セネカの「賢者の恒心について」を読んで、イライラと自由について考えた

2020.03.23 (月)

恒心というのは、「人間として常に持つべき変わらぬ心」というような意味である。時代や場所に左右されず、普遍的に人間はどうあるべきなのか。どういう心構えでいるべきなのか、というのを、この「賢者の恒心について」では説いている。

 

 

今から二千年以上も昔、古代ローマの時代に哲学者セネカは恒心についてどう考えたのか。僕たちが目指すべき恒心をどうとらえたのか。

 

 

本書は序論、本論、結論に分かれており、本論はさらに前半と後半とに別れている。前半では不正を受けた時の心構え、後半では侮辱を受けたときの心構えについて書かれている。不正と侮辱は、人為的な厄災である。

 

 

先行する「摂理について」では、人間を越える自然的な厄災・不幸を受けた時に心構えについて書かれていた。この「賢者の恒心について」で書かれているのは、自分と同じ人間から悪を受けた時に、どういう心境でいたらいいか、である。

 

 

セネカは、人為的な厄災を不正と侮辱とに分け、不正は重大な厄災、侮辱は軽微な厄災としている。

 

 

 

まず前半の不正を受けたときの心構えであるが、セネカは乱されないことだと説いている。暴力を受けたり、騙されたり、盗まれたり、確かに社会を生きていれば、不正を受けることはある。不正を受けることを免れることはできない。そんな不正を受けても怒らないことが大事なのだ。

 

 

自己を律して、穏やかに平静に自分を保つ。不正が自分になされたことを知っても乱されない。自信が必要なのだとセネカは言っている。それどころか、不正を受けることに対してプラスに考えよ、とも言っている。ピンチはチャンスであって、不正はセネカにとっては自分を試すいい機会なのだ。

 

 

どんなことがあっても動揺しない。乱されない。心を動かされない。外部からの不正という影響に左右されない。そんなどっしりとした盤石の心構えが、前半では説かれている。セネカはそれを、自由とも言っている。

 

 

自由というと、僕たちはどこか浮浪者のような者を想像するかもしれない。無計画で、仕事もせず、かと言って学校にも行かず、その日暮らしで、だらしなく、ブルーシートやダンボールに住んでいる者。そんな者を自由人と呼ぶかもしれない。なるほど、確かにある意味では浮浪者も自由である。

 

 

というのも、彼らは縛られていない。仕事にも縛られていない。やるべきこともない。やりたくないことはやらないで済む環境にいる、という意味で自由なのかもしれない。

 

 

けれど「賢者の恒心について」で言っている自由は、意味が違う。自分がやろうとしていることを乱されない、人から影響を受けない、という意味の自由である。

 

 

僕たちは心に思ったことを何でも行動に移せるわけではない。電車で「席を譲った方がいいかな」と思っても声を掛けられなかったり、いじめられている人を見て「助けた方がいいかな」と思っても見て見ぬ振りをしたり。自分の心にブレーキを掛けてしまう。

 

 

セネカが言う自由人とは、自分が「やるべきだ」と思ったことは実行する人のことだ。打ち負かされず、恐れず。ドロボーも、暴力的な隣人も、戦争ですら、賢者からは何も奪うことはできない。誰一人として賢者を害することはできなのだ。

 

 

では、後半の侮辱はどうか。侮辱を受けた時は、どういう心構えでいるべきなのか。失礼な態度をとられたり、愚痴を言われたり。そんなときに、僕たちはどういう心境でいるべきなのか。

 

 

セネカは、「不愉快と呼ぶべき感情など、克服するどころか、感じすらしない」と言っている。犬が吠えている程度でしかない。そのくらい大きな心を持てと言っている。「あらゆるもののうちで最も美しい徳、すなわち大度である」

 

 

寛容さを忘れてはならないのだ。自分を「できる人間だ」とわかっていれば、そのくらいの自信を持っていれば、侮辱を受けたところで乱されないだろう。小さい子どもからバカにされたところで、本気で怒る大人はいない。最下層の平民から失礼な態度を取られたところで、それに気づことすらない。大勢の前で恥をかかされたからと言って、それに対して怒っては余計に恥をかく事を知っている。寛容さが大事なのだ。

 

 

「侮辱、非難の言辞、醜名、その他、不評をもたらすものを、敵の叫び声のように、遠くから飛来して兜のまわりに音をちらすが傷を与えない矢や石だと思って耐えるがよい。だが、不正に対しては、あるいは武具に、あるいは胸に受けた傷のように、倒れず、身じろぎもせず、姿勢を保つがよい」

 

 

セネカはストア派の人物とされていて、ストア派の「ストア」とは「ストイック」のことである。自分の追い込んだり、極限まで我慢したり、徹底的に自分をいじめたり。そんな自分に厳しい姿勢がストア派であって、もう一つのメジャー派閥・エピクロスがゆるい心構え・快楽主義を説くのと対象的である。

 

 

セネカは本文の中でも戦争のたとえ話を多用(「敵から攻撃されても」とか)しており、その辺にセネカの自分自身に対する厳しさ・ストイックさにじみ出ている。

 

 

 

 

 


 

 

 

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