迷いがちな人生で背中を押してくれる良書〜14歳からの哲学入門

2019.05.26 (日)

 

良書です。良書。面白かったです。こういう出会いがあるから本を読むことはやめられない。新しいものの見方に出会える。地平線の向こう側、連なる山脈の先。それまでにいた所からはなかなか見えない、壁の向こう側を見させてくれる。「世界は広い」ということを教えてくれる。

 

 

一つの顕微鏡です。この本も、何も本当に新しい世界について言っているわけではありません。地球に未開の地域があって。例えばアマゾンの奥とか。東南アジアの山の中とか。まだ私たちをはじめ、人類が到達していない地域の、本当の意味での「新しい」世界について言っているのではありません。あくまでも、我々の身近にある世界について、著者が自分の意見を述べているにすぎません。哲学だったり、社会だったり。

 

 

だけど一つ見方を変えるだけで、全く違う見方ができるようになります。子どもの頃に経験したことがあるのではないでしょうか。小学校の校庭の隅の方にあるちょっと大きめの石。それをめくってみると、石の下には虫の世界が広がっていたような。暑い日に校庭の草むしりか何かでずっと校庭に出ている時があって、そんな時は暇になって、草むしりに飽きて、何かしらテキトーなことをしたくなります。で、とりあえず石をどかしてみる。そうすると偶然、石の下には自分らとは違う世界があることに気づく。我々の価値観では「気持ち悪い」とも思えるような虫たちが、身を寄せ合いながら生活している。我々の感覚では「奇形」とも思えるような虫たちが、ワッセワッセと、蠢きあいながら社会をつくっている。そんな光景です。

 

 

それが顕微鏡のようなんです。顕微鏡も身近なものを材料にして、違う世界を見せてくれますよね。最近、私も子ども用の顕微鏡をねだられて子どもに買ったんですが、子ども用でも十分に面白いです。なんてことはなく、ただ物を大きく見せてくれるだけです。身近にあるものを。粘土だったり。りんごだったり。小さく分けて顕微鏡で見られるサイズのものであれば、拡大して見させてくれる。特に本当の意味での「新しさ」があるわけではなく、材料はあくまでもいつも見ているものです。

 

 

ですが、顕微鏡を覗くと普段見ている表情とは違う表情で、我々の目を出迎えてくれるんです。りんごの断面だったら、より凹凸感のあるように。よりみずみずしさがあるように。材料は身近になるもの。きっかけは普段から目にしているもの。入り口はいつもの延長上。そこから違う世界が広がるのが、顕微鏡なんです。見慣れない表情。新しい価値観。それまでの感覚に照らせば「ありえない」とも思えるような世界。この本も、私にとっての顕微鏡になってくれました。

 

 

うまく顕微鏡たり得たのは3つ良いところがあったからです。タイミングと、分かりやすさと、著者自身の考えです。順に説明します。

 

 

タイミングが良かったです

 

 

まずタイミングですが、私にとってのタイミングです。たまたま私が「哲学をもっと知りたい」と思っていたタイミングでこの本に出会えたっていうのが大きかったです。高校の倫理の授業が若干、頭に残っていたこともあって、中世までの流れっていうのはだいたい頭の中にあったんです。哲学の、古代から中世までの流れ。ソクラテス、プラトン、アリストテレス、根源とは何か。で、キリスト教。中世のキリスト教の価値観から解放される15世紀近代から今現在までの大まかな流れを、「手っ取り早く、しかも分かりやすく知りたい!」と考えていたので、近代から現在までの哲学の流れが書かれてある本書と、うまくピースが合ったってことです。

 

 

哲学とか思想ってのに興味を持ったはいいのですが、それを題材にして自分の生活に生かそうとすると、「じゃあ自分はどう考えるのか」ってのが必要なんです。必要ってわけじゃないのかもしれませんが、私としては「それに対して自分はこう考える」って言えるようになりたかったんです。で、そのためには今までの流れとか、世の中にはどういった考えがあるのかっていうを知りたかったんです。哲学とか思想ってのは階段を登っていくようなところがあるようで、前の人がどう考えていたっていうのが分からないと、なかなか理解しづらいものがあるんです。それと、全体的な視点です。俯瞰というか目標というか。「全体としてはこんな風になってますよ」っていうのが欲しかったんです。あらかじめ「ここまで登りますよ」って言ってくれないと、階段も登る気がしないですし。どこまで続くか分からない階段なんて、怖いし気が滅入るし、登っていられません。

 

 

というわけで、私が「近代から現代までの哲学の流れを全体的にサクッと知りたい!」と思っていた時に、うまく私の前に現れてくれました。というか、Amazonのシステムが私のディスプレイに本書を表示させてくれて、それをクリックしただけなのですが。そう考えるとAmazonの検索プログラムは間違ってないことになります。うまく働いて最適な本を表示させてくれたので。

 

 

分かりやすさも良かったです

 

 

次に「分かりやすさ」ですが、期待を裏切らなかったです。私の「近代から現代までの哲学の流れを全体的にサクッと知りたい!」という希望に対して、十分に応えてくれる内容でした。モヤモヤをうまく解消してくれた感じです。コップに水が8割くらい注いであって、残りの2割が欲しい、って時にちゃんと注いでくれたような感じです。小腹が空いた時に、うまくチョコチップバナナがお菓子棚から出てきた時の感覚です。最近、セブンイレブンで売っているチョコチップバナナが美味しくて、あれがお菓子棚に入っていると、ちょうど気分的にもお腹的にも満たされるんです。

 

 

で、本書が分かりやすいのは、書き方が上手いんでしょうね。形式張った、格式張った文章じゃないんで。口語でうまく書かれています。それが、読書をする際のハードルをうまく下げてくれています。本を読む時にスイスイ読める感じ。本の中にのめり込める感じです。

 

 

スマホゲームとかテレビゲームとか、ああいうのもやり始めるとのめり込んでしまってなかなかやめることができなくなるんですが、それと似ているかもしれません。「面白い」ってことです。面白くてのめり込むことができなかったら、分かりやすさなんて得ることができません。いかにいいことが書いてあっても、面白くなくて途中で本を閉じてしまったら、書かれてある「いいこと」が読者にも伝わりません。集中して読めました。深いところまで潜って、最後まで泳ぎ切りました。

 

 

こういう口語での記述って、多分、書くのが難しいんじゃないかと思うんです。雰囲気を下げる、というか下品になってしまう可能性もあると思うんです。本全体が。本書は下品になることなく、面白い雰囲気だけ残しての語り口調でした。例えばニーチェのところの文章を紹介するとこんな感じです。

 

 

「こんな連中の宗教だもん、神様の声をきいたって話もホントかどうかわかったものじゃないよな」

こうなったらもうダメ。もはや宗教は、古い時代のような「僕たちに生きる道筋や規範を与えてくれる心の拠り所」としての役割を果たさなくなる。こうして次第に人々の間で「宗教離れ」が起こり、ついには「『神』や『正義(たとえ自分に不利益があろうと守らなければならない正しいこと)』などはありはしない、あると信じるなんてバカバカしい」という価値観、ニヒリズムが生まれるのである。

 

 

実存主義が生まれた背景の一部分なのですが、うまく著者の文章の読みやすさが伝わるでしょうか。うまく引用できていればいいんですが。

 

 

それとバキですね。この本を読む前に、「史上最強の哲学入門」っていう別の本を読んでいたのですが、こちらがバキのテイストを前面に出した雰囲気だったので、この著者の文章に入りやすくなっていました。共通の話題、同じ趣味っていうのは、入りやすさを一気に下げくれますね。初めて会う人とも出身地が同じだと、とりあえず最低限のハードルはクリアした感じですよね。一気に距離を縮められるというか。「とりあえずの話題は確保した」みたいな。私もバキが好きですし、著者もバキが好きなようなので、そういう意味で共通点を見いだせていて、「どこか同じことを考えている部分があるんじゃないか」っていうのが頭にあったんです。疑うことなく読み進められましたね。

 

 

現実の話で、ついさっきも同じ共通点を持っているってことで一気に距離を縮められた人がいたんです。主にSNS上での知り合いで、リアルに会うことはほとんどないんです。フェイスブックでコメントし合える程度の知り合いなのですが、その人もブラジリアン柔術をしていたってことがわかって、薄い繋がりだったのに一気に距離が近くなりました。私が書いたブラジリアン柔術のネット上の記事があって、うまくその記事にコメントをもらえたんです。「エディ・ブラボーが・・」「ツイスターが・・」っていう話題でメッセンジャーで話せました。

 

 

共通の話題があると、「こちら側」っていう風な見方をできるようになるんです。「繋がり」ですね。「どこかで分かり合える部分があるはずだ」っていう希望。文書を読んでいて分かりづらい所や難解な部分が出てきても、諦めずにくらいつける忍耐。「もう少し頑張ってみようかな」っていういい意味での引き際の悪さ。それがこの場合、バキでしたね。「史上最強の哲学入門」で「この人もバキ好きなんだよな」っていうのがあったので、それがうまい具合に、見えない渡り橋になっているはずです。まあでもそれ以前に、バキがなくても分かりやすかったのだと思いますけどね。

 

 

著者の考えに背中を押されました

 

 

最後に「著者自身の考え」です。やっぱりここですね。第六章の「これからの哲学」の部分。この章があるから、読んだ後に「良かった」と思えたんです。期待以上のものを得ることができたんです。「そこまで注いでくれるの?」「そこまで盛り付けてくれるの?」「お手頃な値段でそこまでサービスしてくれるの?」って。私はお酒を飲む方ではないんですが、居酒屋かなんかで日本酒をなみなみ注いでくれるところってありますよね。あんな印象です。「『これまでの流れ』を教えてくれたにも関わらず、この先の視点もくれるんですか?」「『近代から現代までの積み重ね』が書いてあって、それからさらに具体的な視点もくれるんですか?」と。

 

 

結局、これまでの流れをおさらいしてきて、それをどうやって今現在に生かすかっていうのが大事だと思うんです。というか、過去をおさらいする目的っていうのは、結局は「これから先どうするか」ってとことに行き着くと思うんです。もちろん、私自身、「我々はどんな風に生きていくべきか」とか「人生とは」とか「仕事との付き合い方」なんてのに対して、私自身の考えは持っているんですが、それを後押ししてくれた感じです。

 

 

自分の考えなんて、自身のないものなんです。どんなに立派な主張をしていても、結構足元ではグラグラだったりする。そのグラグラっていうのは、理論的にグラグラってものではなくて、自信がなくてグラグラってことです。私も「仕事ってこんなだよね」とか「人生ってこんなだよね」ってことを言うのが好きなんですけど、もちろん、私よりもうまくて強固な考えを持っている人っていうのは山ほどいるんですよね。そういう人と比べてしまうと、自分の考えが大したことのない表に思えてくるし、「自分が間違っているのかなあ」と自信がなくなったり、自分が歩いている道が間違ったことのように思えてくる。

 

 

「こんな生き方をするぞ!」「こんな風に生きていくぞ!」と思って始めたはいいけれど、うまくいっていない時や、なかなか結果を得られない時は、弱気になってしまいます。「自分が勘違いだったのかな」とか「自分、何バカなことをしているんだろう」って距離を置いて自分を見つめる冷めた視線に会うことがある。そんな時に背中を押してくれるものがあると助かるんですよ。背中を実際に押してくれるものでなくとも、ただ「同じ考えだ」とか「同じ方向を見ている」って思えるだけでいいんです。こんな、分かりやすくて人生のためになるような良い本を出している著者の方に対して、私が「同じ考えだ」「同じ方向を見ている」ってのも失礼かもしれないんですけど、第六章を読んで共感できたんです。グラグラしそうな人生を歩んでいる自分の足元を掴んで、揺れを一時的にしろ止めてくれたんです。後戻りしそうな、進むべき道がどっちが分からなくなりそうな自分に対して、「迷わず行けよ」って言ってくれたんです。

 

 

高速道路でも道路標識がありますよね。「こっちは東京方面」とか「東名高速はこっち」とか。首都高でも高速道路でも、運転していて自身が無くなる時は、この道路標識が非常に役立ちます。上の方に道路標識があるだけで、安心してアクセルを踏むことができます。私ももう一回アクセル踏みますよ。助かる。

 

 

無理にこじつけますが、自分がなかなか理解されないのは今の世界では言葉ができていないからです。自分が貼ろうとしているラベルをうまく表すための言葉が、この世界にはまだ無いから。というかラベル自体がうまくできあがっていないからなんですよね。どう考えたって、今あるものに乗っかった方が確実だし、楽だし、先も見えます。安心感が違いますよね。トンネルの中の暗い中をライトなしで走るなんて、不安で不安でできたものじゃありません。この先の道路がどっちに続いているかも分かりませんし、道路自体がある保証もないですし。それよりかは、明るい空の下で先がはっきりと見える中で運転した方が安心です。

 

 

でもですね、でも。それじゃどうしても納得できない部分があるんです。先が見えるからこそ、このまま走って行った際の、未来の自分が予想できる。そんな自分を予想して「こんなんじゃないだろ」って思うんです。そうしたらどうしなきゃならないか。知らない道を行くしかないんです。自分が知らない道。先に行った人がいるのかどうか、というか「先に人が行ったかどうか」なんて関係ないですし。不安な中で道路を走っている時に、背中を押されることがどれほど助かるか。「やっぱり間違ってないよな」「このまま行けるよな」ってアクセル踏んじゃいますよね。

 

 

とまあこんな感じで、本書を読んでいる中で私自身、十分に自分の人生の肥やしにすることができたんです。もっと著者の考えを聞きたいですね。なんか最後、含みがあるような書き方になっていましたし。「これからの哲学を考えるにあたり、3つの視点があるうち1つだけ視点を言います」みたいな。確かに1つは示してあって、その1つが肥やしになったし道路標識になったんです。残り2つも知りたい。まあ本を読んでいけば、いずれバッタリと会うのかもしれませんね、著者の残り2つの視点と。ご縁を期待して、とりあえずこのままアクセルを踏みましょう。

 

 

HUNTER×HUNTERとかドラゴンボールみたいな感じですど、世界は広いし、まだまだすごい奴はゴロゴロしていますね。見たことがない世界ってのは際限なく広がっていて、しかもそれらへの入り口が、私たちの身近に転がっています。本を読むことはやめられないし、こんな世界だからこそ試したくなる。

 


 

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非行に走る子どもは自己中が多いです。頭が固く、自分の価値観に固執しています。周りの人間の価値観や考えを受け入れられず、自分を通そうとします。自分以外の価値観や考えがあること自体が、見えていないのです。自分が正しくて、自分以外の考えは間違いだという先入観から抜けられない状態です。

 

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