子育てとはストレス行為だ。ゆえに親は子育てから距離を置くべきだ

2019.09.25 (水)

世界史とか日本史とかの歴史を勉強すると、歴史っていうのは自由を獲得する、あるいは自由に目覚める繰り返しなんだと思い知らされる。

 

 

例えば江戸時代の話、一般平民の上には武士がいて、役人がいて、将軍様がいて。一般平民にとってはそんな支配される時代だったにも関わらず、その被支配を甘んじて受け入れていた。確かに一揆とか、時々予期せぬことが起きるけれど、一揆というのは「支配されるのが嫌だ!」という声をあげるものではなくて、「もう少し年貢を減らせ!」とか「もう少し楽な暮らしがしたい!」というものだったらしい。

 

 

つまり、支配と被支配層の逆転とかの革命が目的なのではなく、「支配と支配層はこのままでいいから、もう少し楽にさせてくれ!」という圧政の緩和が一揆の目的だったらしい。確か中学校の社会の先生が授業で言っていた。

 

 

人々というのは、なかなか支配されていることに気づかないものだ。長い年月をかけて、少しづつ自由を獲得していくしかなかった。自由の幅を広げていくしかなかった。明治の時代に四民という考えがなくなったらしい。武士も、農家も、町人も、フラットな世界観を持つようになった。

 

 

それから、戦後に投票権が全ての男性に行き渡るようになった。「国税でいくら以上を納めている者のみ」という縛りがなくなった。さらには女性にも投票権が広がった。「女性は男性よりも下」という考えがなくなり、女性の自由が広がったわけだ。

 

 

さらには今でも、世界のどこかでドンパチをやっている。それっていうのは、支配からの脱却を目指すものであり、自由を獲得するためのものであろう。アラブの国が、大統領の支配から逃れるために、アメリカの支配から逃れるために、自由を獲得して歴史を作ろうとしているのだ。

 

 

さて、もう一つこれなんかも「もっと自由に目覚めるべきだ」と僕は思っているのがあるんだけど、それは何か。子育てだ。まだまだ本音を言えないのではないか。まだまだ「当たり前」や「常識」だと思っているものに支配されているのではないかまだまだ「しきたり」や「伝統」を押し付けられて、押し付けられていることに気づかないでいるのではないか。

 

 

基本的に、子育てとはストレス行為である。だってそうだろう。子どものために、親は自由を削っているのだから。お酒を飲むことをしないで、テレビを見る時間を割いて、休日を返上して、子どものために使っているのだ。子どもを見ている間は、自分のことができない。自分がやりたいと思っていることができない。これは明らかにストレス行為だろう。

 

 

確かに今までも、「子育ては大変だ」ということは認識されていたと思う。親以外の人間に子どもを預ける際も、それは「子育てが大変だから」に他ならない。けれど、「子育ては大変だ」という表現では、まだまだ甘いのだ。そんなものは、依然としてオブラートに包まれている。いい加減にオブラートを剥がしてしまって、もっと直接的な表現を使った方がいい。その方が、気づく人が増えて、世の中が変わりやすいだろう。

 

 

子育てとは、ストレス行為なのだ。

 

 

子育てはストレス行為だから、自分がうまくできないからといって恥じることはない。「ちゃんと子育てをしなければ」というプレッシャーを感じる必要はない。子育てを「面倒だ」と感じる芽を潰す必要もない。むしろ解放させてやるべきだ。「子育てはストレスだ」と感じる瞬間をもっと大事にするべきだ。

 

 

ストレス行為なのだから、もっと減らすべきなのだ。子育てに携わら時間を押させて、親はもっと自分のために時間を使うべきなのだ。保育園に預けるとか、幼稚園に入園させるとか、父母に頼むとか、そんなものは当たり前だ。もっと利用するべきだ。

 

 

子育てから距離を置いて、一旦息を整えて、改めて子育てを遠くから眺めてほしい。「もっとちゃんとしなきゃ」「もっとしっかりとしなきゃ」と思っていた自分が滑稽に思えて来ないだろうか。「子育てが面倒だ」「子育てが煩わしい」と思っても、それはしょうがない。

 

 

その考えが直接、自分の子どもを否定することにはならない。「子どもは好き、けど子育ては嫌い」とか「子どもと遊ぶのは好き、けどいつも一緒だとストレス」などの、一見アンビバレントな意見。それが健全な人間の感情なのだ。だから、テスト勉強のように必死になってやるべきものでは決してない。

 

 

学歴でさえ、昨今では否定されつつある。「勉強ができてもダメだよ」「いい学校を出ても使えないよ」という考えが浸透してきている。逆に、自由奔放に振る舞える肝の座った人間、縛られない自由なアイディアを出せる人間。そんな人たちが社会を動かす基盤を作れるようになった。それで正解だと思うし、それが進むべき正しい方向なのだと思う。

 

 

子育てだって、いつまでも縛られてはいけない。生まれた子どもがある程度自立するまでの数年間。その数年間は、親にとっても大事な時期であろう。小さい子どもを持つ親に「あなたの夢は?」とか「あなたのやりたいことは?」と聞くと、ほとんどが「子どもが普通に成長してくれれば、それでいいです」などと答える。そんなことでいいのか? それが格好いい答えだと思っているのか? それが模範だとでも思っているのか?

 

 

親自身がもっと素直になればいい。もっと直接的に、自分の欲望や希望や夢を語ればいいのに。だいたい、自分の子どもにはそうなってほしいとは思っていないはずだ。他人の目を気にして、自分の希望や欲望や夢を押し殺す人間にはなってほしいと思っていないはずだ。

 

 

少年の頃のような、冒険に出るような勇気や無謀さや、それと少しの優しさを持ってほしいと思っているはずだ。だったら、親がまずその姿勢を見せよう。親自身が、自分の冒険を始めないといけない。自分の探すべきものを定めて、それに向かって進むべきだ。

 

 

その冒険というのは、綺麗なものではない。生き恥を晒すような苦しい戦いになるかもしれない。けれど、夢に向かって、蹴落とされながらも食らいつく、そんな姿勢を子どもに見せることが、親としてはやれるべきことなのではないか。決して、いいオモチャを与えて、いい学習塾に入れて、そんなものではないはずだ。

 

 

考えて考えて、それでも諦めきれずに、格好悪い姿を見せながら希望や夢を語る、進む。そんな姿を見せてこその親だろう。自分を押し殺して子育てに勤しんでいる暇はないはずだ。子どもと一緒に写真を撮ってアップしている場合ではないはずだ。

 

 

子育てはストレス行為なのだ。親がすべきは、子育てから距離を置いて、自分の夢に向かってひた走るべきなのだ。そんな姿を子どもに見せるといい。子どもも、自分の夢に向かってひた走るような、素直な心を持つだろう。


 

 

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