たい焼きの生地のはみ出している部分が削られていくような、哲学者と物理学者の対談

2020.11.26 (木)

科学を語るとはどういうことか」という本が面白くてハマっている。

 

 

これは物理学者の先生と哲学者の先生の対談形式の本なのだけれど、僕たちが哲学に対して抱いている疑問をどんどん浮き彫りにしいっているような内容だ。読み進めるにつれ、哲学のベールが取れていく。意地悪な言い方をすれば、化けの皮が剥がれていっている。

 

 

哲学の素の姿を浮き彫りにしていっているのは、物理学者である須藤氏の功績が大きい。

 

 

一応、狭義的には「物理学者と科学哲学者」の対談ではあるのだけれど、「一般人と哲学者」の対談として読むこともできる。科学哲学者を伊勢田氏は哲学を代表しているととらえられるし、物理学者の須藤氏は僕たち一般人を代表していると言える。

 

 

須藤氏は、僕たち一般人が哲学に対して抱いている疑問や不信感を、代表して哲学者である伊勢田氏にぶつけているのだ。そして、須藤氏の質問のレベルが高いから、しかも質問がえげつなくて遠慮がないから、どんどん哲学の疑問がはぎ取られていくのだ。丁度、たい焼きの周りの生地がはみ出しているところを食べていって、たい焼きが本当の輪郭を露わにしてきているようである。

 

 

まず、須藤氏の質問のレベルが高い。これは須藤氏の頭がいいということに他ならない。僕たちのような哲学の外にいる人間が抱く疑問を、うまく言語化している。哲学的な考えと一般的な考えの違い。哲学関係の本を読んで頭に浮かぶ疑問や不思議。哲学に対して一般の人間が抱いているイメージ。

 

 

それを高いレベルのでぶつけているから、読んでいて須藤氏に共感できる。「ああ、やっぱりそこは不思議に思うよな」とか「そう、そこが疑問なんだよね」「それ、それがおかしいと思うんだよね」と、哲学に対すもやもやしていた疑問が、どんどん姿を表してくる。

 

 

でもって、須藤氏の口撃がえげつない。おそらくこれは、外部の人間だからできるのであろう。同じ哲学の世界に生きている人間であれば、これほどえげつない口撃はできないのではないか。本当に対談でこれほどの口撃がなさていたのか、はたまたライターの脚色があるのか。おそらく脚色抜きでこれほどの攻撃力だったのではないかと思うけど、遠慮がない。たい焼きの生地がはみ出している部分と、本体の部分と、ギリギリを狙っているようだ。

 

 

もしも同じ哲学の世界で生活している人間だったなら、もうちょっと気を使った口撃をするのではないか。哲学とは関係のない、しかも思考レベルの高い質問者だから、ここまで哲学というものの素の姿を浮き彫りにしてくれたのだと思う。

 

 

僕はまだ6割ほど読んだところなのだけれど、読む限り、防戦一方のように思える。攻撃しているのは物理学者で、受けるのは哲学者の方だ。理路整然とした須藤氏の質問に対して、伊勢田氏による答えの歯切れが悪いところがある。「それはそうなんですけどね」とか「確かにそうもとれますね」とか。

 

 

でもこれが哲学の理解されないところであって、抽象の世界に生きる人間の運命なのだと思う。具体的というのは強い。質問がはっきりとしているので、それに対する答えもはっきりと答えざるを得ない。はっきりとした質問に対してはっきりとした答えを出せなく、ちょっとボカシた答え方をするのは、読んでいて分が悪い。

 

 

持っている武器が違うのだろう。須藤氏にとって持っている武器は物理だ。これは確かに帰納に帰納を重ねた結果なのだけれど、この帰納は打ち破れそうもない。確かに物理は世界を眺める1つの手段ではあるのだけれど、物理以外の手段は今の所見当たらず、僕たちは世界を解明する手段として物理以外を持ち合わせていない。

 

 

それに対して伊勢田氏が持っている武器は哲学だ。これは抽象の中の抽象であって、抽象的であることが哲学の魅力ではあるのだけれど、いまいち武器としては機能しづらい。共感を呼びにくい。なぜなら相手に理解されないからだ。

 

 

物理は誰が見ても結果は同じになる。「こう」と言われれば「確かにそうだ」と認めざるを得ない。客観性がある。だから人に理解されやすいし、対談でも相手を納得させやすいのだ。

 

 

けれど哲学はどうだろう。客観性なんてひとかけらも無いのではないか。現実離れもしている。「因果関係なんて無い」とか「存在なんてしていない」と言われたところで、「はあ? 何言ってんの?」と思われて終わってしまう。

 

 

有益性という意味でも哲学は分が悪い。物理は現実に即しているため、物理を理解すれば世の中を理解しやすく、生活を豊かにしやすいことは目に見えている。実際、世の中を物質的に豊かにしているのは物理の力だ。

 

 

けれど哲学は現実世界とは何の関係もないことだ。「何の関係もない」といったら言い過ぎで、何の関係もなくはない。けれど、哲学を知らないからと言って、別に生活に困るわけではないのだ。一生を哲学抜きに暮らしていくことだってできるだろう。その際にデメリットはほとんどないはずだ。

 

 

須藤氏の言葉が耳に残る。「新橋で飲んでいるおじさんたちの会話と変わらない」「難しい言葉ばかりを並べ立てて、実は当たり前のことを言っている」

 

 

ただ僕は哲学が好きで、哲学サイコーだと思っている。読んでいてこんなにも天地がひっくり返るような面白い話題を振りまいてくれる分野も無いだろう。真面目で大げさな文章で、真剣に「因果関係はない」とか「存在って嘘だよ」なんて言ってくれる。哲学で問題にされていることが本当だったら、僕たちが生きている意味自体が無くなってしまうのではないか。

 

 

防戦一方でなかなか他人には理解されないけれど、哲学には頑張ってほしいと思っている。

 

 


 

 

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