子どもが「学校に行きたくない」と言ったら、無理にでも行かせるべきなのか

2020.06.07 (日)

子どもが「学校に行きたくない」と言った場合、僕たち親としてはどう考えるべきか。

 

 

いじめが原因なのであれば、いじめを対処しなければならないし、「無理に行く必要はない」という答えに比較的容易に行き着く。けれど「学校に行きたくない」の原因が「学校が面白くないから」とか「勉強がつまらないから」のような、いわゆる理由のない理由の場合、親としてはどう考えるべきなのか。

 

 

まずは「無理にでも行かせる」という選択肢が考えられる。ケツを叩いてでも行かせるのである。これには恐怖を与えるのが都合がいい。小学生であれば、親の恐怖もまだ通じるだろう。

 

 

どうして怒ってまでも、どうして恐怖を与えてまでも学校に行かせなければならないのか。

 

 

一つは社会性と言われているものである。多人数、集団の中での振る舞い方、あるいは自分とは別の他人との接し方を学ぶ場として学校をとらえるのである。確かに学校は自分とは違う考えや価値観の人間がたくさんいるし、それによって「面白くない」場所となる。それでもあえてそんな場所に子どもを突っ込まなければならないのは、快楽や幸福は苦痛の向う側にある、という考えがあるからだあろう。

 

 

赤ん坊は社会を一人で生きてはいけなく、必ず大人の助けが必要になる。小学生でも同じである。自分たちだけでは生きていけない。武器を手にする必要がある。そのための武器を学校で入手するのだ。国語、算数、理科、英語、音楽、美術、スポーツ、運動、楽器、友達‥。これらを手に入れて、人生をサバイブするための手段とするのである。そのためには修行に耐えなければならない。

 

 

武器を手にするという快楽は、修行という苦痛と引き換えに手に入れるものである。一見、これは当たり前のように思えるが、これも一つの思想であって、イデオロギーであることを忘れてはいけない。時間と場所が違えば、幸福や快楽が苦痛と引き換えに手にするものという価値観さえ、いつからか始まったものであり、普遍ではないのだ。

 

 

幸福や快楽は、必ずしも苦痛と引き換えに手に入れるものではない。苦痛の向こう側の快楽を当たり前だと信じているから、仕事がつまらないのが常態化してしまうのだ。「仕事はつまらないものだ」という事に疑いを持つことがなくなってしまう。

 

 

「仕事とは辛いから、代わりに給料をもらうことができる」なんてのは間違った発想。資本主義の成り立ちとかその当たりは抜きにして、仕事とは辛いものだろうか。人生の大半を賭ける「仕事」というものは、苦痛であっていいのだろうか。

 

 

だって、仕事は社会に対する自分の働きである。自分の生きた証とも言える。それが本当に苦痛であっていいのだろうか。「辛い仕事をするから、その代わりに給料が得られる」から少し抜け出して考えてみよう。これでは「苦痛の向こう側の快楽」と同じである。

 

 

もしも、「苦痛を経て快楽に至る道」と同じように「快楽を経て快楽に至る道」があったとしたら、僕たちは誰でもそちらを選ばないだろうか。もしも耐えること、我慢することなく幸せを手に入れることができるのだとしたら、わざわざ苦痛前提の道を通ることは無いのではないだろうか、

 

 

たとえば「自分でつくる仕事」は、寝食忘れるくらい楽しいものである。自分の趣味から発展させて、自分の価値観や考えを発信して、どうやったら世の中に見つけてもらって、受け入れてもらって、評価してもらえるのかを考えるのは、快楽である。プラモデルや粘土遊びのようなもので、抽象的なイメージを具現化していくその過程が快感になる。

 

 

幸福や快楽とは、決して苦痛と引き換えに手に入れるものではない。苦痛の向こう側に幸福や快楽があるのではない。幸福や快楽にたどり着くには、必ずしも苦痛を通らなければならないものではない。

 

 

それでは見識が狭いままだし、支配者のいいように搾取されるままだし、人生は変わらない。より自分にとって都合がいい道を探すのであって、自分の率直な欲望に素直になるのだ。そうすることで、自分にとって都合のいい人生が出来上がり、個人レベルでの幸福や快楽の質も上がるのだろう。人生がより楽しいものになるのだ。

 

 

もっと広い目で見ても、一人ひとりが苦痛を甘受するよりも、幸福や快楽のみを大勢が感じる方が、いい社会と言える。

 

 

確かに努力は必要かもしれない。簡単に幸福や快楽は得られるものではない。けれど、努力が苦痛だと勘違いしてはいけない。自分の人生を生きてる人にとって、一生懸命な人にとって、努力とは快楽であって決して苦痛ではないのだ。一見、他人には苦痛に見えるような努力でも、本人にとっては楽しいもの。旅行に行く前日みたいなもので、想像することで快楽が得られる。

 

 

その考えで行くと、行きたくないのを我慢して無理に子どもを学校に行かせることに疑問が伴うだろう。僕たちは幸福な人生や快楽のある人生を求めている。子どもにも幸せになってほしいとは思うのだが、「そのためには我慢しなきゃ」では、見識が狭いのだ。努力はしなければならないだろうが、その努力は決して苦痛であってはならない。

 

 

そのことを親がわかっているのがまずは必要である。なんでもかんでも「学校に行かせなければ」では、結果的に子どもを不幸にしてしまう。受ける必要のない我慢や苦痛を味わうことになる。イノベーションの発想も起こらない。社会も発展しない。

 

 

 

必要なのは、「幸福を得るためには苦痛を経る」という考えから抜け出すことである。

 

 

 


 

 

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