子どもの非行の原因で「外国人の子どもだから」というのは正しいのか

2019.11.12 (火)

まあ、偏見に満ちたタイトルではあるが、本文については偏見にならないと思うので、読んでもらえるよう、頑張って書いてみたいと思う。

 

 

日本に住んでいる外国人の人は多いし、これからもますます多くなっていくのだろう。といっても、「日本に住んでいる外国人の数が多い」と感じるのは、日本が島国だからだ。いくら「多い」と言っても、一番外国人比率が多い地域でも数パーセントでしかないはずで、「多い」と言っても所詮は日本人より多い」とか「昔より多い」とか「他より多い」程度のもので、実際に本当に多いのかというと、「多い」という言葉の定義にもよるが、それほどでもないのだろう。欧米なんかの、移民を受け入れている国に比べるとまだまだ格段に外国人の数は少ないのが現状である。

 

 

で、そんな日本において、どうして外国人の子どもだと、非行に走るのか。どうして非行の原因で「外国人の子どもだから」は成り立つのか。それはやはり、余裕がなくなるからだろう。例えば日本では、「外国人である」というだけで差別の対象になることがまだまだ有り得る。冒頭での書いたように、外国人数が多くなったと言っても所詮は「昔よりは」程度のものなのだ。まだまだ相対的に外国人の数は少ない。日本人の方が圧倒的に多い。ということは、外国人がまだ珍しいのである。

 

 

外国人が街を歩いていると、やっぱりどうしても気になる。「気になる」というほどでもないが、やっぱり頭のどこかに「異質なもの」としてインプットされてしまう。べつに外国人に対して差別が有るとか、偏見を持っているとか、自分ではそんなことはないとは思う。社会はフラットであるべきだし、元々は混沌としたものである。境界とか差別とか偏見なんてものは、後から見方によって付け足されたものだ。けれど、外国人を見て「他と違うもの」とか「ちょっと違う人」という思いはまだまだ消えない。30歳代の私ですらそうなのだから、私より年上の人たちは、さらに「違うもの」とか「異質なもの」として外国人の人を見ているのだと思う。別に、実際に外国人とトラブルになったことがあるわけではない。が、やはり浮いて見てしまうのだ。

 

 

で、浮いて見ているのだから、見られている方としてもそう感じるのだろう。浮いて見られていると感じるのだろう。それが、ストレスだろうと思うのだ。こういうのから、余裕の無さに繋がるのではないかと思うのだ。外国人に対する偏見、思い込み、浮いて見る傾向。それというのは、平等に扱っているつもりでも、ふとした瞬間や、なにかトラブルや日常と違うことが合った瞬間などに、出てきてしまうと思うのだ。たとえば、イジメやケンカなどのトラブルがあったとして、「誰がやったのか」などの犯人探しをするときに、上手くコミュニケーションが取れないと、不利益を被ってしまうと思うのだ。こういう普段のストレス。それを家庭の誰かが受けていると、家庭内でストレスは広まるものだし、そうすると、余裕の無さが出てくるのでないか。

 

 

余裕がないとは、イライラに直結する、ということだ。余裕があれば笑って対処できることも、余裕がないと怒りで対処することになってしまう。怒りを相手に向けることになるのだ。そうすると相手もイライラしてしまって、お互いにイライラの向け合いになってしまう。

 

 

私は思うのだが、イライラというのは、犯罪や非行の温床である。地球では何億年も昔に、グツグツ煮えたぎる溶岩の中から生命が生まれてきたのだと思うが、同じように、犯罪や非行というのは、イライラから生まれるものなのだ。イライラしていると、穏やかな判断ができなくなるし、イライラから逃げ出しなくなって、不合理な行動に走ってしまうこともある。イライラから逃げ出したくて、夜の街にでるとか。イライラから逃げ出したくて、何かしら日常を壊したくて、万引をするとか。

 

 

犯罪や非行を見てきたが、それらはイライラと同じ匂いがするのだ。犯罪も非行も、ケンカやトラブルの現場も見てきたが、両者には同じ傾倒を感じるのだ。それはどちらもイライラから生まれたのであって、イライラは余裕のないとところに生まれるものだ。余裕を作ることこそが大事なのであって、それはノンストレスで作ることができる。もしも「外国人だから」という目で見られたり扱われたりしていたら、それだけでストレスを感じるのではないか。実質的な不利益は無いにせよ、そんな風に見られたり扱われたりするだけで、実際に不利益を被っているような感覚におちいるのではないか。それはストレスであって、余裕の無さになるものだろう。

 

 

これから日本では、外国人が増えるだろう。もちろん、中には文化的な違いから犯罪に走る人もいるだろう。法律を守る精神が薄い国から来る人なんかこれである。けれどそうでなくとも、マイノリティーというストレスが原因で非行や犯罪に走るケースもある。外国人が増えれば、そんなストレスを受けることも少なくなるのだろうけれども。

 


 

 

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