どうやったら文末が単調でなくなるのか。文末を踊らせるには〜書くための文章読本

2020.06.09 (火)

 

文章を書いていると誰でも陥ってしまう問題があって、それは文末が揃ってしまうこと。文末が同じになってしまうことである。た・た・た・た・た‥。す・す・す・す・す‥。る・る・る・る・る‥。

 

 

自分で書いていて気になる人もいるだろうし、誰か、例えば先生や編集者などチェックしてくれる立場の人から指摘されたことがある人もいると思う。この文末がつまらなくなる問題について、僕は文章が「下手だから」と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。

 

 

この本の帯には「日本語のお荷物『文末』が、かくもエキサイティングだったとは」と書かれていて、この本は主に、「単調になって同じ語句ばかりが続いて面白くもなくなってしまう文末をどう処理したらいいのか」を教示したものなのだ。

 

 

本一冊まるごと使って文末問題を扱っているので、いかにこの文末問題が根深い問題なのか、多くの人を悩ませている問題なのかがわかるだろう。なにも素人だけではなかったのだ。なにも「下手だから」ではなかったのだ。文末問題で悩むのは皆んなであって、文章に携わろうとするのなら必然的に浮かんでくる問題だったのだ。

 

 

明治の文豪たち、これまで日本の歴史に名前を刻んできた作家たちも、この問題を真摯に考えていたらしい。本書の著者は、歴代の文豪や作家たちの文末問題に対する考えや悩みも、彼らの文章を引用しながら紹介している。

 

 

面白かったし、気づきとして獲られたのは、この文末問題を「日本語の欠点」と記載していることである。日本語の欠点ということは、まずは日本語以外の、たとえば英語なんかには見られない問題だということだ。英語なんかは、話の内容に応じて文末が多様に変化する。

 

 

それに対して日本語は、文末に助動詞が来てしまう。「れる」「られる」「です」「ます」なんかを文末において、それによって「受け身」だの「使役」だの「丁寧」だのの意味をそれまでの文に付随させる。助動詞は文に意味づけするのに無くてはならない。助動詞がなくては文章にならない。助動詞が無くては相手に意味が伝わらない。

 

 

日本語とは、文末に単調な語句が続いてしまう、そんな構造的欠陥を持つ言語だったのだ。

 

 

そう考えると、ラップというものが海外で発展したのも頷ける。文末に似たような韻をわざと持ってくることで、流れの中にリズムをつくったのだ。日本語だと、わざわざ韻を踏まなくても、助動詞を使っていれば自然と同じ韻になってしまう。「‥です。‥です。‥です」のように。

 

 

なので、まずは「下手だから」とか「初心者だから」文末が単調になってしまうのではなく、それは日本語で文章を書く以上仕方のないことなのだ。文章を書く誰もが悩んでいる問題なのだ。そこからスタートしなくていけない。

 

 

で、「じゃあ対処法は何なのか」である。どうやって文末問題を解決したらいいのか。どうやって文末に変化をつけ、つまらない文章から抜け出せばいいのか。

 

 

そのイメージとしては、「踊るような文末」というのを想像してもらいたい。本書の第二章も、そのタイトルは「踊る文末」としている。ずっと同じ語句が続いて「またか」と読者に思われるような文末ではなく、踊らせるのだ。ギターを引きながら手でリズムをとるように。アップテンポな曲が流れるように。子どもが突然水たまりに足を生み込んで「ボチャン!」と波立たせるように。

 

 

その方法は、僕が本を読んだ感じだと、会話を挿入するというのが印象に残っている。他にも「『です・ます調』と『だ・である調』を混同させる」とか、「現在形と過去形を混同させる」とか、「倒置法を駆使する」とか、いくつか方法が書かれてあったが、僕が本書を読んでいて「使えそう」と思ったのは、会話を挿入する方法だ。

 

 

会話を挿入する方法を分類として、「著者が聞いて著者が答える」「自問自答」「読者が聞いて著者が答える」「修辞疑問」が紹介されていた。

 

 

「著者が聞いて著者が答える」も「自問自答」も、「〜だろうか」という対話を入れておいて、それに対して著者自身が答える方法。どちらも結局は著者自身が答える事に変わりはない。著者が文章を書いているのだから当たり前だ。違いは、「著者が聞いて著者が答える」の方は、疑問を投げる先が読者であるのに対して、「自問自答」の方は初めから疑問を投げかける先が著者自身である、ということ。

 

 

「読者が聞いて著者が答える」とは、読者の疑問を想像して文章の中に挿入しておく、というもの。

 

 

「修辞疑問」とは、形は疑問(「か」を伴う)だけれど平叙文のこと。例えば「彼の腕は逸品ではありませんか」とか「果たして僕は持っていたのであろうか」など。肯定と否定がひっくり返る特徴があるようである。「彼の腕は逸品ではありませんか」は、逸品だという意味。「果たして僕は持っていたのであろうか」は、持っていなかったという意味になる。

 

 

こんな風に対話を盛り込むことで、文末をアップテンポに踊らせる。

 

 

で、ここまでこのコラムを読んで、こんな疑問を持たないだろうか。「対話は文章の途中に挿入するんじゃないの?」「文章の途中に対話を挿入したところで、文末は変わらないんじゃない?」と。

 

 

確かにそんな疑問もごもっとも。対話は文中に入れるのであって、直接文末は変わらない。けれど、一度意識して入れてみるといい。これらの対話法を。するとどうなるか。文章全体がアップテンポになって、引きずられて文末もアップテンポになる。

 

 

文章全体が波打つようにうねり、文末もうねり踊るようになる。本書の本文にも書いてあったが、書くことは対話である。対話的なキャッチボールの投げや受けの要素が文中に投じられると、波紋は文章全体に広がる。文章が全体が躍動するようになるのだ。

 

 

 


 

 

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