怒りの原因よりも、怒りそのものが悪である

2020.03.22 (日)

「だって向こうが先に言ってきたら」

「発端はあっちの人だから」

「原因をつくったのは相手だから」

 

 

僕は警察官の人生が一番長い。いくつか仕事をしてきたが、なんだかんだで未成年であった時間よりも、社会人として仕事をしている時間の方が長くなってしまった。社会人の中でも警察官としての時間が一番長い。

 

 

警察官として仕事をしているときに、一番多い仕事がケンカ・口論の仲裁である。人間どうしが対立している現場にいって、その対立をもみほぐしたり、場合によっては強調させるにまで改善させるのだ。

 

 

警察官をしていてもどこの現場に行っても、結局は人間関係である。数年前のベストセラー「嫌われる勇気」では「すべての悩みは人間関係である」とキッパリと言い切っている。なるほど、人生への悩みも、自分の不甲斐なさへの悩みも、すべては人間関係があるからこそなのだ。

 

 

「企業が新社会人に求めるスキルは何か」という記事はどこにでもあるが、どの記事にも普遍的に記載されているのは対人関係スキルである。いつの時代でも、どこの業種でも、隔たり無く求められるスキルなのだ。いつでもどこに行っても、人間関係から逃れられることはない。対人スキルはキング・オブ・ベーシックスキルと言える。

 

 

人間関係が上手くいかなくなったとき、どういう思考状態になっているだろう。

 

 

人間関係を自分から崩そうと思っている人はない。「あの人とは上手くやっていけなくてもいいや」と思うことはあるが、それはその方が全体としてうまくいくと考えるからだ。個々の問題は別として、人間関係全体としては崩したくないものなのだ。

 

 

 

壊れた人間関係は修復したいし、トラブルになったら和解したい。ケンカをしたら仲直りしたいのが人間だ。

 

 

警察官をやっていると、忙しい時で一ヶ月に30回はケンカ口論の現場に行くことになる。それだけ他人のケンカを見てくると、共通するものも見えるようになる。

 

 

色々と共通するものもあるが、一つは冒頭にあるように、「発端を気にしている」ということだ。おそらくケンカをしている人は、ケンカが良くないことだと認識している。認識してはいるが、同時に「しょうがないこと」だとも思っている。

 

 

というのも、言い訳として発端を相手方に投げているからだ。ここで僕が言いたいのは、ケンカを収める方法として「原因はどちらにあるか」を探ることではない。原因を探ることには意味がない。というのも、片方が「原因は向こうにある」と主張したところで、その主張が真理ではないことがほとんどである。相手方に聞けば、同じように「原因は向こうにある」と主張するものなのだ。

 

 

2人の人間がいて、お互いに対立してケンカが生まれる。その原因・発端になったことは事実として一つありそうなものだが、その原因・発端ですら、共通認識ではないのだ。お互いが自分の都合のいいように見ている。自分の都合のいいように解釈している。

 

 

原因・発端を探ることはできないし、そのことに意味はないのだ。

 

 

古代ローマの哲学者セネカは著書「怒りについて」の中で述べている。

「怒りの原因となった出来事よりも怒りそのもののほうが、どれほど多くを彼に失わせたことだろう」

 

 

怒りの原因よりも、怒りそのものの方が悪であると、セネカを言うのだ。

 

 

僕たちはケンカをすると、どうしても「原因はどっちにあるのか」を気にしてしまう。「発端をどちらが作ったのか」に目がいってしまう。あたかも「怒りは悪くなく、悪いのは原因・発端にあるのだ。原因・発端こそが悪なのだ」とでも言わんばかりに。

 

 

けれど、原因を探ることに意味はなく、発端なんてものは色眼鏡をとおして見た世の中の姿でしかない。自分の視点でしか見れないし、自分の頭でしか解釈できない。共通認識としての原因・発端なんてものは存在しない。

 

 

あったとしても共有できない。アップル製品を使っているとエアドロップが非常に便利で、写真もテキストもマックブックとアイフォーンとの間で、クリック一つで共有できる。けれど僕たちはアップル製品のようにシンプルではないので、クリックひとつで事実を共有できない。原因・発端を共有できないのだ。

 

 

原因・発端を探ることは、逃げでしかない。「今ケンカしている事自体」が悪いのに、注意を原因に向けようとしてる。僕たちは認識すべきだし、考えを改めるべきである。「だって向こうが先に言ってきたら」とか「発端はあっちの人だから」とか「原因をつくったのは相手だから」とか、そんなものを拠り所としてケンカの悪を否定するべきではない。

 

 

ケンカは悪いし、イライラは良くないし、怒りは否定されなくてはならない。それは原因がどうこうで発端がどっちにあるとか、そういう問題ではなくて、怒りそのものが悪いのだ。ケンカをしているその人が悪い。イライラしている事自体がダメ。ふくれ上がっている怒りの感情をしぼませなくてはならないのだ。

 

 

「原因は向こう」と考えていただけでは、イライラは収まらない。「怒りそのものが悪い」と考えれば、冷静にその場を見る視野が得られるのではないだろうか。

 

 

 

 

 


 

 

 

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そこで、一つの具体案として、「思いやりとはスナイパーのようなものだ」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりは、似ているんです。

 

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