その発想はなかった!知らなきゃ損する子どもの家庭環境(その2)

2020.02.06 (木)

前回のコラムでは、家庭環境における「イクメン」と「放棄」はどっちが良いのか、ということで、それぞれのメリットとデメリットを見てみた。今回のコラムは、「その結論としてはどうなの?」というところだ。

ではどっちが良いのか

 

 

では、イクメンと放棄、結局どっちがいいのか。父親は、子どもに対してどういった態度で接すれば良いのか。イクメンになれば、親の影響力と安心感を与えられる。が、それというのは親の枠に子どもをはめることでしか無い。放棄すれば子どもの精神状態は不安定になるかもしれないが、その分、主体性や自主性は上がり、可能性は広がったままだ。

 

 

私としては、気持ちをイクメン、行動を放棄が良いのではないかと思う。これは、親にとっては結構、辛い選択である。というのも、気持ちとしては「子どもと一緒にいたい」と思いつつ、実際は距離を置くことになるのだから。

 

 

私はどちらかというと、放棄したほうがいい、とは思っている。というのも、親の価値観・考えを押し付け、子どもの可能性を奪ってしまうことが、以前よりもまして避けた事がいいからである。もしも価値観や考えを押し付けたとして、その価値観や考えでも十分に子どもが人生を戦っていけるのであれば、それほど問題も無いのだろう。親と同じように生活して、同じような環境を子どもが大人になってから作るのであれば、それでもいいのかもしれない。

 

 

けれど、そんな時代でもないだろう。ボイジャー1号と2号が、太陽圏を抜けて星間空間を飛んでいる時代である。インターネットで世界の裏側の情報も即座に手に入れられる時代である。色々な国や社会の、色々な考えが、上空を自由に行ったり来たりしている時代である。そんな時代に、一番身近な人間である家族と同じ価値観や考えを持ったところで、世界は広がらないだろう。少しは広がるのかもしれないが、周りの革新的な人々に比べて、世界の広がり度は相対的に下がってしまうだろう。幸い、世界は広く、自分(親)よりもいい考え、触れた方がお得な考えを持った人はごまんといるのだ。

 

 

なので、親である自分たちの身の回りに子どもを居続けさせるのはもったいない。もっと自由に膨らませてあげよう。枠にはまらず、囚われることなく。そうすれば、子どもが見えるものも違ってくるだろう。

 

 

ここで問題になるのが、精神的な不安定さだ。「放棄して大丈夫か?」「子どもが愛情を感じなくて、精神的に不安定になるのではないか?」と思った人もいるかもしれない。

 

 

けど私が思うに、この愛情というのは、なにも行動で示さなくてもいいのではないか。「一緒にいる」だけが安心さを育むのではないだろう。大事なのは、親が気持ちでどう思っているかだ。たとえ一緒にいなくても、子どもに対する「大事に思っている」という気持ちは、行動や言葉の節々に現れるものだ。なにもイクメンとして一緒にいることを優先しなくても、言葉を交わすことができれば、子どもに通じるのではないか。

 

 

「教えられることは何も無く、背中を見せられるだけだ」という言葉を誰かが残していたと思うが、まさにそのとおり、気持ちは伝えようとして伝わるものではなく、結果として伝わるものだ。それなのにイクメンなどしていつも一緒にいては、厚かましさも伝わってしまいかねない。

 

 

一緒にいるのは気持ちだけでいいのだ。子どものことを何よりも最優先で考えていれば、あとは自分の事に一生懸命になろう。そうすれば、何事も周りから与えられるような、軟弱な子どもはできないだろう。人には機会が必要なのだ。人生の幸福度を上げるには「自分でやっている」という主体性が必要であり、その主体性を育むには、機会が必要なのだ。考えて、決めて、行動して、責任をとる、という機会がなくてはならない。子どもの頃からの繰り返しのトレーニング、それが幸福度に直結する主体性を育むのだ。

 

 

気持ちだけは子どものことを考えていれば、なにもかも放棄することにならなくて済む。放棄過ぎたときに、そのストッパーの役目を果たしてくれるのだ。「気持ちだけは……」なんて、いかにも都合のいい言葉のように聞こえるかもしれない。けれど、それがイクメンと放棄、双方のメリットとデメリットを組み合わせた方法だと思っている。

 

 

親は子どもではなく、自分のことに時間や行動を使おう。自分のことに一生懸命になるのだ。頭の隅に子どものことを置きつつ、時間は自分のために使う。そんな、子どものためでなく、自分のために時間を使う生き方こそが、子どもにも自分の内面を見つめる雰囲気を養うのだ。

 

 

考えだけでなく、行動もイクメンをしていては、絶対に子どもを縛ってしまう。私はよく子どもと一緒に公営プールに行くのだが、そこで見られるのは、熱心に子どもに泳ぎ方を教えているお父さんの姿である。公営プールの初心者向けプールで、子どもの泳ぎ方をお父さん方が熱心に教えておられる。どのくらい熱心かというと、子どもが嫌がっていることに気づかないほど熱心になっている。おそらく当の本人たちにとっては、「子どもを主体性を大事にしながら」教えているつもりなのだろう。が、主体性なんてのは与えられるものではなく、内面から湧き出るものだ。内面から湧き出るから「主体性」というのだろうし、そうでなかったら主体性でもなんでもないだろう。教える際に、いかに「主体性を大事にしている」と思っていても、何かを教えている時点で主体性は一切、無視されているのだ。

 

 

そんなお父さんには、子どもがお父さんに合わせているだけであるのが見えていない。確かに子どもは親に合わせて楽しそうな顔をするだろう。笑い声を出すかもしれない。が、ソレというのは、結局は親向けに生成された笑顔なのだ。本来の無垢な笑顔とは、似ても似つかぬもの。子どもに熱心に泳ぎ方を教えているお父さんは、そのことが見えていない。

 

 

子どもの方も、プールでの楽しみ方を強制されて、どれが本来の楽しさなのかわからなくなっていくだろう。自分の内面から湧き出る欲求に無頓着になり、なにが自分のアイデンティティーなのか、検討がつかなくなってしまうのだ。そんな姿、この流れこそが、パンに型をはめる行為であり、膨らみ方を都合のいいように限定されたパンの姿なのだ。

 

 

子どものことを思うのはいい。子どものことを大事に思う親の気持ちは、決して否定されるべきではない。けれど、それは頭の中にとどめておくべきだ、というのが僕の考えである。子どもが大事だという気持ちを外に出してしまった途端、それは子どもを縛る鎖になるだろう。たちの悪いことに、その鎖は、少なくとも親の目には、子どもを成長させる階段のように見えるだろう。「こうすれば、うちの子どもは成長する」というのがはっきりと親には見えるので、そうしたくなる。けれど、そこまでだ。頭の中にとどめておくのなら、それは階段なのであろうが、それを口でいった途端、行動で示した途端、子どもを縛ることになる。

 

 

「もっと泳げるようになったらいいのに」と思っても、わざわざ子どもに泳ぎ方を教えないほうが良い。絶対に怒鳴ってしまう。子どもを大事に思えば思うほど、イライラしてしまって、「お前のために言うんだけど」なんていいながら、子どもを縛るのだ。子どもも無意識のうちに親に合わせて、「そんなもんかな」と自分の自由な発想、正直な気持ち、素の感情をつかまないままにしてしまうのだ。広がりを潰すことになる。

 

 

子どもにとって、どんな家庭環境が望ましいのか。それは、気持ちの上では子どもを思い、けれどソレを行動には出さない、というスタンスだ。気持ちはイクメン、行動は放棄。これが理想の家庭環境なのではないか。

 

その発想はなかった!知らなきゃ損する子どもの家庭環境(その2)

 

 

 

 

 


 

 

 

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