子育てを楽にするには、子育てから離れるべきだ
私は詳しくないが、舞台や映画に詳しい人ななら一度は見たことがあるのではないか。チャップリンの映画を。彼は19世紀にイギリスで生まれて、喜劇王として、その世界では伝説になっているらしい。画面が白黒で、音がまだない時代の映画で活躍していた。その喜劇王はたくさんの名言を残しているらしいが、こんなことも言っているらしい。
「人生は近づいてみると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」
なかなか的を射ているではないか。それに、私が普段言っていることにも通じる。抽象的に、世の中を見るとは、このことなのだ。この言葉の解釈についてもいくつかのサイトを見てみたけれど、どれも「時間が経てば」と解釈しているところが多いように感じる。チャップリンのいう「遠くか見れば」ということころを、「時間が経って」「時間的に遠くなれば」と解釈しているのだ。確かにそれでも悪くないと思う、それが一番簡単な解釈なのだと思う。例えば、会社での失敗も、その時は怒られるけれど、時間が経てば飲み会のいいネタになるだろう。子どもの時の失敗も、大人になってみれば笑いのネタとして使えることがある。オネショとか、電車でのおならとか。場合によっては、いじめすらネタにすることができるだろう。
けれど、この「離れてみれば」というのは、決して「時間が経てば」ではないと思う。そればかりではない。というか、時間が経つのを待つ必要なんかないのだ。時間なんか立たなくても、考え方、見方、視線、世界観、価値観。そんなものを変えるだけで、いくらでも人生は喜劇になるのだ。
簡単なことだ。冷めた目で、心を離す感じで物事を見たらいい。変な言い方をするかもしれないが、人ごとだと思ってしまえばいいのだ。例えば、何事も自分のことだと真剣に考えるが、人に起こったことだと冷めた目で見ることがあるだろう。電車に乗り遅れたり、飲んでいたコーヒーをノートパソコンにこぼしてしまったり、ランチを食べようとして現金がなかったり。どれも当事者にとってはとてつもなく恥ずかしいことかもしれない。けれど、人の話として聞くと、笑い事でしかない。
当人にとっては、どうしようもないこと。隠れてしまいたいぐらいに大きなことでも、他人にとってみれば、昆虫ほどの小さいことでしかない。これは何もデメリットばかりではない。小さく見られることのメリットは、視野が広い中で見られる、ということだ。
例えば、自分がパソコンにコーヒーをこぼしてしまったら、とてつもなく焦るだろう。どのくらい焦るかというと、まともな判断ができないくらいに焦ってしまわないだろうか。
「あ、こぼしてしまった。せっかく高かったパソコンだったのに」「とてつもなく大事なデータが中にあるのに」「これからパソコンをを使った仕事があるのに」
そんなことを思っていたら、焦りで心がいっぱいになってしまって、どうしたら回復できるか、とかどうやってパソコンが使えない中で仕事を進められるか、などの視点が抜けてしまわないだろうか。
もしかしたら大したことでないかもしれないのに、もしかしたらごく一部分の小さなことなのかもしれないのに、自分ごととして見ると、それがとてつもなく大きなものに見えるのだ。その対象に思い入れがあったり、大事だと思っていたり、「自分がなんとかしなきゃ」と思っていると、視野狭窄におちいってしまうのだ。
これはチャップリンの言っていることと同じで、人生を近くで見ているからなのだ。その対象に思い入れがあって、大事だと思っていて、だから近くでしかみれなくなってしまう。顔を近づけていることに、自ら気づいていない場合もあるだろう。いつの間にかそのことが頭の中を占めているのに、自分で気づいていないのだ。
これでは悲劇に見えて当然だ。なぜなら、そのもので頭の中がいっぱいになっているから。とてつもなく大きなことだと勘違いしているから。
だから、人ごととして、距離を置くくらいがちょうどいいのだと思う。人生もそうだし、人生に限らず何事も、離れて見るくらいがちょうどいいのだ。そうすれば、時間が経つのを待つ必要なんかなく、その場で悲劇が喜劇に変わるだろう。要は考え方次第、ということである。
おそらく子育てにも、この法則は当てはまる。子育ても、近くで見ると悲劇だけれど、離れてみれば喜劇でしかないのだ。虐待とか家庭内暴力の現場にも何回か行ってきたが、共通して言えるのは、みんな視野が狭くなっている。第三者的な立場で見ると、取るに足らないようなことでいっぱいになって、時間が、エネルギーが、お金が足りなくなっている。余裕がなくなって、まともな判断ができなくなっている。
これを防ぐには、離れて見る必要があるのだ。時間が経つのを待つ必要なんかない。その場で「どうでもいいや」とサジを投げてしまおう。あるいは「自分だけじゃないし」と、自分を特別視することなくフラットに見てみよう。そうすれば、頭を覆っていた黒い布が取れて、青い空を仰ぐことができるのではないか。上から全体を見るような、離れて物事を見るような、考え方や見方ができるのではないか。その時には、子育てもなんでも、喜劇として見ることができるだろう。
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