「沈黙した宣教師の声」というタイトルの意味〜人生の踏絵

2020.12.16 (水)

 

 

遠藤周作の「沈黙」があまりにも面白くて、こっちの本も読んでみた。「人生の踏絵」

 

 

表紙をめくって1ページ目に「人生にも踏絵があるのだから〜『沈黙』ができるまで」と書かれていて、「『沈黙』執筆の裏話が書いてあるのなら」と思って読んでみた。

 

 

「沈黙」というタイトルの意味について。

 

 

このタイトルには2つの意味があったらしい。まず1つは、「沈黙した宣教師たちの声を聞きたかった」という意味。「沈黙」には歴史的事実の部分もあって、主人公ロドリゴが追い求めていたフェレイラは実際の人物だったらしい。フェレイラが日本に来た宣教師で、拷問の末に転んで、でもって日本で生活していたというのも事実だった。

 

 

遠藤周作のフェレイラに対する解釈が心打たれるもので、「それでも日本に尽くそうとした」というのがフェレイラのキャラクターだったとのこと。僕が読んだ限り、作中ではフェレイラがどこかラスボス感のあるような存在だった。

 

 

少年漫画とかロールプレイングゲームによくある設定だと思う。主人公が背中を追っていた師匠が疾走して、その師匠を探して旅をしていたら、すべての元凶・ラスボスが実はその師匠だった、みたいな。この「沈黙」のフェレイラも、僕にとってはそんな主人公の師匠でありラスボスである存在に読めた。

 

 

初めは主人公の側に見えたフェレイラも、物語が進んで謎だった事実が明らかになってくるにしたがって姿を表してくる。表れた姿を見てみたら悪に寝返っていて、しかも相手側の人間だった。

 

 

僕にとってフェレイラは、悪のお奉行イノウエの側近であって悪の手先。けれど遠藤周作としては、フェレイラにもっと深い、悪の手先である以上に優しさを感じていた。

 

 

というのも、フェレイラは転んでもなお日本に尽くしていた人物だったのだ。迫害されて、捕らえられて、穴吊りにされて、日本名を与えられて、妻をめとらされて、住居をあてがわれて。そんな屈辱的な人生をおくろうとも、それでもなお日本に尽くそうとしたのがフェレイラだったのだ。事実フェレイラは、沢野忠庵として生きてからも、西洋天文学や西洋医学を日本に広める活動をしていたとのこと。

 

 

なんか「幽遊白書」の戸愚呂弟を思い出す。「暗黒武術会で徹底的にヒール役だったけれど、実は誰よりも罪の意識を感じていた」みたいな。

 

 

けれど、こんなにもいい仕事をしていながらもフェレイラという人物は歴史的には無名に等しい。「沈黙」を執筆するに当たって遠藤周作が取材した中でも、「ノート4ページ」にしかならなかったとのこと。

 

 

タイトルの「沈黙」とは、そんな歴史に埋もれて誰の記憶にも残っていない、けれど壮絶な人生を遂げた彼らの声を聞きたかった遠藤周作の思いによるものだったのだ。

 

 

フェレイラは、踏絵を踏んでキリスト教を捨てた。遠藤周作としては、「自分が信じてきた思想を捨てるとはどういうことだろう」「キリスト教徒が踏絵を踏むとはどういう心境なのだろう」と探るような気持ちで「沈黙」を作っていたそうで、沈黙した彼らの声を聴きたかったのだ。それが「沈黙」というタイトルの1つ目。

 

 

それから2つ目は、作品を読んでいてもわかるように、「神の沈黙」という意味。「人生の踏絵」の中で遠藤周作が話していたのだけど、神というのは常に黙ったままである。これは「沈黙」の作中だけのことではない。江戸時代だけのことでも、日本だけのことでもなく。今現在において世界中でそうなのだ。

 

 

世の中には悲しい出来事がたくさん起きている。常に世界の何処かで誰かが悲しみに暮れている。不慮の交通事故、病死。それから規模が大きくなって東日本大震災。世界に目を向ければ飢餓、戦争。ネットではよくアフリカから地中海を渡ってヨーロッパに移動しようとする移民の姿が写真でアップされるけど、アレを見ていると胸が打たれる。

 

 

どうして世の中ではこんなにも悲しいことが起こっているのだろうと。

 

 

それに引き替え、今日も笑いながら優雅な生活をしている人もいる。贅沢な暮しをしている人たちだ。

 

 

2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が「高学歴は努力ではなくて環境によるもの」なんてツイートして炎上していたのを思い出す。優雅で贅沢な生活をしているのは、個人の苦労や努力以前にあらかじめ与えられた環境がものをいうのだ。

 

 

生まれる環境は選べないので、初めから安楽な人生が約束された人間がいる一方で、困難な人生を歩むことが約束された人間もいる。こんな差別・不幸を前にして、どうして神様は黙ったままなのか。どうしてこんな状況を前にして宗教は何もしてくれないのか。

 

 

そういう「神の沈黙」という意味でのタイトル「沈黙」、それが二つ目の意味。

 

 

面白い。やはり作品というのは作品そのものを楽しむ楽しみ方と、読み終わって客観の目で見る楽しみ方とあるのだ。

 

 

それから「人生の踏絵」というこの本自体のタイトルの意味。これについてはあんまり理解できなかた。「誰の人生にも踏絵があるのだから」と言われてもどうなのだろう。「大事なもの、信じていたものを捨てる時」といういう意味なのだろうけど。あったか、それともこれからあるのか。

 

 


 

 

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