児童虐待を防ぐために必要な「気づき」とは〜週刊東洋経済 子どもの命を守る(その2)
そうなると、袋小路に迷い込むしかない。先が細くなっている道を進むしか、選択肢がないのである。こうなると、一番悪いパターンになる。ミスや失敗が取り返しがつかない状態になって、初めて発覚するパターンである。虐待で言えば、虐待死などの取り返しがつかない状態、ことが大きすぎて隠しておくことができない状況になってから発覚するパターンである。
これを防ぐにはどうすればいいか。まずは、支援を受ける際の心理的ハードルを低くすることである。職場でも、普段から上司が部下と交流を持ち、自分の失敗談を話すことが重要なのではないか。部下にとってみれば、上司の失敗談を普段から聞いていることによって、まだ初歩の段階で「失敗するのは自分だけじゃない」と気づくことができる。「自分一人がこんなミスをしている」と自分で自分に落第のレッテルを貼ってしまうと、なかなか周りの支援を求めてヘルプを出すことができなくなってしまう。ミスを大げさに解釈せず、「誰にでもあること」と解釈できるような視野の広さが必要なのである。
それは、世の中をフラットに見ることでもある。自分を特別視しないのだ。よくあるのが、自分や自分が置かれている環境が特別なものだと思い、受けられる支援を受けられないパターンである。職場にもいるだろう。自分たちの職場や仕事分野が、他とは違うものだといういじけた思考回路を持つものが。自分たちの状況を打破するのにきっかけになりそうな話を聞いても、「ほら、ここの業界って特別じゃん? そんなの無理だよ」という輩が。自分たちだけが、離れ小島に浮いているように思っていては、いつまでたっても支援は受けられない。特別なのは自分たちだけではない、という周りと自分を同じ土俵にいる人間として見ることが必要なのだ。
警察官として、虐待の現場や、虐待が疑われる現場になんども立ち会ったが、家庭というのは、自分たちの虐待を必死に隠そうとする。ミスを隠そうとする職場の若手と一緒である。周りが見えていない。ミスをあってはならないことだと過度に思い込んでいるが故に、「自分たちはそんなミスはしない」という思考になるのだ。
家庭でも同じだ。虐待が恥ずかしいことだとか、虐待があってはならないとか。ごく普通の一般的な家庭を営むことができて当たり前、なんて思っているから、いざミスが出てくると、たとえ小さなミスでも隠してしまう。「自分たちはミスなんかしていない」と思い込んでしまう。
職場でも家庭でも、ミスをして当たり前なのだ。ミスをすることに対する不安や恐怖を排除することが、問題の根本的な解決だろう。誰にも正解は分からないことが正解なのだ。正解を知っているものなどいない。
SNSが流行っており、誰もがSNSで自分たちをアピールできる時代だ。写真も投稿できるし、投稿した写真に対する「いいね」もすぐにもらえる。気をつけたいのは、社会に氾濫する、投稿された写真は、社会のごく一部分でしかないのだ。それも光が当たっている半分の、さらに光が強く当たっているごく一部だけなのだ。
当然ながら、投稿する人間は、自分たちの光が当たっている部分しか投稿しない。自分たちの失敗は決して投稿しない。「失敗も投稿している」とうたっている人間だって、投稿している失敗は「投稿でいるくらいの失敗」なのだ。本当の失敗、投稿できないくらいの失敗は、決して投稿されない。けれど、絶対に失敗も最低、半分はあるものなのだ。自分が輝いている場面、自分がよく写っている場面、自分に光が当たっている場面しか投稿しないが、その裏には同じくらいの、あるいはそれ以上の醜い姿があるものなのだ。
虐待をなくすには、自分たちが虐待をしている、という気づきが必要だ。それと同時に、社会には「誰でも虐待をする可能性がある」という共通の認識が必要である。さらにそのためには、「自分たちもこんだけのことをしてきた」というミスを公開するような心意気が必要である。社会で大きな問題になっている児童虐待という問題も、その根本にあるのは、身近なSNSと同じである。「良いところは見せたいし、悪いところは見せなくない」という、どうしようもない人間の心理である。必要なのは「自分たちのミスを大っぴらにする」という行動であって、そのためには「ミスをとがめない」という寛容さが必要なのだ。
なんと、結局はこの問題に行き着くのである。職場の問題と一緒、SNSと一緒、なのだ。子どもの正しい育て方なんて、誰にも分かるはずがない。誰も正解を知らない。手探り状態でやっているのだ。その中で失敗やミスrは当たり前であって、そんな失敗やミスをしてもとがめない社会の寛容さが必要なのだ。いちいちミスをとがめられていては、発覚するのを恐れてミスを隠すし、ミスへの気づきが遅れてしあうだろう。
子育てはストレス行為である。誰もが子どもの言動にイラつくし、サジを投げたくなる。それで当たり前なのだ。そんな素直な気持ち、本音、素の心を発信して、さらにそれを受け入れられるような、寛容さが社会には求められるのだ。
(その1へ)
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