法治国家で必要なのは法律ではなかったのか〜面白いほどよくわかる現代思想のすべて
僕は哲学とか思想というジャンルが好きだ。
なんで好きなのかというと、そのジャンルの答えを即興で求められる職業をしていたからだ。それというのも警察官なわけであるが、よく聞かれるのだ。この手の質問を。例えばケンカの現場で、相手の態度が気に入らないとして、どうにかして相手を攻める突破口を見つけようとする人は警察官に対して、「相手のこの態度、いいんですか?」とか。
ハッキリとわかる犯罪があるわけではない。殴るとか盗むとか。だけど、何かしら犯罪になりそうなものを見つけて、ソレを突破口にして相手を攻めようとする人は、警察官を利用しようとするのだ。その中で、「これって犯罪にならないの?」というようなことを聞いてくる。そんな時に、いちいち「これは犯罪になる」とか「これは犯罪にならない」とか、そんなことを考えていられない。いちいち細かいところまで擬律判断なんかやっていられない。
かといって、無視するわけにもいかない。そんなときには哲学とか思想を、ボクは持ち出すのだ。「法律以前に道徳の問題ですよ」とか「それはモラルの問題ですよ」とか。だいたい、「なんでもかんでも法律で世の中をカバーすることができる」と安易に思っている人が多すぎると思う。いくら「法治国家」とは言え、人間の営み全てを法律という名の文字の羅列なんかでカバーできるわけがないだろう。法律に照らし合わせたところで載っていないもの、想定外のもの、どっちなのかわからないもの。例外はいくらでもある。
それなのに、「日本が法治国家であって、法治国家とは生活の基盤に法律があるんだ」と考えて疑わない人は、「法律こそが最強」みたいな態度をしている。思うに、法律に疎い人ほど、法律が万能に思っているのではないか。法律に詳しくなればなるほど、法律の限界がわかっていて、「法律を使わないで世の中を渡っていけないものか」と考えている人が多いのではないか。
とまあ、僕もそんな感じで、哲学とか思想というものに興味を持ち始めた。法律に頼らなくても世の中を渡っていく方法としての哲学である。ちょっと法律をかじっただけの人間が、法律という正義を盾にして突っ込んでくる時に、その攻撃をいなさなくてはならない。法律を使った攻撃を真正面から受けることになると、こちらも法律で武装していなくてはならない。確かに法律で武装することはできる。けど、その武装っていうのは本質ではないのではないかと思うのだ。
例えば「なぜ人殺しはいけないのか」という問いがある。これは「法律で決められているから」だろうか。そうではないだろう。法律以前の問題であろう。確かに「刑法に殺人の罪というのがあるから」という答えでもいいのだが、それでは人殺しがいけないことの理由の本質をついていないように感じる。
それとか、顔を近づけて因縁をつけるような人間に対して、あなたはなんと言えるだろう。「因縁をつけるのやめなさい」だけでは心もとない。何かしら理由が必要だ。そんなときに、あなたはどんな理由をつけられるだろうか。「因縁をつけてはダメ」なんて法律はない。相手に物理的に接触していない(殴ったり胸ぐらをつかんだりしていない)のだから、暴行罪も成立しない。そんな時に、どんな理由を言えるだろう。
「なんで因縁つけてダメなんだよ」「そんな法律あんのか?」と相手から言われたときに、なんと答えらるだろう。何かしら法律を持ってきて、無理やり「●●の罪になる」とでも言うのか。
法律だけでは心もとないのだ。相手が法律を片手に攻撃してきた時に、身を守る方法。相手に負けないくらいの法律による武装では、単に法律の知識量がモノをいうようになる。それでは、もしも相手がこちら以上の法的知識を持っていたら負けてしまうことになる。それに、法律での防御は本質からずれている様に感じる。
だから、哲学とか思想が必要なのだ。法律以前の問題として、哲学とか、思想が必要なのだ。「なぜ因縁をつけてだめなのか」は、法律的には太刀打ちできないかもしれないが、「道徳的にダメなんだよ」とならば簡単に言うことができる。「あなたもそんな事をされたら嫌でしょ?」「自分がされて嫌なことは相手にしてもダメなんだよ」「そんなこと、考えなくてもわかるでしょ」ということができる。哲学、思想、道徳、倫理、モラル、マナー。それらは、法治国家と言えど、いや法治国家だからこそ、法律よりも前提にあるものなのだ。哲学や思想という土台の上に、法律が積まれているのだ。
というわけで、法律で攻撃(口撃)してくる相手に負けないための、哲学や思想である。この本はドイツ発の現代思想、パリ発の現代思想、アメリカ発の現代思想を網羅しており、さらにそれ以外の現代思想として、中国・インド・イスラム・日本を少しだけ扱っている。
もちろん、これ一冊を読んだところで現代思想の全てがわかるわけではないのだが、表面的な知識としてをざっと流したり、「とりあえず全体的なものを…」と思っている人にはうってつけの本だろう。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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