた氏であったが、対談を通して最後に哲学の影響を受けたことをほのめかすセリフだと思う。

 

 

はっきりとした成果物をあげられることの方が珍しいのだ。

 

 

世の中は誰も彼もが具体性を求めている。プレゼンをすれば「具体的にはどのような方法で?」と聞かれ、「具体的な数字は?」とも聞かれ。具体的でわかりやすく、はっきりとした表現を誰もが求めている。

 

 

たしかに「具体的」の代名詞でもある「わかりやすい」は、人から共感を得る際に有効だ。わかりやすければ共感を得やすいし、そもそも理解されなければ見向きもされない。わかりづらければ評価されようもない。

 

 

けれどこの「具体的ではっきりとした成果物を求めること」自体が、「最近のトレンドである」というただそれだけのことなのかもしれない。

 

 

読後、今そんなことを思っている。

 

 

哲学は人から評価されにくい、共感されにくい、理解されにくい。それは哲学がそういう性質を持っているということなのか。それとも本当は評価されたいけれど逃げているだけなのか。

 

 

 

「評価されにくい」「共感されにくい」「理解されにくい」と思っている人(自分)は、仕事が本質的にそうなのか。それとも目を背けているだけなのか。

 

 


 

 

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