勉強するのは「生きたいように生きるため」である〜勉強するのは何のため?

2020.05.31 (日)

 

どうして勉強しなければならないのか。子どもたちにとって永遠のテーマである。もしかしたら、大人にとっても永遠のテーマなのかもしれない。大人になっても「どうしうて勉強するのか」について答えが見出だせていない人もいるのではないか。僕自身、そんなに明確な答えは見出していないが‥。

 

 

まず前提として、「どうして勉強しなければならないのか」の答えを出す前に、「『一般化のワナ』に気をつけよ」と著者は言っている。一般化のワナとは何か。

 

 

それは、僕たち人間は、自分特有の価値観を万人に当てはまる心理だと考えてしまいがちだということだ。自分独自の考え、他の人にとってはそうでもないのに、自分に当てはまることが、万人にも当てはまると考えてしまいがちだ。

 

 

たとえば、受験勉強に失敗した人は、「受験勉強なんて無いほうが社会のためだ。受験勉強で惨めな思いをしたり、後まで『受験で失敗した』という経験を引きずってしまう。受験で人生が決まるなんて、そんなのは有り得ない」と言うだろう。

 

 

それに対して受験勉強で第一志望に合格していい思いをした経験のある人は、「受験勉強は社会に必要だ。一生懸命頑張ることで道が開ける経験は、学生の時のみならず社会でも役立つものだ。受験勉強である程度のふるい分けをすることも、効率化のために必要でもある」なんてことを言うだろう。

 

 

何が問題なのか。問題なのは、自分の価値観、自分の経験から出した答えが、絶対の真理だと思ってしまうことだ。紛れもなくこれらの答えは、自分が経験した過去から紡ぎ出した答えだ。故に、他の経験をしていれば、考えや価値観が自分とは真逆になることは容易に想像できる。自分の価値観に囚われないことが大事なのだ。

 

 

自分特有のものである価値観を、一切の妥協のないダイヤモンドであるかのように相手にぶつけては、けっして建設的な議論などできない。やることは相手を打ち負かすことのみで、そんな二人がぶつかってしまっては、そんなのは戦争にほかならない。決して議論や対話ではない。

 

 

「人は自分の経験を一般化しやすい傾向にある」というのが、一般化のワナである。

 

 

この「絶対的な真理なんて無い」ことを前提に著者が言うには、「生きたいように生きるために」僕たちは勉強しなければならないのだ。これは「自由に生きる」と言い換えることもできる。

 

 

僕たちは自由に生きたい。僕対人間は自由を欲して一万年も闘いをしてきた歴史を持っているのだ。今の民主主義、「自分の自由を確保するには、相手にも自由を認めなきゃだめだよねぇ」というのは、200年ほど前に出てきた、人類の歴史で見れば比較的新しい考えなのだ。これを自由の相互承認というらしい。

 

 

この自由の相互承認の原理を「自覚的に強調した」のは、ドイツの哲学者ヘーゲルらしい。

「わたしたちは、自分が自由になりたいのであれば、これをただ素朴に主張し合うのではなく、相手の自由もまた承認する必要がある。相手もまた、自分と同じように自由に生きたいと望んでいるのだということを、まずは認める必要がある」のだ。

 

 

けれど、自由に生きるのは容易なことではない。少なくとも、自由に生きることは「勝手に生きること」ではなく、「生きたいように生きる」という意味だからだ。「勝手に生きる」のであれば、勝手にしたらいい。どうせ野垂れ死んでしまうのだから。

 

 

自分勝手に生活して、自分勝手に振る舞って、自分勝手に弱っていったらいい。どうせ生物的にも社会的にも長くは生きられないだろう。

 

 

そうではなく僕たちは「生きたいように」生きたいのだ。自分の理想とする生き方があって、それが叶うように生きたいのだ。やりたいこと、叶えたいこと、望んでいることがあって、それに沿うように生活したいのだ。サッカー選手になりたい。いい生活がしたい。異性にモテたい。子どもたちと過ごしたい。そんな「こんな風に生きたい」があって、理想通りに生きるのが、人生の理想なのだ。

 

 

著者によると、「生きたいように生きる」には準備が必要で、その準備を学ぶことが、本来の「勉強する」ということなのだ。

 

 

「本来の‥」であるので、著者は、今の学校教育や今の教育制度が理想通りで思い通りだとは思っていない。「生きたいように生きる」を叶えるための勉強になっているとは思っていない。けれど、そもそもの目的で言えば、生きるように生きるための知識や技能を育むのが勉強なのだ。

 

 

そのためには、学校という場が効率的なのだ。決して理想ではないけれど、ある程度の効率性を学校は備えている。他人との自由の相互承認を、自分ひとりだけで学べるとは思えない。自由の相互承認を学ぶには、ある程度の社会性が必要である。家の中で友達と話すらせず過ごすよりも、学校という社会性のある場で、自分の思い通りにはならない、自分の価値観とは違う人たちとともに過ごすほうが、自由の相互承認を身をもって学べるだろう。

 

 

そういう意味での勉強であり、学校なのだ。

 

 

自由を得るため。それは生きたいように生きるため。その準備をするため。それが本来の勉強であり学校なのだ。

 

 

 


 

 

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