子どもの非行を防ぐために、親は子どもから離れたほうがいい(その1)

2019.09.20 (金)

冒険の反対語が母親である

「冒険の反対語が母親である」

 

 

これは、とある著名な漫画家の言葉である、らしい。なるほど、確かに的を射ているように思える。おそらく親というのは、子どもが可愛いために、もう盲目になってしまうのだろう。近づけば近づくほど、視野も狭くなる。周りが見えなくなる。野球が好きだからといって、ジャイアンツの試合だけ見ていては他の球団に盲目になってしまう。ジャイアンツという具体だけが見えて、野球という全体が見えなくなるのだ。

 

 

子育ても同じようなものだろう。自分の子どもが可愛いからといって、自分の子どもだけを見ていては、社会とか日本とか人間全体とか、もっと広い視野で見なければならない全体が見えなくなってしまう。確かに親の身勝手という視点で見れば、それでもいいのかもしれないが、子どもからの視点で見れば、盲目的に育てられることは幸せなのだろうか。冒険に出してもらえず、暖かい環境で育てられるのは、子どもにとって幸せだろうか。

 

 

昨日見たDVD「バットマン ビギンズ」で、「落ちるのは這い上がるのを学ぶためだ」というセリフがあった。子どもを思う親というのは、子どもに成長する機会を与えるのであって、それは決して生易しい環境を用意することとは別だろう。

 

 

こんなことを書くと、「確かに甘やかしている親は多いようなあ」という言葉が聞こえてきそうだ。だが、これを「自分ごと」として読んでいる人はどれほどいることか。おそらく「子どもを甘やかさない」とは、子どもから嫌われることで完成する。子どもから嫌われないように、子どもと一緒に写真を撮って、子どもと一緒に経験を積んでいる場合ではないのだ。

 

 

子育てとは、子どもが独立することで完結する。このことに異論を挟むものはいまい。どこの親でも、どこの人間でも、考えればこのことには誰もが行き着くことだろう。けれど、この独立とはいかほどのものなのか。この独立という言葉の定義も曖昧ではなるが、いざ子どもが独立したとして、その時に「自分は親のおかげでここまでくることができた」「親がいたから、今の自分がある」とでも思っているようなら、その独立は100パーセントではない。まだまだ親の傘下にいるということであって、親の庇護のもとで守られているということだ。

 

 

「親は何もしてくれなかった」「ここまでくるのに、自分の力で道を切り開いてきた」と思うことで、独立は完成する。実際に親がどうしようと、何をしようと構わない。けれど、親は子どもから邪険にされて、「使い物にならない」と思われて、それで初めて子どもが自分の道を歩いていけるという状態なのだろう。

 

 

親は嫌われ者にならなければならないのだ。これがなかなかできないから、「冒険は母親の反対語である」などと言われるのだ。親は子どもが可愛い。可愛い相手からは嫌われたくない。冒険は必要なのに、冒険に出せない。という論法である。

 

 

とりあえず、距離を置くべきである。子育てから。全ての親が、だ。距離を置いて、社会全体を見ながら子育てをするべきだ。木を見ていたのでは、森全体が見えなくなる。一本の木ばかりを見ていたところで、その木が成長できるような手ほどきをできるわけではあるまい。

 

 

子育てはストレス行為

それと、どう考えても子育ては「ストレス行為」なのだ。いくら「自分は子育てにストレスと微塵も感じていない」という人がいたとしても、それは多分に嘘が含まれれる。表面を取り繕っているだけなのだ。子育ては自分の自由を減らす行為である。人間が本来持っている、自由への渇望からは、全くの逆向きの行為なのだ。

 

 

それがストレスでないわけがない。問題は、この「子育ては基本的にストレス行為」だということを、声を上げて言えないことではないか。児童虐待とか家庭内暴力といった事件が報道されると、「今の親には子どもを育てるだけの能力、いや能力以前の人として基本的なことが欠けている」などという人がいるが、とんでもない。自分の心に蓋をして、本音を言えないでいる。何が建前で、何が本音なのかわからなくなっている。そこが問題なのだ。本音は本音として、声を大にしていうべきだ。子育てはストレス行為なのだと。その上、どうするべきかの対策を考えるべきなのだ。

 

 

声を大にして言えないと、余計にストレスがたまる。顔を上げて周りを見て欲しい。社会に目を向けてほしい。目黒の児童虐待だったり、埼玉の小4の義父による殺人だったり。子どもを殺すことに事欠かない世の中である。監視という意味もあるだろう。保育園に預ける、というのは、何を育児を放棄した姿勢ではない。真剣に子どもを思うから、子どもの将来を想うが故の選択なのだ。当然のロジックである。電卓を弾いた結果の、保育園に対する「預け」なのだ。その簡単な計算の結果を邪魔するのは、人の目であり、そんな人の目を作り出す、自分で考えることをしない人間のバッシングである。「仕事もないのに保育園に子どもを預けるなんてとんでもない」という、自分の考えを持たない人間のバッシングであり、そんな周りの目を気にしてしまう姿勢なのだ。

 

 

セーフティネットの役目なのだ、保育園は。自分たちだけで子育てをしようとするから、ストレスがたまって虐待をする者も現れる。うまく親から引き離す。それが保育園の役割でもある。セーフティネットだ。なぜなら、どの家庭でも虐待は起こり得るから。全ての親から子どもを一定時間引き離す。それが保育園や幼稚園の役割といっていいだろう。そうすることで、社会で発生する虐待を防ぐことができる。全ての児童や幼児が監視の対象なのだから、「この家庭に虐待はないから大丈夫」「この家庭は怪しいから監視しなければ」という選択する手間が省けるのではないか。

 

 

「ウチに虐待はありません!」「ウチが子どもに虐待をしているっていうんですか!」などという的外れなモンスターの意見にも毅然とした態度を取りやすくなるだろう。なぜなら、どこの家庭にも虐待の芽はあるのだから。

 

 

「ウチに虐待はありません!」「ウチが子どもに虐待をしているっていうんですか!」と言っている時点で、建前を言っているのだ。本音が言えていない。子どもに対してストレスを感じない親などいない。子どもが可愛いからこそ、周りを見ずに子どもばかりを見ようとするのだ。その結果として、周りが見れなくなり、自分の子どもに対してすら盲目的になる。

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