エヴァのような読後感。ぶん投げておいて回収しないというモヤモヤした終わり〜銀河鉄道の夜

2020.10.01 (木)

「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ」

カムパネルラは、なぜかそう言いながら、少し顔色が青ざめて、どこか苦しいというふうでした。

 

 

青年は教えるようにそっと姉弟に言いました。

「わたしたちはもう、なんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神様のとこへ行きます。そこならもう、ほんとうにあかるくてにおいがよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代わりにボートへ乗れた人たちは、きっとみんな助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気をだしておもしろくうたって行きましょう」青年は男の子のぬれたような黒い髪をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいてきました。

 

 

けれどもにわかにカムパネルラのお父さんがきっぱり言いました。

「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」

ジョバンニはおもわずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知っています、ぼくはカムパネルラといっしょに歩いていたのです、と言おうとしましたが、もうのどがつまってなんとも言えませんでした。

(「銀河鉄道の夜」本文より引用)

 

 

ん〜、まさか悲しいお話だとは思わなかった。

 

 

物語全体として、不思議で奇妙な世界観が展開されていく。人の名前がまず奇妙。主人公が「ジョバンニ」、その友人が「カムパネルラ」、クラスメイトもいて「ザネリ」ときた。いつの年代なのか、どこの街、国、世界なのかもわからないような場所で、前半の物語が進行していく。前半は銀河鉄道に乗るまで。クラスでいじられて、アルバイトもしていて、病気で寝たきりのお母さんの世話もして。そんなジョバンニの生活が描写されていく。

 

 

「ケンタウルス祭」という街のお祭りの日の夜に、ジョバンニがある丘の上にやってきて風に吹かれていると、ジョバンニの周囲が光りに包まれて、いつの間にか銀河鉄道に乗っているという流れ。銀河鉄道の車内にはカムパネルラもいて、二人で銀河鉄道に乗って「北十字」とか「白鳥の停車場」とか、星座や空の輝く星に由来するネーミングの場所をめぐることになる。

 

 

銀河鉄道に乗って旅(?)をする後半は、「不思議の国のアリス」に出てくるような奇妙な人物たちが登場する。「不思議の国のアリス」にもマッドハッターとかチェシャ猫とかへんてこなキャラクターが出てきていたけれど、銀河鉄道の夜にも奇妙なキャラクターが登場する。

 

 

特に奇妙なのが、鳥を取る人。ジョバンニたちが途中下車した場所でガンを捕まえて、食べるために平たく押しつぶしている。しかもそれもジョバンニたちにおすそ分けしてくる。ジョバンニはそれを食べたけれど、「なんだ、やっぱりこいつはお菓子だ。チョコレートよりも、もっとおいしいけれども、こんなガンが飛んでくるもんか」という感想だった。

 

 

「不思議の国のアリス」は最後に「ああ良かった」で終わる話だった。ハートの女王とかトランプの兵隊たちに追いかけられて必死に逃げていたけれど、なんだかんだで夢オチだった。気がつくとお姉さんが本を読んでいる隣でうたた寝しているだけであって、「アレは夢だったのね」で再び日常にもどることができた。

 

 

けれど「銀河鉄道の夜」は違う。最後は主人公であるジョバンニの友人、カムパネルラが亡くなったことが暗示されて終わる。確かに途中途中、「ん?」と思わせる伏線はあった。銀河鉄道に乗車した直後にカムパネルラは何やら苦しそうだったし。途中から乗車してきた青年と姉妹は、沈没した船に乗り合わせていたという。青年は姉妹に「これから神様の所に行くので悲しくないですよ」的なことを言って慰めていたし。

 

 

で、最後にカムパネルラが亡くなったことがほのめかされて、妙な読後感とともに物語が終わる。どうしてカムパネルラが死ぬことになったのだろう。しかもその理由が「川に落ちたザネリを助けようとして」らしいけれど、どうしてザネリは川に落ちたのだろう。川に落ちたクラスメイトを助けるということは、それだけカムパネルラが勇気と優しさを持った者だということだと思うけど、その辺りをもっと知りたいとも思う。

 

 

そもそもジョバンニ、カムパネルラ、ザネリ。彼らの性別はどっちなのだろうか。実は本文の中では、男の子であるとも女の子であるとも言われていない。会話の内容から小学生くらいの年代であることは想像できるけれど、性別までは想像できない。

 

 

なんとなく男の子なのかなと思って読んだけれど、それは僕が男だからなのかもしれない。もしも女性が読んだのなら、これらの人物をすべて女性として読むのではないだろうか。女性として読んだとしても、なんら違和感なく読める。

 

 

この主要登場人物の「性別すらはっきりしない」というのは、なんともこの物語の奇妙なところである。この不思議な空間を演出しておいて、その不思議さの理由を説明しない辺りを、僕は「新世紀エヴァンゲリオン」を連想させる。

 

 

エヴァも広げるだけ広げておいて、不思議な空間を演出するだけしておいて、一向に回収していない。いや、回収しているのかもしれないけれど、いつまでたっても納得のいく回収をしていない。まるで算数の授業で、先生が答えを言っているのだけれど、その答えが難しくていつまでたっても納得できないようである。

 

 

結局、「使徒ってなに?」「エヴァってなに?」「綾波ってなに?」に対する納得のいくはっきりした答えは提示されていないように感じる。

 

 

このモヤモヤした読後感。奇妙さを残して、謎を残したまま終わりをむかえるというぶん投げ感。それが「新世紀エヴァンゲリオン」にも通じる、「銀河鉄道の夜」を読み終わったあとの感想である。

 

 

人間は理由をさがす生き物らしく、なにかしらの現象を見るとその原因を想像するようにできている。因果関係というものにある種の絶対的信頼を置いていて、「結果があるのなら原因がある」というのを前提としてしか世界を見れないのが人間である。

 

 

そう考えると、銀河鉄道の夜を読んだあとの「どうしてカムパネルラが死ななければならなかったの?」「本当に死んだの? 生きてるの? はっきりさせてほしい」という欲求を持つであろう読者に対して、わざとはっきりさせない展開で終わらせて「因果関係にこだわるなよ」っていうメッセージを、宮沢賢治は含めたのかもしれない。宮沢賢治は、因果関係という人間の理性を超越しているのかもしれない。

 

 


 

 

仕事依頼、絶賛受付中です。

 

犯罪、非行、警察関係、子育てなどに関しての記事執筆。人前で話すのも得意なので、講演依頼などもお待ちしています。下記お問い合わせフォームまたはメールにて承ります。

 


 

 

イライラは良くないし、できればイライラしないで生活したい。

 

感情的になりがちな性格をコントロールして、楽しく笑いながら生活するためのヒントを載せた本です。 「イライラしてはいけない」と頑張っている方々に向けて書きました。

 

電子書籍でも買えますし、紙の本(プリント・オン・デマンド)も選べます。

 

「人に優しくなれる発想法」購入ページへ

 


 

 

「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」の小冊子になります。

「こうすれば思いやりを育めるよ」「思いやりって、つまりはこんなことだよ」というのを載せました。

思いやりとは、スナイパー(狙撃手)のようなものである。35,222文字。目次はこちらで公開しています。

 

下のフォームにてお名前とメールアドレスを入力のうえ、無料でダウンロードできますので、ぜひ読んでみてください。

 

[contact-form-7 id=”4057″ title=”小冊子ダウンロード”]

 


 

 

30分の無料相談を承っております。子ども、非行、犯罪、警察対応、などのキーワードで気になりましたらご利用ください。基本はウェブ会議アプリを使ってのオンラインですが、電話や面談も対応できます。

 

モヤモヤ状態のあなたが、イキイキとする無料相談です。次の一歩を踏み出すために、お気軽にお問い合わせください。

 

下記お問い合わせフォームで「相談希望」である旨をお知らせ下さい。

[contact-form-7 id=”2700″ title=”お問い合わせ”]

 


 

 

「素直さ」を考えるセミナーを定期的に開催しています。スケジュール・詳細はこちらをご覧ください。

 

自己中が思いやりに、
生真面目が寛容に、
怒りっぽさが優しさに、
そして非行が素直に変わります。

 

心よりお待ちしております。

[contact-form-7 id=”10255″ title=”セミナー申込みフォーム”]

▼シェアをお願い致します!▼

関連する投稿

現在の記事: エヴァのような読後感。ぶん投げておいて回収しないというモヤモヤした終わり〜銀河鉄道の夜

お問い合わせ・ご相談はこちら

メールでのお問い合わせ

contact@konokoe.com

フォームからのお問い合わせ

お問い合わせフォーム »

コラムテーマ一覧

過去のコラム

主なコラム

⇑ PAGE TOP