アカシックレコードは怪しいのか〜未来を知って幸せになる本

2020.02.06 (木)

 

「未来を知って幸せになる本」なんていうと、いかにも怪しくてオカルト感満載だが、アカシックレコード自体は、僕はそんなに怪しいものでは無いと思っている。というのも、世の中、「我々には認識できないけれど、そこにあるもの」というのがあると僕は考えているからだ。時間的空間的には認識できないものだ。

 

 

どういうことかというと、以前読んだこの本を読めばよくわかるのではないかと思う。

 

ドイツの哲学者であるカントは、人間の認識の限界について考えた哲学者である。世の中には人間である我々には認識できないものがあるのだ。これを恐らくカントは、「物自体」と読んでいるのだと思う。物自体は、DVDのようなもの。DVDには確かに映像や音声が記録されているのだけれど、それはDVDをいくら見た所で、わかりっこない。DVDプレーヤーという認識機能のある機械をとおさないことには、映像や音声は出てこないのだ。

 

 

DVDプレーヤーは僕らの認識機能のようなもので、目、耳、鼻、口、触感、などである。この世界を認識する機能が僕らについているから、僕らは世界を認識することができるのだ。逆に言うと、これらの認識機能の範囲の中でしか、僕らは世界を認識できない。DVDディスク自体からは、映像や音声を僕らは感じることができない。いくらDVDディスクを目を平らにして見てみたところで、表面の凹凸くらいしか見ることができないだろう。プレーヤーをとおして始めて映像や音声を認識できるのだ。

 

 

つまり、僕らには認識できないけれど、目、耳、鼻、口、触感で認識する以前の物自体は存在しているのだろう、という推測が成り立つ。これは、もしも例えば僕らがコウモリだったら、認識できるのかもしれない。コウモリというのは、人間からすればまったく未知の世界を認識していると言える。天井にぶら下がって逆さまになっているし、夜に行動するし、喉から高速の鳴き声を連発で発射して、その跳ね返りで世界を認識しているのだ。このコウモリは世界をどんな風に認識しているのか、僕ら人間には想像もつかない。けれど、なにかしら世界を認識している事に間違いはない。僕らもコウモリも、別々の方法で世界を認識している、が、認識機能で認識される対象・物自体は存在するものなのだ。

 

 

だから、我々には認識することができないものは存在するのだろう。目に見えない、耳で聞こえない、鼻で嗅ぐことはできない、舌で味も感じない、もちろん触ることもできない何か。次元すら越えているかもしれない何か。そんなものは恐らく存在するのだ。

 

 

で、こういう普段の僕らには認識できない、あるいは意識して認識していないものが、アカシックレコードなのだと、僕は考える。だから、過去と未来の記憶全てが詰まっている貯蔵庫のようなもの、と言われても、僕は「そうかもしれない」「そういう考えもあるかもしれない」と考える。同時に「答えや正解はわからないけどね」とも思うのだけど。

 

 

直感のようなものらしい、アカシックレコードは。あるいは、直感のことを、わざわざアカシックレコードと言っているのかもしれない。僕らにも普段、「閃き」とか、閃きとまではいかないけど「思いつき」みたいな事は経験しているだろう。「何かしらいい企画はないか」と考えていて、「ああ」とふと閃いた時。「ブログのネタをどうしよう」と考えていて、「そう言えば」とふと思いついた時。著者に言わせれば、それがアカシックレコードにアクセスした瞬間なのだ。

 

 

アカシックレコードはリーダー(読み手)が読むのが手っ取り早いが、練習や稽古や修行さえすれば、誰にでも読めるものだと著者は言っている。もしもそうなのであれば、それほど有用なものはない。直感が冴えて企画やネタに困らない状態なんて、ぜひぜひ体験してみたいものだ。

 

 

本書は、「アカシックレコードとは何か」「著者はどんな人なのか」「どうやってアカシックレコードを読むのか」「アカシックレコードにまつわる、著者以外の体験談」が章別に載っている。アカシックレコードの入門書として面白い内容だ。しつこくなく、細かすぎず、アカシックレコードの概要をサラッと知りたい人におすすめだろう。

 

 

ちなみに、僕もアカシックレコードのセッションを受けたことがあるが、結構リアルである。リーダーにも寄るのだろうが、その日はじめて会ったリーダーが、僕しか知らないことを言っている(ように感じられる)のだ。だから、リーダーの「今のままで行くと、こういう未来が待っていますよ」という言葉にリアルさを感じてしまった。

 

 

レンガが一つ一つ積み重ねられるように、リアルと繋がっていそうな言葉が次々と重ねられるので、リーダーの言葉を信じざるを得ない。実績にのないピッチャーが一瞬にして実績を上げるように、ほとんどアカシックレコードの可能性を信じていなかった僕が、セッションを始めて15分後には、「これは真面目に聞いたほうがいいぞ」と思うようになってしまった。

 

 

たしかに怪しくはある。が、それでも「もしかすると」と期待せずにもいられない。そんな魅力がアカシックレコードなのだ。オカルト的だが科学的でもある。哲学的でもある。本書でその魅力の一端に触れてほしい。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

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