その発想はなかった!知らなきゃ損する子どもの家庭環境(その1)

2020.02.05 (水)

父親は、子どもの教育についてどう関わっていくべきだろうか。

 

 

ここでは「親」というよりも、「父親」として考えてみたい。「親」というと、母親と父親の両方を指す言葉であるが、「父親」の方を主な対象として考えたい。私自身、男なので、父親としての立場の方が考えやすい、というのが理由だ。

 

 

さて、父親はどうやって子育てに関わるべきか。2つの方法が考えられる。放棄とイクメンである。永遠の過大にも思える、「どっちがいいか」である。賃貸と持ち家、マンションと戸建て、蕎麦とうどん。世の中には二軸をもちいて「どっちがいいのか」と問う問題が、探してみるとたくさんあるが、子育てにおける「放棄とイクメン」も、その典型であると言える。

 

 

両方のメリットとデメリットを考えて、最終的に「ではどうすればいいのか」という結論まで持っていきたいと思う。

 

 

イクメン

 

まずイクメンであるが、イクメンは子育てにおいては一つの理想と言える。故にメリットはたくさんある。検証が難しく、想像の域を出ないものも含まれるかもしれないが、まずは子どもと接する時間が増えるので、愛情をたっぷりと注げる点だろう。愛情が多い家庭と愛情が少ない家庭、子どもが犯罪や非行に走らずに成長するのは、単純に言えば愛情が多い方だろう。子どもと過ごす時間が多ければ、それだけ子どもは「自分が大事にされている」「自分は愛されている」と感じる。子どもでなく、恋人といても、離ればなれになっているよりかは、一緒にいる時間を多く作ってもらったほうが、「相手が自分のことを大切にしている感」は、多く感じるだろう。

 

 

それと、子どもと一緒にいることで、より多くのことを教えられる、ということだ。子どものことを知っているのは、なんと言っても親である。一番近くにいる親が、他の大人よりも、その子どものことを誰よりも知っている事に疑う余地はない。なので、その子どもの特性に合わせてカスタマイズしながら、物事を教えられるのだ。運動を教えるにしろ、走るのが不得意で速く走れるようにしたいのであれば、走る時間を多く取ればいいし。泳ぐのが苦手で水に慣れさせたい、と思うのであれば、プールや海につれていく機会を多く作ればいい。子どもに合わせて、柔軟に合わせる事ができるのだ。これは、親がイクメンであればこそである。

 

 

では、イクメンのデメリットは何かというと、まずは押し付けになりがち、ということが言える。いくら親といえど、子どもと親は別に生き物である。いくら一緒に暮らしているといえど、年齢が20歳も30歳も違う者どうしである。そこには(特に親にとって)目に見えないくらい深いギャップが存在すると言っていい。「子どもはこうであるに違いない」「子どもはこう思っているだろう」「子どもはこうだろう」という思い込みが、価値観の押しつけになるのだ。

 

 

で、自分の思いがただの思いこみであるにも関わらず、それが真実だと思っている親ほどたちがワルイものはない。「お前のためなのに、どうしてやらないんだ!」という風に、怒りやすくなるのだ。ちなみに、「『叱る』と『怒る』は違う」という説を僕は信じない。「相手に圧をかける」「やられる方はどっちも嫌」という意味で、何も違わないと思っている。

 

 

「こうであるに違いない」という枠を作って、その枠に子どもを当てはめようとするから当然、子どもの自由な発想は失われる。社会にによってカチコチにされた思考法の中でしか考えられない大人の目線・価値観を、子どもは押し付けられることになる。パンと同じで、かまどに入れられて焼かれる中で、本当ならば大いに膨らむことができるのに、あらかじめ「こう膨らんでほしい」という形を矯正されて膨らませられることになる。ちゃんとした形のない膨らみ方ができたのに、造り手としては「商品としてこうあるべきだ」というのが(無意識に)頭の中にあるので、その枠にはめてしまっているのだ。

 

 

そうすると当然、子どもは柔軟な思考ができなくなるだろう。あらかじめ与えらた枠を、社会の限界だと思ってしまう。本当ならば大学に行かず進む道があったにも関わらず、大人が「大学に行った方が良いよ」と言えば、子どもは知らずしらず「そんなもんかな」と考え、大学以外の道をフェードアウトし、あるいは見下すようになる。

 

 

基本的に「教育」とか「子育て」は、枠にはめることに他ならない。確かに人類は先代で学んだことを後世に伝えることで歴史を積み上げてきたのだけれど、それっていうのは、動物園で双眼鏡を渡すようなものだ。あくまで双眼鏡で動物を見ることは、一つの見方でしかないのだけれど、双眼鏡っていうのは動物がはっきりと大きく見えるので、一度双眼鏡で動物を見てしまうと、その魅力の虜になって、他の見方ができなくなるほどなのだ。

 

 

以上がイクメンのメリットとデメリットである。

 

 

放棄

 

次に放棄である。まずはデメリットである。一般的に放棄はよくないとされているが、その理由の一つは、子どもと接する時間が少なくなるからだろう。子どもと過ごす時間が少なくなれば、子どもは愛情に飢えてしまう、という説は、よく聞くものだ。確かに「自分が気にかけられている」という感情は、子どもの安心感にも繋がるし、それというのは精神的な安定の土台になるのかもしれない。学校のクラスでも、職場のオフィスでも、自分が必要のないものと扱われて、「いてもいなくてもどっちでもいい」様に扱われては、精神を病んでしまうだろう。「必要とされている」「かまってもらえる」という雰囲気は、精神的な安定には欠かせないのだ。

 

 

そして、子どもとの時間を多くとることは、この「必要とされている」「かまってもらえている」感を子どもに与えるには丁度いい。というのも、親が子どもと過ごす時間をとっていないのであれば、子どもにとってみれば「自分が好きではないのかな」と、親の愛情に疑問を持つことになるだろう。親が一緒にいない→親は愛情を示せない→子どもは疑問に思う→不安に思う→精神的に不安定、という流れだろう。

 

 

それに、一緒にいなければ楽しい時間を共有できない。楽しい時間があるからこそ、楽しい時間を共有しているからこそ、その楽しい時間以外の時間も一緒に笑っていられるのだ。一緒の思い出を持った者とそうでない者、どちらが一緒にいて楽しいだろうか。一緒の思い出を持った者だろう。イクメンをやって子どもとの時間をつくることは、一緒にいやすくする環境を作ることに役立つのだ。

 

 

次に、放棄のメリットである。放棄のメリットは、子どもの自主性、主体性、可能性を尊重することだ。子どもの成長の可能性は、親には計り知れない。おそらくそれは、親にとっては「理解できない」ことだろう。子どもの可能性は、「理解できない」という形で、親の目の前に現れるのだ。親としては「子どもの可能性を見ると安心する」と考えるかもしれないが、安心するうちは、まだまだ親の想定の範囲内である。想定外のことをやってはじめて可能性が示されるのだし、それが本来の可能性の姿だと思う。子どもの可能性とは、親にとっては「理解できない」ものであり、「不安」でもあるのだ。

 

 

それと、放棄すれば、子どもの主体性も育まれるだろう。あれもこれもと何でも周りが用意してくれる環境と、自分でやらなければ道が開けない環境。どちらが主体性を育ませてくれるだろうか。というか、何でも周りが用意してくれたら主体性もクソもないと思う。何でも用意してくれる環境では、自分で考え、自分で選び、自分で動いて、自分で反省する、という一連の流れがはぐくまれないのではないだろうか。答えが用意されるので自分で考えることもないし、一択しか無いので選ぶこともないし、与えられるので自分から動くこともないし、個々までされては「自分の責任じゃないもん」と当然思うだろう。与えられる環境では、主体性が育まれないのだ。

 

 

ではどっちが良いのか

 

 

では、イクメンと放棄、結局どっちがいいのか。この続きは次回へ。

 

その発想はなかった!知らなきゃ損する子どもの家庭環境(その2)

 

 

 

 

 


 

 

 

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