子どもの非行を防ぐために必要なのは体操である
子どもの非行を防ぐには、優しさであ。犯罪や非行が何から生まれるかというと、イライラや不寛容から生まれるのである。社会に蔓延する、人に対するイライラ、他人に対する不寛容から、窃盗、暴行、詐欺、交通違反などの犯罪や非行が生まれるのである。まるで溶岩の中から初期の生命が誕生したように。というわけで、大事なのは人に対する優しさや寛容さである。
では、どうすれば人に対して優しく接したり、寛容さをもって対応することができるのか。それは柔軟さである。柔軟さをもった考えが必要なのだ。自分の立場、自分の価値観、自分の考えに縛られず、その場の状況に応じて変化できることだ。「自分の立場、自分の価値観、自分の考え」と書けば格好いいかもしれないが、それらの多くは大抵、偏見でしかない。確かに「自分にはこう見える」という芯を意識することは揺るがない自信を持つことになるのかもしれないが、それは同時に、思い込みに囚われる危険もある。そして優しさや寛容さという観点で見た場合、思い込みや偏見は、敵なのである。
たとえ自分が四角い考えを持っていたとしても、相手が三角だったら三角に合わせられるように。たとえ自分が青色の考えを持っていたとしても、相手も同じように青色の考えを持ってきて、「これじゃあ違いがわからなくなるね」となった場合、自分の考えを赤色に変化できるように。あるいは自分が青色、相手が赤色の考えを持ってきて、「考えを一緒にしたいね」となった場合、自分の考えを赤色に変化できるように。そんな、自由に変化できる柔軟性が、優しさや寛容さには必要なのである。
もしも自分の頭を柔軟にしたいのであれば、ストレッチをしてみてはどうだろうか。体を柔らかくするのである。関節の可動域を広げたり、筋肉を伸ばしたりして、動かない状態からより動く状態になるのである。
「体を柔軟にしたって、頭が柔軟になるわけじゃないだろう」と思っただろうか。一見、体を柔軟にしたところで頭が柔軟になるわけではないと考えてしまえそうだが、じつはそうでもないのだ。考え方を柔軟にするために体を柔軟にすることは、案外、バカにできるものではない。効果があるものなのだ。
それは、考え方とは視点であるからだ。見える範囲、感じ取れる範囲でのみ、物事を見てしまう。我々は偏見の塊なのだ。例えば、東北や北海道なんかの寒い北国に住んでいる人にとって、冬には雪が降るものである。が、冬に雪が降るのは当たり前のことではなくて、それは世界という中のごく一部の地域に限ったことでしかない。もしも自分の住んでいる北国のみならず、他の温かい地域の冬を見ることができていたら、冬に雪が降ることを当たり前のことだと考えることもないだろう。
例えば、我々日本人にとって、知っている人に会えば頭を下げて挨拶するのは「常識」である。が、これも世界の中の登用というごく限られた一部の地域の話であって、欧米社会では手を上げることが、挨拶だったりするのだろう。頭を下げることに不慣れな欧米人はいくらでもいるのだ。ところが、日本にしか住んだことがなければ、このことはわからない。日本の文化を、人間全体の文化だと勘違いしてしまう。「世界中のどこに行っても、人は頭を下げて挨拶するものだ」と偏見で世界を見てしまうことにあんるのだ。もしも日本だけにとどまること無く、もっと多くの国や違う文化の中に住んでいたことが合ったならば、ごく一部の文化を全体の文化だと勘違いするこもないだろう。
このように、相手に理解というのは、視点を広げることで得ることができる。視点を広げるには、つまりは目の位置を変えることであるが、目の位置を変えるとは、体を広く動かせることなのだ。たしかにストレッチで広がる可動域というのは、数ミリや数センチの範囲なのかもしれないが、その数ミリ数センチの違いで、角度が違ってくるものなのだ。遠くにあるものほど、少しの角度の違いで全く違うものが見えるだろう。
動かせる範囲が広くなるとは、目の位置を置く範囲が広くなることであって、視点が変われば考えも変わるのである。自分に相手を合わせようとするばかりでなく、相手に自分を合わせることが柔軟性であって、優しさや寛容さといわれるものである。身体と心理は繋がっていて、身体が柔らかくなれば、心理も柔らかくなるのだ。「投げる」とは、物を遠くまで飛ばすことであると同時に、自分の責任を他人に押し付けることである。「骨が折れる」とは、骨折することであると同時に、苦労することでもある。
子どもの非行を防ぐには柔軟さが必要なのであって、そのためできる簡単なことは、ストレッチである。手に取れる、手で触れる具体的なことから始めるのが近道だ。心理的な変化をうながすには、まずは身体的な変化である。体を動かして、体をストレッチしてみて、考えの変化、視点の変化、価値観の変化を感じ取ってみてはどうか。
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ようやくできました。「妄想スナイパー理論」です。タイトルは「インパクトがある方が人目につくかな」と思って、こんなタイトルにしていますが、中身は「犯罪と非行をなくして、思いやりを育む方法」になります。
思いやりってけっこう、掴みどころのないものだと思うんですよ。昔から「思いやりを持ちなさい」とか「思いやりが大事です」なんて周りから言われることは多いと思いますが、「それって何なの?」と聞かれた場合や、「それってどういうこと?」と深く知ろうとした場合、それと「どうやって持つことができるの?」となった場合に、うまく答えられないと思うんです。
そこで、一つの具体案として、「スナイパーのようなものだと」というのを示したいと思います。スナイパーとは、遠くから銃で相手を狙う、狙撃です。思いやりとは、スナイパーのようなものなのです。もちろん、思いやりっていうのは頭の中のことなので、実際に銃なり狙撃なりはしませんが、遠くから狙うすスナイパーと思いやりっていうのは、似ています。
スナイパーと思いやりはどうして似ているのか。スナイパーと思いやりの間の共通点とは何なのか。スナイパーと思いやが似ているのだとしたら、思いやりを育むにはどうすればいいのか。そんなことを、この小冊子には載せてみました。35,222文字です。目次はこちらで公開しています。
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