子どもがゲームをしない方がいい理由は何ですか

2020.02.02 (日)

ゲームは麻薬のようなもの

 

 

ゲームをやっていて「時間を無駄にした」とは思いますね。

 

 

僕は1980年代の生まれなので、小学生の時にファミコンが発売されたんですよ。任天堂から。ファミコンをゲームしていて、今思うと「あの時間は無駄だったな」とは思いますね。両親も教員をやっていたので、家庭環境は周りのクラスメートよりは厳しかったと思います。ファミコンで遊べるのは休みの日の限定で、しかも一時間のみ、という約束でした。

 

 

今の風潮で、「面白いことはとことんやれ」とか「興味の赴くままに生きた方が後悔はない」とは言いますよね。確かにあの時、僕は自分がやりたくてファミコンをやっていたんです。中学生になって、高校生になって、親と接する時間が減ると、日曜日以外もゲームするようになりました。が、「あの時間は不毛だったな」と思いますね。もしもまたあの時と同じように何時間でも使える時間を与えられるのだとしたら、もうゲームは選んでいないとはずです。

 

 

まあ、「後悔するからそう思うだけだ」という意見もありますが、それでも思わずにはいられない。あの時間、もしもゲーム以外のことに時間を使っていたら、どんなに良かったことか。

 

 

ゲームって麻薬ですよね。確かに寂しさを癒やしてくれるんですよ。高校生の時に学校がつまらなくて、学校が終わるとすぐに家に帰っていた。友達もいなかったですし、寂しかったんです。男子校だったんですけど、周りの人間が部活やら何やらで忙しくしている放課後に、家に帰宅する以外に選択肢がなかった。それ以外の選択肢を知らなかったんです。家に帰っても何があるわけではない。アルバイトもやってみたけれど、それでもつまらなさは変わらなかった。

 

 

今でなら学校と家以外にいくらでもコミュニティや選択肢や場所ってのはあるとわかっているんですけど、当時は自分の世界や視野が狭かったので、自分の周囲に何があるのかわかっていなかった。インターネットもまだ一般的ではなかったし、もちろんスマホもなかった。今のように手のひらやポケットの中にいつでも何にでも答えてくれるデバイスは入っていなかった。

 

 

だから、学校が終わると帰るしかなかった。自分なりの目標を持っていればよかったのかもしれないけれど、「大学に入る」という目標しかなかった。その目標も、成績が思ったほど振るわなかったので、支えがないグラグラするものになりかかっていた。

 

 

そんな寂しい中で、自分を癒すものといえばゲームしかなかったんです。というかゲームしか思い浮かばなかった。たしかに当時はゲームをしていて時間を過ごすことはできたんですけど、虚しさは感じていましたね。ステージをクリアしても、小さい達成感と大きな虚無感を感じていた。で、当時は「こんなものなのかな」と疑問を感じつつもそれを無くそうとしていなかった。ゲームに変わる他のものを探そうとしてなかった。

 

 

他者や社会との繋がりがあれば

 

 

ゲームよりも、外との繋がりがあればよかったですね。ゲームといってもゲームセンターに行くわけではなくて、家の中でひたすら一人で遊んでいたんです。そこに他者はいなかった。自分と向き合うでもない。自分を通してゲームの世界に入るだけだった。今のゲームならどうなんだろう。ゲームの中で他者と繋がることもできるのかもしれません。ゲームの中にもネットはありますし、ネットを利用してゲームをする時代ですし。

 

 

なので、もしもゲームをするのだとしたら、一人で完結するのではなくて、他者と繋がる環境があると良いのかもしれませんね。そうすると、虚無感をそれほど感じずに、後悔もせずに、ゲームというものを楽しめるのかもしれません。

 

 

「ゲームがあるからこその他者とのつながり」とか「ゲームをとおしての社会とのつながり」があると、そのゲームを積極的に推すこともできるでしょうね。そう考えると、やってもいいゲームなのか、それともやってはいけないゲームなのか、の線引きは、社会との繋がりがあるかどうか、とも考えられます。ただただステージをクリアしていく、その先に何もないゲームだと、勧められないですね。

 

 

その先っていうのは、例えばゲーム仲間とリアルの交流が持てる。ゲームをとおして身につけた知識をアウトプットして他者に提供することができる。世界を広げてくれる他者と一緒にゲームすることができる。というようなことです。

 

 

このような、自分を広げてくれる他者や社会との繋がりがあればゲームは有用でしょう。が、そうでなければ時間の無駄ですね。子ども時代にゲームをしていた私の経験です。

 

 

なので、文章書き初めの主旨とは違ってくるんですけど、もしも子どもがゲームにハマっていて、親としてそのことを「どうしたものか」と思うのであれば、ゲームをコンピュータの中だけに終わらせず、社会との繋がりに利用できないかと考えてみるといいと思います。ゲームをとおしての他者との繋がりが持てないかと模索してみるのです。あるいは今風に言うと、ゲームをとおして何かしらユーチューブで発信できないかと考えるんです。案外、いいコンテンツが見つかるかもしれないですよ。

 

 

 

 

 


 

 

 

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