最近、子どもに厳しく接していると感じたら距離を置こう。優しさのワナ、優しさのパラドックスとは

2020.06.08 (月)

「優しさとは距離を置くことである」

 

 

これは誰の言葉なのかというと、僕(千葉とうしろう)の言葉である。自分で考えて自分で作った言葉だ。もしかしたら同じ様なことを言っている人、同じ様な言葉を話している人はいるかも知れないが、自分の知る限りでは、僕以外で似たようなことを言っている人はいない。おそらくオリジナルの言葉だと言える。

 

 

ずっと思っていた。どうして人は、そんなにも自分の影を相手に落とそうとするのだろうと。自分の影響を相手に与えようとするのだろうと。自分が相手の言動を制御しようとするのだろうと。

 

 

自分が相手をコントロールしようとするから、相手だって嫌がるし、嫌がる相手を見て自分もイライラしてしまう。「どうしてわかってくれないの」と。「あなたの為を思って言っているのよ」と。

 

 

イライラの原因、怒りの原因は、出来もしないことをしようとすることで、その代表は人間関係にある。本来コントロールできない他人をコントロールしようとするから、イライラしてしまうし、怒ってしまうのだ。

 

 

本人は「相手の為」だと思っているし、自分の言ったようにすれば相手の人生はいい方向に進み、幸福をもたらすと思っている。

 

 

ここに勘違いが発生していて、客観的な幸福とは主観的に見て幸福でない場合が多い。一般的な幸福を相手に与えたからといって、相手が幸福になるわけではない。幸福とは、自分で掴み取るから幸福なのだ。自分で選択して、自分で決めて、自分で責任を負うから、人は幸福を感じるのだ。

 

 

勉強をする機会を与えられて、ゲームを与えられて、本を与えられて、スポーツをする機会を与えれて、「これをやりなさい」では、人は幸福を感じない。

 

 

人が幸福を感じるには、たとえそれが客観的には幸福と直結するようには感じないものであっても、たとえそれが他人から見れば粗末なように見えても、自分で選んで自分で決定して自分で結果を受け入れることが必要なのである。

 

 

この辺のことは、「予想どおりに不合理」のダン・アリエリー氏も、どこかの雑誌のインタビューで話していた。「人の幸せは選択の自由なのだ」と。

 

 

 

自分としては優しさを持って、相手のためを思って言っているつもりでも、それが相手にとって「与えられるもの」である限り、相手にはあなたは驚異でしかない。相手にとってあなたは、幸福を破壊するモンスターでしかない。自由を奪う暴力的存在でしか無い。優しさとは対極の存在である。

 

 

ではどうするかというと、距離を置くしか無いのだ。離れるのだ。物理的にというよりも、特に「精神的に」である。

 

 

もしも「最近、イライラしているなあ」とか「また厳しく接してしまった」「今日も怒ってしまった」と感じているのなら、相手との距離が近くなっているのだろう。

 

 

大切にしたいからこそ、大事だと思うからこそ、愛しいと感じるからこそ、近寄ってはいけない。優しさのワナである。

 

 

大切にしたいなら、距離を置かなければならない。大事にしたいなら、距離を置かなければならない。愛しいと感じるなら、距離を置かなけれならない。優しさのパラドックスである。

 

 

これは仕事にも言えることで、仕事がツライとか、仕事がキツいと感じるのなら、自分と仕事との距離が近くなっている。入れ込みすぎて、本質的に思い通りにならないことも自分でコントロールしようとして、できないこともしようとして、体と精神に矛盾が生じているのかもしれない。

 

 

距離を置くことだ。無理をしてはいけない。非雇用者が無理をして喜ぶのは、雇用主だけだろう。

 

 

距離を置くと、相手を客観的に見ることができる。状況を俯瞰的に眺めることができる。もしも距離が近いとそうはいかない。目を近づけて本を読むようなもので、極端に文字だけしか見えなくなってしまう。

 

 

話は親子関係に戻るが、子どもを抱きしめていて喜んでいるのは親だけなのだ。子ども自身は自由に走り回りたいと思っているのに、「危ないから」とか「それが子どもの為だから」と言って離そうとしない。自分が優しいと思って、自分は思いやりを持っていると思って、充実感を感じるのは自分ひとりであって、自己満である。偽善である。

 

 

子離れできない親のようなもので、親は自分のためだけに(親本人は「子どもの為」と思っている。あるいは思おうとしている)相手をコントロールしようとしているのだ。

 

 

そういう意味では、相手をうまく自分の思い通りにコントロールできなくてイライラしてしまうのは、まだ救いがあるのかもしれない。「相手が思い通りに動いてくれない」ということは、相手(子ども)はまだあなたのコントロール下に完全に入っているわけではないのだ。まだ救いがある。

 

 

もしも相手が完全にあなたのコントロール下に入って、なんでもあなたの言うことを聞くようになったら、あなたは幸福や充実感を感じるかもしれないが、それは相手にとっては、自覚のない不幸である。

 

 

鳥も虫も動物も、自然の中にいるから美しいのであって、それを人間が作ったカゴの中や家の中に閉じ込めてしまっては、鳥や虫や動物にとっては監獄と同じだ。あなたは自分を救世主のように感じるかもしれないが、相手にとってあなたは怪物のような存在なのだ。

 

 

優しさはとは、距離を置くことである。優しさのワナにハマってはいけない。優しさのパラドックスに気づかなくてはならない。

 

 


 

 

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